現代人の行動から考える「鬼」像~私も鬼か!?
*ここのところ、どうしても『鬼』について考えることが多くて、これを書きます。現実の話と架空の話が混在していることをお許しください。
カナダでもNetflixで「鬼滅の刃」を見ることができるので、家族で見ました。ハロウィンにもなれば、青い目の禰󠄀豆子(ねずこ)も金髪の炭治郎(たんじろう)も沢山いましたよ。
また、先月は「節分」もありましたよね?カナダ人パパ達が、鬼の格好をして、豆をぶつけられる役を引き受けてくれました。(中身は弁護士と公務員。楽しそうでしたよ。)
行事を前に「鬼」について子どもやカナダ人には話はしたけれど、そもそも「鬼」についてうまく伝わっていたのかしら?
いや、そもそも鬼って・・・?
そんなことが気になって仕方がなかったので、大人のための日本語クラス(上級クラス)のテーマを期にもう少し深く考えてみました。
鬼
鬼とは
Wikiを見ると、鬼とはこのようなものです。
鬼は、閻魔様のしもべ
私にとって鬼は、閻魔様のしもべ・・・そんな印象です。
嘘をついたり悪いことをしていると、死んだときに地獄へ送られる。
そこでは、いろんな鬼に痛め傷つけられながら苦しまなければならない。
また、鬼はどんなにお願いしても許してくれない・・・
そんな印象もあります。
カナダ(北米)の似たようなもの、悪魔
悪魔とは
悪魔は、悪世界のシンボル的存在
Wiki(日本語版)をひととおり見てみても、悪魔の決まったイメージは実のところよくつかみきれませんでした。
とりあえず、キリスト教以外の宗教(やその神)は悪魔とされたりするようです。
また、人間という高等な存在の中で、神の存在を信じないなどの下等な本性・考えを持つ人や罪深さを象徴でもあるようです。
似て非なる鬼と悪魔
見た目は似ている鬼と悪魔
実際、鬼と悪魔の風貌はとてもよく似ています。
角が生えている
とがった歯(または牙)をもつ
とがった爪(鋭い爪)
これだけ大きな特徴が似ていたら、カナダ人も「おー、こいつが悪者か」と思ってくれるに違いないでしょう。
カナダ人が思う悪魔の印象
数人のカナダ人と「悪魔とは」と話しをしてみた結果、みんながうなずいた意見がこちら。
「悪魔は契約で動く」
人が「若さ、知識、富、名声、権力」を欲しいと思った心の隙間に、悪魔が入り込み、その人とある契約を交わす。契約が成立すれば、その人はそれらの望んだ物を手に入れることが出来るが、契約成立の報酬はその人の命である。
つまり、すぎる「若さ、知識、富、名声、権力」を望むことは罪であり、堕落させる原因である。それを自制できない心は、「隙がある状態」と見なされ、善人であっても悪魔の誘いに乗ってしまうことがある。
そして、悪魔は別次元の存在であり、人間が悪魔的に変わるようなことはあっても悪魔の存在はある種、神に近いくらい絶対的存在な気がします。
日本人が思う鬼の印象
一方で、日本人が思う鬼の印象ってどうですか?
閻魔様のしもべでもあり、とても大きくて力強いという印象に加え、悪魔のような現実を変えることはできず、常に閻魔様の命令の下、ひたすら罪ある人々を痛めつける印象があります。また、その行動は深く考え込まれたものでは無く、ただ、本能のままに動いているような気もします。
しかし、鬼は元人間であるような考え方にも頷けます。Wikiによると、6世紀頃に日本に入ってきた鬼の概念は、元々「死霊」だったようです。
鬼滅の刃では、歴々の鬼達は、元人間でした。望んで鬼になり鬼界を上り詰めたエリート鬼と望んでないのに鬼化した竈禰󠄀豆子。
でも、全員「鬼」です。悪魔のような絶対的存在のような印象は受けません。
現代人の行動から考える「鬼」像
悪魔は資本主義の象徴?
私が、今回地元のカナダ人数名と話していて感じたのが
「北米=資本主義の悪魔は契約で動く。北米らしいねぇ~」ということ。
では、日本における「鬼」はどうか。
有名な言葉に「悪魔に魂を売った」という表現がありますが、「鬼に魂を売る」というのは何だか奇妙な感じがします。
だって、鬼は閻魔様(リーダー)の指示で容赦なく全てを奪っていくから。
それはある意味懲罰を意味しているのかも知れません。
そうなると「良い子にしてないと鬼から」論にも頷けます。鬼はリーダー(大人)の指示で動いているのですから。
先日、若者が自分の愚行をネットにアップし、大企業が莫大な損害を受けたという事件がありました。
(私は、多くの辛さも感じ取ってしまうので、あえてそのニュースは見ないことにしました。だから、不確かな点があったら申し訳ありません。)
指示があったかのように始まった攻撃
今回の件で、この若者は日本中の人からもの凄い攻撃を受けました。その攻撃に容赦はありません。世間一般の、何の関わりも無かった人までもが、若者だけでなく親も学校までも攻撃し始めました。
自分の行動が、正義かの様に、個人情報を調べ上げ「冷酷」なまでに攻撃し始めました。
私は、ここに鬼の姿を見た気がしました。
人が鬼に変わるとき
人が鬼に変わることについて、Wikiではこのように触れられていました。
若者を攻撃した人たちは、その若者に対して憎しみや嫉妬心がそれほどまでにあったのでしょうか?
私は、無かったと思います。しかし、近年はこのような「正義の鉄槌」のようなものが間違って使われていることが多いような気がします。そして先にも書いたとおり、深く考えず、ただ、本能のままに鉄槌を振りかざしているような気がします。
鬼は、閻魔様(リーダー)の指示を受け、人間の不徳や罪を懲らしめる役割を持つとされていますが、人々が若者に対して行った行動は鬼のそれと何が違うのでしょうか。
もしかしたら、人間(日本人)は、死ななくても鬼になれるのか?
鬼概念の元は中国から入ってきたものでしたが、それは死後の話でした。
しかし、いつからか「正義の鉄槌」が「鬼の金棒」のようになり、自らが閻魔兼鬼になり私刑を執行していくようになった気がします。
私は鬼になんかなりたくない!
そう叫んでも、私もあの若者の行為をマジマジと見てしまえば、私も鬼になるのだろうか・・・。
意見を持つことと、私刑についてグルグル考えるながら、春を待ってます。
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