(不定期連載)幸せについて no.1:1人でご飯を食べてる時、一体何を考えればいいのか。
このnoteは、日頃からOver thinker (考えすぎる人)な私が、Over thinkしてる内容を書き留めておく連載です。タイトルの「不定期連載:幸せについて」は、なぜOver think してしまうのかをOver think してみた結果、自分にとっての幸せをいつも突き詰めようとしてるからなのでは?という答えに行き着いたため。
第一回目は、食事についてOver think したので共有します。
1人でご飯を食べてる時、一体何を考えればいいのか。
1人でなければ、一緒に食べてる人と会話をするだろうし、1人で食べるあるあるといえば、何かを観ながら食べることだと思う。私自身もいつもはポッドキャストを聴きながらや何かドラマを観ながら食べていた。
ただ、最近気がついてしまった。
「ながら食事」をするとその後ダラダラする率が圧倒的に高い。
今夜こそは理想のルーティンをこなすんだ!と気合を入れて帰宅しても、ながら食事をするとダラダラしがち。
最初は、食後ダラダラしないためにもポッドキャストもドラマもつけず、ただ食事をしてみよう、という「食事」を中心にしていたよりかは「食後」に軸があったにもかかわらず、Over thinkしたのは「食事」に関してだった。
舞台は私と食事だけ。
想像力と妄想力だけが取り柄の私なので、頭の中では自分とダイニングテーブルだけにスポットライトを浴びてる状態で食事を始めた。
メニューは、
・あげない唐揚げ
・お味噌汁
・納豆
・ご飯
私にしては上出来で美味しかった。
しかし、それ以外何を感じればいいのか、、、?
今までどれだけ「無」で食事をしてきたかを思い知らされる。
口に食べ物を運ぶだけが食事になってしまっていて、自分が何を食べているかなんてよく分かってなかったと気が付く。
せっかくなので、もう少しちゃんと食事に向き合ってみる。
私にしては美味しいご飯だけにとどまらず、もう少し改善するなら?と自分に問うてみた。
1、彩り
圧倒的に茶色い食事だった。赤・緑も欲しい。
2、食器
・お味噌汁は漆器のお茶碗に入れたほうが見栄えがいい。(陶器のスープボウルに入れてた)
・Wedgwoodのお皿に唐揚げは全然似合わない。納豆ご飯も似合わない。
(ワンプレートが楽だからといって大皿に全てのせるのは違う)
思い返してみれば、上記2点については小学生の頃から給食の時間で習ってきたはずなのに、いつの間にか「楽」とか「時短」という概念が私の食事の質、トータルな経験としての食事の質を下げていたなと感じる。
まとめ
今回の気づきで圧倒的にハッとしたことは、
「口に食べ物を運ぶだけが食事になってしまっていて、自分が何を食べているかなんてよく分かってなかった」という点。
口に食べ物さえ運んでいればいいのか?と自分に問うと
「いやいや、何を食べてるのか、どういうお皿にもられていて、季節を感じたり、目で楽しめたりできる時間こそが食事なのでは?」と自分なりの答えが出た。
これらを心がけて食事を始めると必然的にその前段階の「料理」や「メニュー選定」も大きく変わってくる気がする。食事をトータル経験として心がけることで生活の質の向上にもつながり、最終的なハッピーにつながるのかなと。
無論そんな時間が毎日あればいいが、正直毎日はキツイ。空腹でお腹に何か手っ取り早く入れたい時もある。
毎日できずともそういう日が1日でも多く過ごせたらそれでいいと思う。
以上。第一回目、幸せについて。
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