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初めて出会ったシリアの人

住んでいるアパートの管理人がシリア人であった。海外での居住期間が長かったので、これまで非常に多くの国・地域の人々と交流し、友人関係を築いてくることができたのだけれど、周りにはシリア人の友人がおらず、シリア出身の人と直に話をしたことは一度もなかった。

6月の上旬、ベイルートに到着した日に出会った最初の地元民 (もっとも、レバノン出身ではないので地元民ではないのだが...) がバッサムという男性だった。彼は愛想良く「How are you, sir!」と声をかけてくれたものの、それ以外の英語のフレーズを全く知らなかったため、初対面時のやり取りは挨拶で終わった。次の日に彼の名前の発音を覚え、そのまた次の日に彼がシリアからやってきたということを知った。

街は野良猫で溢れている。警戒心が強かったものの、私に近づいてきてくれた子猫。数日後に、アパートの前で乗用車に撥ねられて亡くなってしまった。

私のレバノンでの滞在期間も限られているので、現地で見られるものは全て見たいと思っているし、体験できるものは全て体験し尽くすつもりで過ごそうという意気込みでいる。何より地元の人たちとたくさん交流したいと望んでいる。赤十字・赤新月運動に関わる機会はこれからもあるであろうし、レバノンを観光で訪れることも、もしかしたらまたあるかもしれない (多分ないけれど)。けれど、レバノンという国の複雑な宗教的、社会的、政治的な情勢を人々との交わりを通して理解する (もっとも、あまりにも複雑なので、当事者であるレバノン人でさえも理解不能とも言われている...) ということは、半年間もの間滞在できるからこそ、実践可能な試みだと思う。従って、事業に従事している時間はもちろん、業務時間外の時間や休日にも冒険に出かけて、多くの人たちと交流してゆきたいと思う。

観光者も含めて、街中で東洋人を見かけることは極めて稀なので、街を歩いていると視線を感じることが少なくない。「Ching! chong! chang!」という、偏見的で東洋人 (中国人) を嘲笑するようなフレーズを投げかけてくる輩も既に何度か遭遇したのだけれど、上手に返せる術を習得したいと思う。フィリピンなどの東南アジア諸国やネパールからやってきた出稼ぎ労働者が非常に多いのだが、メイドや清掃員などの仕事をしている人が大半を占めているようである。そのためか否か、アジア人を見下すような態度をとる人も少なくはない。アフリカからやってきたと思われる人々や、経済危機の影響を受けてやってきたベネズエラ人も一定数レバノン国内で暮らしている。

バッサムとの交流に話を戻す。数日前に日本からのお土産として持ってきていた、日本限定フレーバーのキットカットを彼にプレゼントした。それを喜んでくれたのか、本日オフィスから帰宅した私を見かけるなり、私の手を引いて、彼が泊まり込んでいる小さな小部屋に招き入れた。部屋には彼の友人が遊びに来ており、夕食の最中だった。バッサムは私に席を譲り、夕食を食べてゆけと身振りで伝えてくれた。居合わせた彼の友人が英語を理解できたので、意思の疎通を手伝ってくれた。

シリア風らしい食べ物 (レバノンでも類似した食べ物はある)。薄いクレープのようなパンに、煮込まれた角切りの野菜入りトマトベースのソースを付けたり、味付けされた細切りのじゃがいもを巻いて食べる。左からバッサム、わたし。

彼がレバノンにやってきたのは2011年より続いている、いわゆるシリア危機の以前の出来事だった。恋人が依然ダマスカスに滞在しているため、会えない日々が続いていると話してくれた。先週、彼女の写真を自慢気に見せてくれたけれど、事情を知って、少し切なく思えた。詳細は分からないけれど、両国が移民・難民を受け入れられる状態にはないので、人がシリア-レバノン間の国境を越えることは、困難が伴うらしかった。

「シリアについて何か知っているか」と彼の友人に聞かれ、「欧米諸国が報じる情報をどこまで信じて良いのか分からない。いつかシリアを訪れて自分の目で見てみたい」と答えると、深く頷いていた。彼のお母さんもシリア南部の街に未だ住んでいるようで、無事であるのか、と問いかけるとはっきりとした回答をしてはくれなかった (踏み込みすぎたかもしれない、と直ぐに後悔した)。シリアの現状は内戦とは認定されているものの、実際には報道されているよりも代理戦争の側面が大きいのではないかと感じた。「シリアは好きではないけれど、故郷の村は美しい」とGoogle Mapで街の場所を見せてくれる彼にの表情も、何だか少し切なく思えた。

胃が小さいから遠慮する、と言ったものの食べるまで返さないと言い張るので、ご馳走になったフルーツ。

補足:
- 写真は許可を得て撮影しています。

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