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21歳、やっと人生の幕が開けた私の話

泣きながら就活はしたくない、もうアルバイトは頑張れない、イギリスに帰りたい、もはやどこに帰っていいかもわからないと電話越しに訴えた20歳の自分を抱きしめたい。恋愛に大失敗し、大学生活も最低限しか頑張れなかった自分に言いたい。

大丈夫だ、なんとかなる。なんとかなった。

人生どないなんだが期

振り返れば、今まで生きてきた24年間、何度か人生どないなんだが期を通過してきた。

ただ18歳から21歳までは最も苦しい人生どないなんだが期だったように思える。周りが華やかな学生生活を送っている最中、私は華やかな学生のフリをした「わからない」の塊でしかなかった。

それまでの人生どないなんだが期は親の離婚だったり、親の再婚だったりと他者からの影響だったのが18歳で大学受験に失敗してからの数年間は自分の選択の誤りによって起爆した人生どないなんだが期だった。

自身の選択の誤りだったからこそ、どうすればいい方向に舵を切れるのか分からず、もがいてももがいてもマイナス転じることばかり。

だから2019年の夏にイギリスに2年滞在できるビザに当選した時、これは人生を変えるチャンス、もう選択を誤ってはならないと腹を括ってなんとか卒論を書き上げ、卒業した。卒業させてもらったといっても良いのかもしれない。

無職、友達なし、貯金12万5千円

結果を先に言うと、イギリスに来てもすぐには人生は変わらなかった。私は親の脛をかじった生かされたニートだったからだ。

パンデミックが少し落ち着いた2020年8月に渡英した時、仕事もなければ友達もいない。貯金12万5千円。母と義理の父はそんな私を信じて嫌な顔一つせず支えてくれた。

「適当な就職先は選ぶな、やりたいことをやりなさい。お金は後からついてくる」

ウエイトレスの仕事を仕方なく始めようか血迷った時は義理の父からもらった言葉を胸に、公園の鳩を眺めつつ、仕事を探した。

ここまで来たんだ、日本に帰る選択など無い。私はここで生きていくんだ!と久しぶりに心が動いた。

元気がない時は肉を食らえ!

おばあちゃんの教えである「元気がない時は肉を食らえ!」を実践した日、私は一度不採用通知を貰った会社から復活採用のメールをもらった。私が最もやりたかった、とあるギャラリーでの仕事だった。

ヨッシャァァァァーーーー!

いつものように公園にいたので、鳩も逃げていくボリュームで叫んだ。映画の主人公になった気持ちだった。どん底から這い上がる主人公の話。

この日から正式に私の人生が幕開けした。

カルチャーショックと人格形成のやり直し

いざ仕事を始めるとカルチャーショックの大雨を傘無しで浴びた。これまで何度も行き来してきたイギリスだったのに全く異なる働き方だった。

日本で経験したアルバイト先は、台風直撃でも無理をしてでも行かないと怒られたり、体調が悪くてもお休みをとても言えるような環境でなかったり、嫌われないようにゴマをすってみたり、日本の働き方に慣れ切っていた私にとってイギリスの働き方は異常だった。

色々悩むことはあったが、なんだかんだ1番悩んだのは毎日訊かれる且つ同僚全員に訊かれる

how are you today? what are you doing tonight? のあいさつがわりの質問だった。

日本では、訊かれたことのない質問だった。毎日普通に元気だし、毎日そんなにやることがない私にとってこの何気ない質問は、一体どういうつもりで訊かれてるのかがわからなかった。

仕事終わりは毎晩家族とワインを飲んでたが、毎晩ワイン飲んでる奴と思われたくない私。何か予定作りたいけど友達いないし、ご時世的に夜遊びしたい訳でもない私。

ものすごいつまらぬ奴だと思われたらどうしよう、とか元気じゃないことは言ってもいいのかなとか基本な質問に対して無駄に悩んだ。

現彼は入社した時の私を
「ザ・日本人。控えめのシャイガール。もっと積極的に職場の仲間に入ってきて欲しかったし、笑わせたいから必死に話かけた」と言う。

確かに私は日本人だった。

日本で生活を送っていた当時あれだけ日本に馴染めないと悩んだのに、英国に来てからは自分がいかに日本人らしい日本人であるかに気付かされる毎日を過ごした。

開き直った日本人が手にした信頼

友達もチャンスも何もかもが自分の積極性によって左右される環境に自ら変わらなければどうにもならないことを痛感した私は、入社2ヶ月で最初のロックダウンを経験することになった。

仕事は在宅だったので、ロックダウン中ひたすら自分と向き合い、自分の嫌いな点・好きな点・過去現在未来と向き合い続けることにした。自分インタビューと題してブツブツと声に出して自分に対して質問をぶつけ、自分で答える。

