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事故で入院した時に出会った気のいいおじさんと貧困ビジネスの話

ロードバイクに乗っていて昨年の10月末頃、事故にあった。
完全に車が前方不注意で10割の被害だった。
とはいえ、実際には公道での事故なので相手の保険会社が泣きを入れてきて9割での戦いになった(特にこちらはそこまでこだわってなかったので、弁護士を挟んで納得いく形にした)

さて、そこの話はまた別でするとしてその際に緊急入院した先の病院での出来事。

神奈川のとある病院で入院したわけだが、整形外科にMRIがある大きな病院だった。
検査の結果、腰骨と大腿骨付近のヒビだったので外科への入院。
ちなみに初診では腕や足のアスファルトとの切り傷のみで特に大きな問題はなしとされていたが、診察帰りに立とうとしたら激痛が走り、とても歩ける状態ではなかったので先生に本当にそれだけですか?と言って再検査させたらやっと判明した。

これは僕からのアドバイスですが、少しでも普段と違う体の異変は絶対に、絶対のその場でいったほうがいいです。
後日になるほど保険もおりなくなるし、当日の手続きでないと別の日常生活での怪我とされます。

さて話は戻して、事故での入院は初だし、そもそも眼科や内科以外でお世話になるとは思っていなかったのでとても大変だった。
だってロードバイク乗る時ってスマホと最低限のお金しかもってないから、入院費も払えないし、当たり前だが着替えもないしで独り身にはとても無理があった。
こういうとき家族がいたらなぁとありがたみをとても実感する。
まぁ誰も呼べないんだけどね。

仕方ないから背中ポケットに入れておいた防水ポーチから1万円を出して(本当に現金持っていてよかった)看護師のお姉さんにこれでパンツと歯磨きセットやらを購入してくださいと代理でお願いした。
そう、病院には代理で買ってくれるシステムがある。
ちなみに歯ブラシからカップからティッシュから何から何まで、当たり前だが有料である。
サービスしてくれるのは水くらいである。

当然、充電器なんてネカフェやホテルでもないし備え付けされてるわけでもないので困っていたらところ本題のおじさんと知り合うことになる。

4人部屋だったわけだが、隣のおじさんはここの常連らしかった。

「お兄さん、新入りかい?どうした?」

って感じで声をかけてくれて

「いやーロードバイク乗ってたら車に横から無茶な追い抜きでやられましたね」

「そりゃー大変だったな。でも生きてるだけ良かったよ。困ってることあるかい?なんでも聞いてくれ。看護師の人とも仲いいからだいたい押してやれるぜ。」

こんな感じでとても気さくで話しやすいおじさんだった。

「俺ぁここに何度も入院しててな。今回も検査入院だけどもう5回目だわ、がはは」

なんて豪快に笑うけど、それは結構やばいだろって思いながら、年齢もうちの母親と対して変わらないことを知って、老人は本当にちょっとしたことで体調や怪我をしたらこうなるんだなと実感する。

「いや、あのスマホの充電出来なくて…」

と最も困っていることを伝えたら

「あーそんなら俺のやつ使ってないから貸すよ!」

って速攻でTYPE-Cのケーブルを貸してくれた。
まじでありがたい。
とにかく知り合いに連絡取りたいし、状況をメモしたいし、弁護士や事故ったときの対処を調べたかったのだ。

この日を境におじさんとは結構プライベートなことも話すようになった。
何しろ日中本当に動けなくて暇すぎて、食う、寝る、話す以外何もないのだ。
自分の場合は足の怪我と大腿骨付近の骨折もあったのと、点滴を打っていたこともあり、余計に動けないので待合室へTVを見に行く事もできなかった。
こんなときスマホがあって本当に良かったと心から思う。

そんなおじさんとの会話で僕が印象深かったのは仕事の話だった。

皆さんは貧困ビジネスをご存知だろうか。
お金がなくて貧しい人を食い物にする仕事のことだ。
仕事なのか詐欺なのかグレーだと個人的には思うのだが、世間的にはお金がない若い女性などがよく取り沙汰されているが、実情は様々な年齢層の人がいる。

今回は俗に言う差別用語で言われるような土方の人が対象だった。

「おらぁ、土方のやつらをまとめる現場監督でよ。結構もらっていたんだぜ?」

などと少し自慢げに話すおじさんから出てきたのは俺の想像していたよりやばい実情だった。

「まず、ホームレスや身寄りがないやつや、ムショから出てきたり、ちょっと訳ありで自宅がないやつ、外国人やまぁそういうやつらを集めてきて5人一組とかで売るんだわ」

売るってなんだろうって思いながら話を聞いていくと、労働力として仲介業者に紹介することらしい。

「そいつらをくっそ安いアパートみたいな寮に詰め込んでさ、1部屋4畳もないような部屋なんだけど、一応水道はあってな。そこに住まわせてやるわけ。」

なるほど、まぁ路上やネカフェよりはいいっすよねと相槌を打つ。

「行き場も仕事もないやつらだから、食費だけ渡してな。逃げられたら困るから後はこっちで管理するっていう建前で、通帳やその他身分証明できるものは預かっておく。こうすることで中間マージンを得られるのが現場監督の美味しいところ。」

