見出し画像

うつむいても幸あれ(よいお年を)

今年一月の日記を読み返したら、その頃の自分は驚くほど落ち込んでいた。当時の職場にいたパートのおばさんに攻撃され、疲弊していたらしい。シンプルに無視されたり、仕事を押しつけられたり、「年上を敬え」とLINEが来たり。

あの頃は、リュックに小さい頃からそばにいるクマのぬいぐるみを忍ばせて出勤していた。そのぐらいに限界だった。

日記には、毎日のように「母に会いたい」と書かれている。

そういえばそんなこともあったな、と思う。今やもうその職場自体がなくなり、私はそのおばさんのLINEをブロックして友だちから削除した。人生は何が起こるかわからない。

年末年始の空気感は大好きだ。

今日は地元の神社にお参りに行って、一年間お世話になったお守りを納め、新しいお守りを買った。年始は入場制限がかかるほど混むとわかっているから、毎年年末にこうするのが習慣で。帰りにはいつも使っているスーパーでパックのお寿司と、マルちゃんの紺のきつねそばと、巨大な海老天をひとつ買った。ここ数年の大みそか定番メニュー。

でも、今の私も、どこか落ち込んでいる。

“孤独”が強い輪郭を持っている、とでも言えばいいのだろうか。

アメトーク年末スペシャルの最後、アメトーク大賞を受賞した有吉さんが、受賞スピーチで「今年はつらいことがあった」と口にした。詳細を語らずとも、皆わかっていた。”つらいこと”が指し示す出来事。それは、有吉さんにとっての師・ダチョウ倶楽部上島さんが自らの手で旅立ったこと。

私はその一瞬に、母のことを思い出していた。

”記念日(命日)反応”と呼ばれるものを知っているだろうか。亡くなった存在に関連する思い出深い日が近づくと、落ち込んだり体調を崩したり、その死の直後のような症状が現れる現象である。

一月十六日は、母が自らの手で旅立った命日。

だからもう、年末年始、心に影が差すのはしょうがない。毎年毎年そうだから。母の命日と、母の誕生日と、それから母の日の前後一か月はいつも具合が悪い。

今年の春にはこんなnoteを書いた。

母の自死からの回復過程が、一段階進んだ感覚は確かにある。でも、人間は一直線に前へ進めるほど単純にはできていなくて、今の自分みたいに一進一退を繰り返していくものなのだ。

どうしたって寂しさの存在はずっと変わらない。寂しさを紛らわせる方法が増えて、上手くなっていくだけのこと。

無理に前を向こう、上を向こうとする必要はないだろう。足もとを見つめながら歩いていくほうが性に合っている人間もきっといる。たしかに、視線をあげなければ太陽は見えないけれど、そればかりでは地面に差す美しい光の存在には気づけない。

今年の一大トピックといったら、やっぱり六年働いた居酒屋がなくなったことだ。

無職になった私は、二か月間ほぼニート同然の怠惰な生活を送った。近場の求人に応募しては「ここじゃない」と切る、そんなことをつづけていた。あれは一種の燃え尽き症候群だったのか。

結局、コロナ禍になってから副業として登録していた派遣会社の仕事をがっつりいただくことにして、今もその現場で働いている。

そこで出会った人たちに、初めて「写真を撮っている自分」を見せた。居酒屋で働いていた頃は一切そんなことしなかったのに。インスタのIDを教えたとき、私はとても緊張していた。写真は今や私自身の根幹となっていて、その一面を教えるということは究極の自己開示なのかもしれない。

ここ最近は、年下の同僚たちに「かわいい」などと褒められながらがんばって働いている。自己肯定感上がるかも。会社からがんばりを評価されるともらえるカードをもらうなどもした。自己肯定感上がるかも。

この仕事はコロナがなかったらそもそも存在していない仕事だから、皮肉っちゃあ皮肉だ。コロナのせいで居酒屋は潰れたから。

これも縁か。出会うはずのなかった人たちと出会って、私はその出会いを嬉しいと感じている。人生は何が起こるかわからない。

ひとつ新しい試みをした。自分の写真でカレンダーを作ったこと。今も販売している(来年一月二十日まで販売中)。

「買ったよ」「良いカレンダーだね」と報告してくれる人たちがいて、震えるぐらい嬉しかった。来年の一年間、この写真たちが日々をちょっとでも明るくしてくれる存在になれたらいいな、と祈る。

買ってくれた皆さん、ありがとう。

思い返せば、ゴスペラーズのライブに初めて参戦したり、ファイアーエムブレム無双風花雪月というゲームに没頭したり、楽しいこともたくさんした一年だった。

思いつきで急に箱根へ行ったり、誕生日に鳥取・島根を訪れたり、そういう旅だってした。静岡から遊びに来てくれた友だちとコアラボートに乗った思い出もある。

(鳥取・島根旅のnote書いてないな……)


油断するとすぐ嫌なことばかり思い出してしまうけれど。来年もきっと乗り越えなければならない何かがあるだろう。人生は何が起こるかわからない。

でもその分、自分の人生は自分で楽しくすることもできる。

来年は、たとえば船で離島に行くなんてどうだろう。

2022年、私の写真を見たり、文章を読んでくれた皆さん。本当にありがとうございました。来年にもさらにその先にもこの縁がつづけばいいな、と願いながら。どうか無理せず、あったかくしてご自愛ください。

それではよいお年を!



あ~~~あ、そろそろ恋人がほしいなぁ~~~!(急な大声)


良いんですか?ではありがたく頂戴いたします。