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免れた第三次レバノン戦争

先週末、シーア派イスラム主義組織のヒズボラがイスラエル軍車両を対戦車ミサイルで攻撃したために、イスラエルが応酬としてレバノン南部を100発を超えるクラスター爆弾、焼夷弾などで攻撃するという事態に発展した。

2006年に起きた様なイスラエルによるレバノン侵攻が懸念されたため、緊急退避に備えて早急に荷造りを行うよう指令を受けた。もっとも、2006年の侵攻では空港や港などのインフラは真っ先に攻撃の対象となったため、イスラエルが本気を出せば、レバノンのような小国の脱出経路を断つことは容易であるとも思われた。出国が困難になった場合にも備えて非常用品や備蓄食料の確認を行い、浴槽に水を張って生活用水の確保に努めた。

日を跨ぐ頃には共同通信によりニュースが報じられ、間もなく産経ニュース (ウェブ版) などでも記事が掲載された。心配させないよう、すぐに家族へ連絡を入れた。400字にも満たないそれらの記事は、全て日本国外の大手機関による報道の概要を和訳しただけのものであり、当然ながら得られる情報は極めて乏しかった。しかし衝突発生から数時間しか経過しておらず、事態の行く末について知るための重要な情報を欠いているという点においては、アルジャジーラの英文の記事も、現地のメディア (英語) も同じだった。

理解できないアラビア語のニュース番組で繰り返し再生される、焼夷弾の映像を見つめながら、生まれて初めて戦争というものを少しだけ身近に感じた気がした。先日、ダマスカスに駐在している友人がイスラエル軍によるダマスカス空爆の翌々日に、国境を越えてレバノンにやってきた。数日間の滞在を終えて陸路でダマスカスへ引き返す際には、笑いながら「僕が空爆に巻き込まれないように祈っててくれ」などと話していたけれど、自分が今もし「陸路でイスラエルへ向え」等と言われたら、間違いなく顔は引きつると思うし、受け入れ難いだろうなぁと思う。もっとも、レバノンとイスラエルの国境は長らく閉ざされているので、仮定の話に過ぎないけれど。

Al-Manar、首都ベイルートに本社を置くレバノンの衛星TV局による報道の様子。ヒズボラの傘下にあるTV局とのことだが、今回の衝突に対する報道の姿勢は分からなかった (9月1日)。

レバノンとイスラエルの国境で起きた今回の衝突はヒズボラによる攻撃が直接の引き金となったようだけれど、実際には規模こそ異なれど、両者はこれまでにも互いに対して引き金を引く行為を繰り返している。8月24日 (土) にはイスラエルが「イスラエルに対するドローン攻撃を目論んでいる」として、ダマスカス郊外のイランの軍事施設を標的に空爆を実施した。この空爆で戦闘員2名を失ったヒズボラの最高指導者は、すぐさまイスラエルへの報復を宣言している。ヒズボラが報復の行動に出た結果が今回の交戦に繋がったのだが、死傷者の有無に関して両者の声明は食い違っている。

結論として、来週に控えるイスラエルの総選挙など、様々な条件が重なり、レバノンとイスラエルの衝突が全面的な戦争に発展することは回避された。しかし、予断を許さない状況であることには変わりなく、一時的に軍事的な側面が陰りを見せているだけに過ぎない。

「攻撃される前に攻撃する」というスタンスも、「応酬」というトレンドも、事前に措置が講じられなければ、新たなレバノン侵攻の発生は時間の問題なのではないだろうか。

しかし、本当に恐ろしいのは、このような殺傷能力が高い兵器が公然と人の上に降り注がれている国・地域が、地球上には未だ多数存在しているという事実なのだと思う。

Haaretz、イスラエル建国以降最も長く読まれている日刊紙

衝突から1週間が経過した今日、「今週イスラエル、ヒズボラとイラン間で戦争が始まりかけた」という趣旨の、記事の見出しを目にして、安堵すると同時に感謝の気持ちを覚えた。

補足:
- ヘッダー画像: AP Photo

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