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心が本当に病んでしまう前に、読んでほしい

わたしの友人に、今も昔もただ一緒にいるだけで、心がスカーっと晴れ渡るくらい、いつだって自分の人生を生きている友人がいる。
 
今後世界で何が起ころうと、たとえ彼女がどんな状況に追い込まれようと、彼女は自分の人生を、自分らしく生きることをやめないだろう。
 
彼女には、そんな底知れぬ魅力がある。

「心が病む」

そんな言葉は、彼女には一見無縁のように感じる。
 
あなたの周りにもそんな、底抜けに明るくて、仲間に慕われていて、自分の意見をしっかりと持った、イキイキとした人がいないだろうか。
 
ところが、そんな彼女も、人生でたった一度だけ心が病んでいたことがあるらしい。
 
 初めてこの話を聞いた時、彼女のような人間が心を病むなんて一体何があったんだろうと少し意外な感じがした。

しかし、そこにはどんな人間にも共通する「人生を自分らしく生きるヒミツ」が隠されていた。


彼女曰く、それは大学卒業後に入った職場で、いじめにあっていたときのこと。
 
 
周りは、長年その職場で働いている有資格者のパート従業員。一方彼女は資格を持たない正社員の新入社員だった。
 
 
彼女は資格がないゆえに、有資格者と一緒にいなければできない仕事も多かった。
 
 
おそらく周りは、若い新入社員であるにも関わらず、自分の意見をはっきりと言える、正社員の彼女のことが単に気に食わなかったのだろう。
 
彼らの中にあったのは、自分にはないものを持っている彼女への「嫉妬心」だ。
 
そこで、彼らは自分達がすでに持っている「立場」や「年齢」を武器に、彼女をいじめはじめた。
 

女性ばかりの職場で、陰湿ないじめを受けるうちさすがの彼女も、仕事中はもちろん仕事以外の時間も、嫌な気分で過ごす時間が増えていった。
  
 
「この電車がこのまま事故に遭ってくれたらなぁ。そしたら、あの職場に行かなくて済むのに...」
 

1時間ほどの通勤電車の中では、こんなことを考えていた。

 
目の前の現実に向き合うのではなく、目の前の現実から逃げようとしていた彼女。
 

さて、彼女は心が弱い人間なのだうろか。
そんなことはない。
 
 
彼女のように、現実から目を背け、とにかく現実から逃げ出したくなることは、人間なら誰にだって大なり小なり起こりうる。
 
 
どれだけタフな人だって、どれだけ前向きに生きている人だって、陰湿ないじめを受け続けたり、奴隷のように扱われ続けたりすれば、次第に心は蝕まれ、思考は歪み、現実から逃げ出したくなるのはごく自然なことだ。

 
ちなみに彼女は、奴隷のような扱いを受けたわけではないが、ここで言いたいのは、どんな人間でも目の前に、自分の心を支配しようとする者が現れ、あの手この手で自分の心を支配しようとしてきたら、そのうち自分の心が支配されていき、本来の「私らしさ」が失われていくということ。
  
 
彼女で言うと、周りの人たちは、彼女が嫌な気持ちになるような言葉や態度をわざと(もしくは無意識のうちに)選び、彼女の心を次第にネガティブな感情や思考で埋め尽くしていくことで、彼女の心を支配していった。
 
 
そんなある朝、彼女の身体中に蕁麻疹がどっと出たそうだ。 
 
 
その時、彼女はふっと我にかえった。
 
 
そしてすぐさま辞表を出して、会社を辞めた。入社して4ヶ月後の出来事だった。
 
 
その会社は、彼女が自分のやりたいことを実現するために、自らの力で開拓し、希望を持って入社した会社だった。
 
 

職場を去った後、ほどなくして彼女はいつもの彼女らしさを取り戻した。
 
 
なぜ彼女はそれ以上心が病むこともなく、彼女らしさを取り戻すことができたのか。
 
 
それは単に会社を辞めることができたからか。

あっているようで、それだけではない。

 
では、なぜ彼女は会社を辞めることにしたのか?
 
