「気にしなくていいよ」
フランス滞在中は
こちらへ留学中のNPOメンバーと、現地の友人2人と私の合計4人で主に南フランスの各地方を周っている。
昨日と一昨日は、カリブ海に面した最南のエリアToulonへ行き、今はもうちょっと北へ上がった山エリアへ向かっている(まだ地名は分からない)。車で移動しているが、フランス人の友人が日本の歌謡曲を大熱唱しているのが愛らしい。
一応、私はNPOメンバー以外の現地2人とは今回の旅で初めてお会いした訳だけど、2人とも本当に思いやりに溢れた良い人で、快適な時間を過ごせている。
これは2人と初めて会った時から何度も言われている事だし、2人と合流する前から友人にも言われていたことになるが
「気を遣わなくていいからね」
「疲れて1人になりたい時はそうしていいからね」
「気にしなくていいよ」
と、こちらの意図を主張しやすい空気を作ってくれている。
そしてそれは恐らく、本人たちも気を遣ってそう言っていると言うよりも、本当にそう思っているから、そう言ってくれている。だから本当に意見を主張できる。
日本にいると、どうしても周りに合わせようと「我慢」することが当たり前のような空気があるし、
主張すると「アイツはわがままな奴だ」「空気が読めない」「愛想がない」
などなど、どうしてもネガティブな一面に捉えられて嫌悪されてしまうこともある。
それがその人の「個性」だと思えれば良いのだけれど、「協調性」という名のある種暴力的な強制力が、知らぬ間に私たちの中に根付いてしまっていたのかもしれない。日本で言われる「気にしなくていいよ」は、それを発した相手の背景には「配慮しとけよ」という意図があるのでは無いかと勘繰ってしまうのが日本にいるときの私の悪い癖だった。
しかしながらフランスでは、どちらかと言えば、そうした自己主張はポジティブに受け取られる事が、根底にある気がする。
4人で談笑していた時に、1人がふと皿洗いに席を外した時も、
日本人的な感覚からしたら
「1人にやらせてしまって申し訳ない」
「手伝った方が良いのではないか」
と、そう感じてしまうこともあるだろうが
フランス人的な感覚からしたら
当人は1人になる時間が欲しくて、自発的にやっている訳だからむしろ
「手伝いは要らないから1人にしてくれ」た方が思いやりに繋がっていたりもする。
どうも私たちは、そんな風に他人へ対して必要以上に気を使いすぎてしまっている節もあったみたいだ。
だから、初日から友人たちが言ってくれている
「気にしなくていいよ」
は、本当に気にしなくて良くて
自分は自分でヨロシクやってるから、
お前もお前でヨロシクやってくれよな
という、自立と尊重の両立があるんだな
と感じたことがあったので、今日はそんな話。
おしまい。
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