自筆記事への反響は極力目に触れないようにしている
ライターとして記事を書いていると、クライアント様メディアの掲載記事が大手メディアに転載されることもある。
僭越ながら私の記事も、Yahoo!ニュースやITmedia、ライブドアニュースなどに掲載されている。ふとした瞬間にそれに気づくと、「お~(;゚Д゚)うっかりしたこと書けんな~」と思う。
しかし、それに対するネットの反響は極力見ないようにしている。なぜなら、ヤフコメなどの読者の感想には、明らかに誹謗中傷のバッシングと思われる書き込みが多いからだ。
そのようなネガティブな書き込みを読んで平静でいられるほど、私のメンタルは強くない。そのような書き込みが多いほど悩み苦しみ、眠れなくなるほど打ちのめされてしまう。
そんな自分のお豆腐メンタルは重々承知しているので、そのような反響は極力自分の目に触れないようにしている。
世の中いろいろな考えの人がいる。こちらがどれほど細心の注意を払おうが、その記事に異を唱える人をなくすことは絶対に不可能だ。だから、ある種の割り切りやバッシングへのスルー力を身に着けるのは、ライターにとって極めて重要なことだと思う。
ライターと言えども感情を持った人間だ。どれほど客観的に書こうと思っても、自分のこれまでの生き様や考え方を100%排除することはできない。それを悪だととらえる人も、世の中にはたくさんいる。
しかし、朝日新聞や産経新聞など、比較的主張が強いメディアを見ればわかるように、記事中に記者の見解を織り交ぜることが間違っているわけではない。
むしろ、無味乾燥な事実の中に、わずかに含まれる記者の見解があってこそ、記事に命が吹き込まれ、読む人の心に訴えかける内容になる。だからこそ、それらの新聞に強い嫌悪感を抱く人がいる一方で、根強く支持する人がいるのだろう。それでいいのだと思う。
そう考えれば、私が書いた記事にすべての人が納得する必要はないし、バッシングをあまり気にすることもないと思えるようになった。
どう頑張っても意見が平行線の人におもねる必要もない。顔が見えない相手の匿名のバッシングに一喜一憂する必要もない。SNSでよく言われる「嫌なら見なければいい」は、ライターにこそ必要な処世術だと痛感している。
そんなわけで、最近は大手メディアに転載された自分の記事すらチェックしていない。もちろん元となるクライアント様サイトの自筆記事はこまめにチェックしており、今後の執筆の参考や反省材料にはしているが。
そのような形で、私は自分の心を平穏に保つようにしている。
掲載記事は、例えるなら自立した我が子だ。もはや自分の手を離れ、独り歩きを始めた我が子をいつまでも追いながら一喜一憂する行為は、親として決してやってはいけないことではないだろうか。
私の記事を掲載したクライアント様がそれを問題視していないなら、それ以上こちらがやるべきことはない。ただ、独り歩きしている記事を非常に遠くから見守りつつ、新たな我が子となる新しい記事を書き、社会に送り出し続ければいいと思っている。
ただ願わくば、私の記事を読み、良い意味で何かを感じ取ってくれる人がいればうれしいとは思う。1人でもそのような人が存在することを実感できる機会があれば、ライター冥利につきるというものだ。
最後に、かつて私の記事が炎上した際に書いたエントリーへのリンクを貼っておきたい。このエントリーと合わせてお読みいただければ幸いだ。
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