そうしていくうちに「わからない」の塊だった私はやっと自分のことをきちんと知れたように思える。凝り固まった塊は、徐々にほぐれていった。

もっと職場で活躍していきたいし、もっと自分のキャパシティを広げたい。前向きに自分自身の弱みと向き合い続ける数ヶ月間は濃厚だった。

ロックダウンが正式あけた4月。私たちギャラリー職員は新しい展覧会のオープンと共に毎日ほぼ8時間ギャラリーに立って接客する日々へとシフトした。それまで家で座って仕事してきたからこそ、この変化に私を含め多くのスタッフが疲れを隠せずにいた。

いつものようにマネージャーにhow are you today?と訊かれた私は、もうやってられないと正直に「今日は体調が悪い。立ちっぱなしがきつい。もし許されるなら今日は帰りたい」と言った。言ってしまった。

「あなたはいつもポジティブ。疲れを見せないし、体調が悪い時も言わなかったね。伝えてくれてありがとう。今日来てくれてありがとう、今日は家でゆっくりしていいから。そうやってこれからも思ってることをしっかり言ってくれるとすごく助かるよ」

と思いがけない返事をもらった。びっくりした。

また別の面談では

「あなたは何がしたい?大人になったら何になりたいの?私たちはその夢に向かってどんなサポートができそうかな?」

と変化球をもらった。またびっくりした。21歳の私はもう大人のつもりだった。

すごく誠実に向き合ってくれる上司たちに私も誠実に思ってることは隠すことなく伝え、自ら展覧会に関して提案してみたりした。何にもならなくても上司に「これがしたいです」「今度のこれ、面白そうですね」なんて話をし続けた。

自らを開いていった、受け身でなく積極的になった私だったが、日本人としてのルーツも大切にしていこうとあいさつだけはしっかりした。

日本で経験したアルバイト先の塾、お掃除、不動産、全て共通して「あいさつだけはしっかりしろ」、ましてや小学校から高校まで叩き込まれたあいさつ。

How are you が聞けなくても、 Hello!〇〇さん!

と所属の部署だけでなく、オフィス勤務の他部署のスタッフ、ディレクターとみんなの顔と名前を覚えあいさつをした。

そんなことをしてると、思いがけず「あなたのこと探してたの!こんなスキルがあるって〇〇さんから聞いてて、あなたにお願いできないかな」など他部署から翻訳から企画まで、大卒で社会人経験もなかった私にいろんな仕事が舞い降りた。

積極性とあいさつで私は社内の信頼を得たのだった。

〇〇人からの解放

書くのが後半になってしまったが、私は生粋の日本人でありながら、幼少期は香港で過ごし、15歳の時からは家族の半分がイギリス人になったため、英国を行き来する生活を送った人間である。帰国子女がほぼみんな通るアイデンティティ・クライシスを私も経験した。私は一体何人でどこが居場所なのか。英語も日本語も中途半端。何もかもが中途半端な人間。

そんな私が社内の信頼を得たのち解放できたのが〇〇人の概念だった。

私は日本人でもないし、イギリス人でもない。イギリス人の積極性・フランクでオープンなマインドと真面目で凛とした日本人を持ち合わせた私。もう自分は〇〇人という括りで自らを表現することを手放してみた。すると、びっくりするくらいに心が軽くなった。

踏み出した先に手にした自分、やっとデビュー

日本を去る時、思い返せば私のことを面白がってくれる人の方が多かった。「就職せずにイギリスに行くんだって?最高だね」「頑張ってね」「日本に帰ってきたくなったら帰っておいでよ」とみんな優しかった。

なのに自分自身はというと、とてもネガティブで不安の方が大きかった。「だからあなたには無理だって言ったじゃん」「また失敗したらどうするの?」と周りよりかは自分自身が1番の敵だった。

日本では節目、節目に〇〇デビューという言葉がついてくる。

高校デビュー、大学デビュー。社会人デビュー。みんな一直線に横並びになって、何か新たに始まる。

横並びになって一斉にデビューを果たせれば良いものの、中にはダッシュが切れなかったり、足が絡まってズッコケル人がいる。私だ。

自分の敵と向き合い、周りからの優しさに甘え、自分のペースでやっと私は人生デビューができた。マイペースでも大丈夫。なんとかなった。

実はこれから、日本に帰国する予定だ。

楽しみ半分・不安半分かと思いきや思ったよりも前向きだ。イギリスを離れるのは寂しいが、あれだけ離れたかった日本に戻って再度自分と向き合う時間は私にとって必要な時間のように思う。

最後に一つ

一歩踏み出した先に、というお題があったからこそ綴ってみたが、私たちはいつも一歩踏み出したい、一歩踏み出せたら何かが変わるに違いないと一歩を踏み出し、結果を残し、それを讃える傾向にある気がする。

忘れてはいけないのは、一歩を踏み出す時の勇気の尊さ。失敗して一歩戻ることになっても一歩踏み出そうと勇気を持った自分を讃えることを忘れたくない。

最後までお読みいただきありがとうございます。
私の2年間についてでした。

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