 
その答えを聞いた時、これまで長年心の病に苦しみ、絶望のどん底からなんとか這い上がってきた私は「あぁ、心が病む人と病まない人の違いはやはりそこだよな」と心底腑に落ちた。

彼女は、小さい頃からいつも世間体や常識、親の意向などにとらわれることなく、常に「自分はどうしたいか」を一番大切にして生きていた。
 
 
また彼女のご両親は「とにかく何事も3年は続けなさい」というように、昭和の古い価値観を子供に押し付けるような教育はせず、そのかわりたくさんの豊かな経験を提供し、常に彼女の意志を一番に尊重してこられた。
 
 
彼女は「入社してまだ4ヶ月だし」とか、「希望を持って入った会社だから」とか「石の上にも3年っていうから」ではなく「このままでは、私が私らしく生きられなくなる」と気づいたとき、すぐさま「自分を一番大切にした選択」を、自分のために選び直した。
 
 
あれから20年弱経った今、彼女の人生で心が病んだのは、その一回きりだったそうだ。
 
 
彼女の心が病まないのは、彼女の性格が底抜けに明るいからではない。また会社を辞めても生活できる環境だったからでもない。
 
 
本当に心が病んで、自分が自分でなくなる前に、そんな自分の状態にいち早く気づいてあげられるからだ。
 
 
そして、誰よりも今の自分を大切にした選択を、いつだって選び直す勇気を持っているからだ。
 
 
もちろん心が病んでいなくたって、彼女の日々の選択の軸は、常に世間体や常識ではなく「今の自分自身」にある。
 
 
私は、事故に遭うよりももっと前、何年も毎晩全身に蕁麻疹がで続けていた。

身体が私に何かを訴えていたのだ。
 
 
にも関わらず、わたしは蕁麻疹そのものはなんとかしたいと思いながらも、なんで蕁麻疹がでているのか、自分自身に問いかけることはなかった。
 
 
事故後、心が病んでいったときも、自分自身に「大丈夫?」と寄り添うことはせず、明らかに身体にも心にもいろんな症状が出ているにも関わらず「大丈夫!」と自分に言い聞かせ、自分の状態を見て見ぬ振りしながら、必死で前に進もうとしていた。
 
 
私がなんとか取り戻そうとしていたのは、「私らしい人生」ではなく、事故に遭っていなければそうなっていたであろう一般的に幸せな人生であり、その軸には肝心の「今のわたし」の存在がなかった。
 
 

日々の選択の軸はどこにあるか?

 
世間の常識や、誰かがいう正しさ、過去に誰かに植え付けられた価値観、はたまた過去に傷ついた自分を守るために築き上げた価値観なのか?
 
それとも、「今のわたし」なのか。
 
 
今の私の状態に気づき、今の私に最善の選択を選ぶ。

それがどんな選択だったとしても、そこにあるのは「わたしが選んでいる」という意識だ。
 
 
この意識はどんなときも、自分の人生を最善に導いてくれる。
 
 
彼女と話をして、そのことを改めて再確認すること共に、もし自分の人生をもっと自分らしく生きたいのに、どうすればいいかわからないと思っている人がいたら、この話を伝えたいと思った。

人生はいつだって、今この瞬間から選び直すことができるということ。

そこには、過去の経験など一切関係なく、今の自分が全てだということ。

どこまでいっても手遅れなんかない。気づいた時に、自分が自分を救うために、選び直してあげたらいいのだから。
 
 
ちなみに、彼女はもうすぐ小さな子供たちと共に家族でイギリスに移住する予定だ。

この2年、閉塞感を伴う生活を強いられるうち、日本のルールや社会の常識の中で生活することに、息苦しさを感じるようになったからだそうだ。

「どうにでもなるでしょ。仕事なんて、なにやっても、いいのよ!」と、あっけらかんとした笑顔で豪快に笑う彼女をみて、

私はまた彼女に勇気づけられた。

小さな選択の連続が、あなたの人生。

思考も、感情も、感覚も、行動も、姿勢も、あなた自身が選んでいる。

言い換えると、あなたは、今この瞬間から自分の人生を選び直すことができる。

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