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雑多な本棚

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幸福への恐怖(それでも生きる)

具合が悪くて寝込んでいるうちに、季節はどんどん加速していたようだ。眠気を誘う陽気に、鼻がムズムズとしてくしゃみが出る。そういえば目がかゆいな。春は好きだが、花粉はつらい。 この二週間で三回発熱した。一回目は微熱、二回目が高熱、三回目は微熱。病院に行ったけれど、コロナでもインフルエンザでもないとわかっただけで、いまだ検査中の身である。 「発熱外来」というものを初めて経験した。私が行ったのは小さな個人病院だった。事前に予約して、当日病院の駐車場に着いたらまず電話をする。すると

うつむいても幸あれ(よいお年を)

今年一月の日記を読み返したら、その頃の自分は驚くほど落ち込んでいた。当時の職場にいたパートのおばさんに攻撃され、疲弊していたらしい。シンプルに無視されたり、仕事を押しつけられたり、「年上を敬え」とLINEが来たり。 あの頃は、リュックに小さい頃からそばにいるクマのぬいぐるみを忍ばせて出勤していた。そのぐらいに限界だった。 日記には、毎日のように「母に会いたい」と書かれている。 そういえばそんなこともあったな、と思う。今やもうその職場自体がなくなり、私はそのおばさんのLI

職場の居酒屋が閉店して無職になった

「お世話になりました」 手を振り、背を向けて自転車を漕ぎ出した瞬間、涙が出た。 リュックも自転車のかごも、荷物でパンパンだ。さっきまで一緒に働いていた子がくれたプレゼント、もう着ることはないかもしれない仕事服、自由に持っていっていいと言われたのでもらってきた食料や備品の数々。重さで体は軋み、自転車はふらつく。 五月最終日、働いていた居酒屋が閉店した。 今はもう、新しい会社が新しい居酒屋を始めようとしている。 * 約六年前の夏、私はこの店のオープニングスタッフとして働き

透明な球体(経験した死の数々)

* 私が「死」という事象に強く興味を持つのは、ごく自然な流れであったと思う。 父方の祖父と母方の祖母は、私が生まれたときにはすでに亡くなっていた。二人とも両親がまだ幼い頃、あるいは若い頃に病死したようである。 私が小学生の頃、父に付き添う形で出席したよく知らない誰かの結婚式に、祖父の遺影が置かれていた。祖父の顔を見たのはこのときぐらいだったはずだが、肝心のその顔はまったく覚えていない。祖母の顔にいたっては見る機会すらなかった、と思う。 では母方の祖父はといえば、記憶に

抗えぬ変化の波に乗れ

六年。それだけの月日があれば、何も変わらずにいられるほうが珍しいだろう。 * 居酒屋の厨房でアルバイトをしている。この店はオープンから六年が経ち、つまりオープニングスタッフとして入社した私も勤続六年。このコロナ禍で周辺の飲食店がのきなみ閉店していく中でも、今の今までなんとか命を繋いできた。 だが、六年の歳月が流れれば、変わらずにいられることのほうが少ないものだ。この店は、近いうちに別のオーナーへ売り渡されると決まったらしい。 閉店するわけではないし、基本的にアルバイト

六年前(自死遺族の手記)

自分自身に対するひとつの区切り、あるいはある種の決別として、あの日のことを記しておく。 * 六年前 振動する二つ折りの携帯電話。父からの着信を知らせる画面。実家を離れて一人暮らしを始めて以降、母から何気ない電話がかかってくることはそれなりにあったが、父から電話がかかってくることなど、ほとんど初めてだった。だから、とてつもなく嫌な予感がした。 通話ボタンを押すと、「おかあさんがくびつっちゃった」と、父の悲痛な声が耳に飛び込む。その声はつづけて「なるべく早く帰ってきてくれ

花降らさば光抱く

「亡くなった人を思い出すと、その人に花が降る。」 流れていくタイムラインにその言葉をみつけたとき、私はこたつにもぐって黙々と本を読む母の姿を思い出していた。 その瞬間にも、母の頭上に花は降っただろうか。その花は果たしてどのくらいの大きさで、どれほどの多さで、どんな感触で、どんな色あいだったのだろうか。 ✶ ✶ つい先日、マンガ『図書館戦争』(弓きいろ)が完結した。 これはラブコメ小説『図書館戦争』(有川浩)シリーズをコミカライズした作品で、私がこれを初めて手にした

