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「本当は家事が嫌い」と認めたらすごく心が楽になった話

「私、本当は家事が嫌いです」

26年も主婦やっていて今さらですが、最近やっとそのことを素直に認め、人にもそのことを言えるようになりました。(ブラボー!)

以前の私といえば、

「仕事を辞めて家庭に入った以上しっかりやらなければ」

という義務感に加え、良妻賢母の鑑のような母を持ち、なにかにつけて「長女なのだから私の代わりに家事ができるようになりなさい」と徹底的に家事を仕込まれた長女として、

「母がやっていたようにやらなければだめなんだ」

という強迫観念に近い感情もありました。だから、なんだかんだで自分をごまかしながらも人並みの家事はできるようになり、今に至ります。また、その頃は自分の本当の気持ちを見て見ぬふりをし、自分は家事が好きだと思い込んでいました。

けれども、子供が自立後にこの仕事を始めてそれが軌道に乗ってきたころ、気づいてしまったんですよ。

「ああ、私は終わりがなく、やりがいもなく、無報酬の家事が本当に嫌なんだ」と。

実は、そのことに気づいたとき、私はものすごい罪悪感に襲われました。そして、そんな事を思ってしまう自分に自己嫌悪を覚え、仕事をこのまま続けていいのか? 仕事の幅をひろげていいものか? と本気で悩みました。(実は今も少し悩んでいます)

共働きが当たり前の若い人から見れば、なんでそんな事考えるのかしら? と不思議に思うでしょう。それは、私の年代ではまだまだ「家事育児は女性の仕事である」という考えが当たり前だったからです。

そのため、うそのような話ですが、私が子育てした頃は、仕事は家事育児を放棄する女のすることか、あるいはお金に困っている貧乏人がやることだと思われていた節があります。

以前は「子供を保育園なんかに入れてかわいそう」なんて陰口をたたく人のなんと多かったことか。今では信じられないことですが、働くお母さんたちはそんな心無い言葉にみんな傷ついていたのです。

けれども、今は女性も働く時代です。結婚しても仕事を続ける人が増えるにつれ、当然「仕事も家事も、さらに育児も、周囲に求められたハイレベルな水準でやれ……」なんて無茶ぶりにNOを突きつける女性が増えてきました。

そんな時代の大きな変化の中、ようやく私は呪縛が解けたかのように、家事が嫌いな自分を素直に認めることができるようになり、ものすごく楽になりました。先が見えず不安ばかりの世の中ですが、あながち悪い事ばかりではないようです。

家事は、ひたすら「マイナスをゼロの状態に戻す」ことの繰り返しです。やらなければ家の中が荒廃して生活に困りますが、どんなに成果を上げてもプラスにはならない作業です。

それに、どんなに疲労困憊しながら家事をやっても、それは単に自分の家庭を整える仕事ですから報酬などありません。それどころか、家族からはやって当たり前だと思われ、感謝の言葉一つないのが普通です。正直、やってられないと思うこともしばしばです。

一方、仕事は成果が出れば会社や取引相手に評価され、それが給与や報酬という形で返ってきます。どんなにブラックな環境であろうと、少なくとも無報酬はあり得ない。このご時世、そんなことをすれば労基局がすぐ飛んできてペナルティを課すでしょう。

ましてや、今の仕事みたいに成果次第で舞い込む仕事の量が増え、ごくたまには報酬も増える可能性があるという希望があるのですから、できれば仕事に専念したいところ。でもそれがかなわないので、かなりイラッとしているのは確かです。

その「イラッ」な感情を「ああ、家事なんて面倒くさい、大嫌い!」と大手を振って言えるのは福音です。そんな負の感情を抑えることなくおおっぴらにできる時代ってなんてすばらしいんだろう!とさえ思うのです。

まあ、そうはいっても、家事を全くさぼってしまっては家が荒廃しかねませんので、そうならない程度の家事はこれからも継続します。義務ですが、それもまた仕事のうちだと割り切った上で。

そして、必要最低限ぎりぎりまで家事を手抜きし、家族にも家事をやってもらいながら、今の仕事をやっていけたら……と思っています。

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