星の定義

「亡くなった人は、夜空に輝く星となり、いつでも私たちを見守ってくれているんだよ」――最初にそんな思想を思いついたのは、一体どこの誰だったのだろう? 星にひとつひとつ名前をつけていった人がいる。無造作に散らばった星々を線でつなぎ、「星座」を生み、物語を創った人がいる。流れ星が流れているあいだに願い事を唱え始めた人がいる。流星は誰かが逝くときに流れるものだと言った人がいれば、逆に新たな命の誕生とともに流れるのだと言った人もいる。 遥か昔から、世界中の人々が夜空の煌めきに魅了さ

出逢いの名前は

もしも、パソコンに向かってTwitterの利用登録をしている十年前の私に会えたとしたら。「君は将来、そのTwitterで出逢ったとあるフォロワーの結婚披露宴に参列し、信じられないぐらい泣いているぞ」と教えてみようか。そうしたら過去の私は一体、どんな表情を見せるのだろう。 ちゃんと結婚式に参列するのは、これが初めてだった。小学生の頃、親に連れられて学校を休んで行った結婚式はあるが、いわば「父親のバーター」にすぎず、「パンおいしい!!!!!」と思った記憶しかない。 ご祝儀を包

Far away from home...

高松駅を出発した寝台特急は、ガタンゴトンと小気味良いリズムを刻みながら、瀬戸大橋を駆け抜けていく。 瀬戸内海は黒々と輝き、海面はまるで枯山水のように線を描く。あれ、そもそも枯山水は水を用いずに水を表現するものなんだから、順番が逆か。私は何を言っているんだか。流れていく車窓に視界を任せ、独り、缶チューハイをカシュッと開けた。 四国に散りばめられた煌めきが遠ざかる分、本州の街明かりが近づいてくる。それは旅の終わりとの、そして日常との距離がどんどん狭まっていることも意味している

それはまるで母のような

雨に濡れて湧き立つ土の香り。小さな赤い果実を摘む。どんぐりを踏みしめながらリスの残像を見た。霧が朝を囲む。まばゆいほど輝く緑は風に揺られ、キツネは銀世界に足跡を残していく。 そんな海のない土地で生まれ、山のふもとで育った。 だから、海は特別な場所だった。 夏休みになれば、家族三人で新潟の海水浴場へと赴く。小学生の頃の話。手押しポンプでふくらませる浮き輪は、もう何色だったかも思い出せない。海の家で食べたのはいつも焼きそば。高齢出産のもとで生まれてきた私。両親との体力差など

おもしろくなりたい(#磨け感情解像度)

先生に指名されたときの珍回答から、センスの光るたとえツッコミまで。教室には「笑われる人」もいれば「笑わせる人」もいて、私はその全員を妬み、羨んでいた。 ✽ 小学校の六年間も、中学校の三年間も、高校の三年間も、ただひたすら勉強に打ち込む日々だった。何か思い描く将来像があったわけではない。テストで高得点を取れば、みんながちやほやしてくれる。動機はたったそれだけのことだった。 「このクラスで一番良い点数を取ったのは、古越さんです」 解答用紙の隅っこを三角形に折りたたみ、点数

私の病室には椿を飾って

椿は、桜のように花びら一枚一枚が風に舞って散っていく花ではない。命を終えるときには、その首ごと、ぽとりと土に落ちる。 昔の誰かはその姿を「不吉だ」と忌んだらしく、現代でも、お見舞いや退院祝いにおいて、椿を選んではならないとされている。 椿が好きだ。 椿が最盛期を迎えるのは、だいたい一月から二月。多くの植物が眠る真冬。景色が色褪せてみえるその季節に、椿は咲き誇る。真っ赤な椿に真っ白な雪が重なる光景は、形容しがたい美しさだ。 寒空の下に赤を燃やす、その命は力強い。 椿が

あなたとみた春を想いだせない

「忘れる」とは、生きていく上で必要な機能だ。 一年前の今日何を買ったとか、先週の金曜日のTO DOリストとか、昨日通勤路ですれ違った人の服の色とか。そんな些細なものごとを覚えていられるほど、私たちの脳みそにはスペースがないらしい。 積み重なっていく日常には、忘れていいことのほうが、たぶん多い。だから、重要なメモリーの保管場所を確保するために、些細なものごとは「忘れる」のだ。 今までにこの目がみてきた色は、一体どのくらいあるのだろう?この肌が感じてきた風の種類は?この口か