なんかどっかで似たようなことを聞いたこともあったけど結構酷い現状だった。

「大体一人あたり1日で8000円いかないくらいなんだが、そっから食費、日割り家賃、管理費を引いて残りは中間業者と現場監督で割り勘して、たまに同じチームの若いやつに風俗や飲み連れて行ってやるとそれだけで信用されて仲良くなって信頼されるってわけよ、がはは。」

はーなるほどなぁ…まぁ若い奴らならそれで騙されて兄貴すげーってなるよなっていう。

「それがこの業界もむしろここ数10年はかなり儲かっていて、特に建築業界の更に現場にきたいやつって全然いねーから、単価がすげーんだわ。仕事の稼ぎはこっちに丸々入って、こいつらに渡すのは食費とたまに遊べる金だけでいいからな。」

ウシジマくんかよって思いながら、まぁ彼よりはまだ人権的なのかもしれん。

「そいや兄ちゃんはどんな仕事してるんだ?」

突然の質問に僕もIT土方してます!とか冗談で言おうかと思ったが流石にあれなので

「あーなんかパソコン使った仕事してますね。プログラマー?ってやつです。」

とだけ答えた。

「そいつはすげえなあ。頭良さそうだもんな。俺の娘もなんかどっかの専門行ってたけど、事務になってたわ。」

衝撃の事実でおじさん既婚者で娘さんまでいた。

「だけど嫁さんと別れてから、全然会ってないし、また娘に会いてぇけどこんな父親じゃ嫌だよなぁ。今は現場監督なんて出来なくて、ビルの清掃業だけやっててさ。それももう怪我でやめさせられたんだけどな。んでも一応結婚資金も貯めてたりしたんだぜ。」

思っていたより娘溺愛のようだった。
酷いことしてても人の親なんだと。
やはり子供ができるとそんなもんなのだろうか。

「いやきっと娘さんも連絡取ったら会いたいって思ってるかもしれませんよ?」

なんの確証もないし慰めにもならないかもしれないがそう伝えたら、困ったような、そうかなぁみたいな笑顔でおじさんは頭をかいていた。

まぁこの話にも色々思うところはあって、僕の父親は本当にクソみたいなやつだったことを描いていく必要がある。

僕の母親と東京で出会って結婚した父親は北海道から出稼ぎで出てきていた男だった。
まぁちょっとお人好しで頭が足りてなかった(母親談)から何度も会社や友人に騙されて金を取られて借金まみれだったそうだ。
僕がお腹にいるときも借金取りや会社の連帯保証人になっていたことで各所から電話がかかってくるし、とても苦労したらしい。

結婚してからも母親の親族や親戚にすら金の無心にくるほど本当に厚かましいことをしたり、タバコ吸うし、酒も飲んで暴れるし、後から父親からだけ聞かされた事実だが浮気をしたりしていた。

絵に描いたようなクズだが、息子の僕にだけは甘かったらしい。
あまり記憶はないがたしかに小さい頃はディズニーランドや誕生日にはファミコンソフトを送ってくるような父親だった。

そしてなんとなく察してはいたが幼少期の時点で離婚をしていたわけだが、その後とある事件があった二度と会うことはなかったのだが、僕が30を超えた頃にプライベートで色々辛いことが多くあり、その際に母親からお父さんにあってみたらどうかしら?と何故か急に勧められたことがあり会うことにしたのだ。

そして待ち合わせは川崎。

まぁ世間のイメージでは川崎はホームレスやガラが悪いやつが多く、汚い街のイメージだろう。
実際には地区も広いし単純に川崎といっても色々あるのはそこから数年後に知るわけだが、当時はやっぱ土木関係の仕事を転々としてそんな生活してるクズ親だからそうだろうなとは思っていた。

とある駅で待ち合わせていたのだが、最初、それっぽい人が歩いてきたがまさか父親だとは一見ではわからなかった。
会ったときはかつての面影はほとんどなく、ハゲて痩せこけて、なんか小さい頃見た父親とは別人の背が小さくなった男がそこにいた。
母親から数年前に現場の大事故で顔の半分をかなり酷い怪我したとか、体の半分が大変になっているみたいなことを聞いていたのだが、たしかに面影がないのはそういうこともあるかもしれない。
どこかでニュースになっていたらしいが、死亡しない限りは名前までは出てこないから知らなかった。

そんな父親に15年ぶり?くらいだろうか。
久々に再開したなんだか嬉しそうな顔して僕の名前を呼んでいた。

正直、この時点で色々感情がぶわーっと溢れ出てきたがぐっとこらえてとりあえずいつも行くという居酒屋へ連れて行かれた。

そこはたしかに常連しか行かないようなよくわからない場末のバーだった。そっからは酒も入ってたしあんまり覚えてないが、わかったことは以下のこと

・僕が結婚してるとか何故かわからんけど周りに言ってた(何故?)
・優秀な息子でいいところに勤めている(優秀かはともかく世間の平均よりは遥かに稼いではいる)
・母親には隠していたが浮気を各地でしていた(まじかよ…)

他にもここには書けないようなことを自慢?誇らしげに?話していた。

僕は母親が苦労して生きてきたこと、慰謝料も養育費も全く入れない父親、親戚からはこの親父のせいでとても形見が狭い思いをしてきたこと、僕をたった一人で育ててくれたこと、めっちゃ古くて小さいけど夢がある家を買って柴犬ももらってきて一緒に過ごしたこと、大学資金を貯めてくれていて僕をきちんと学校に通わせてくれたこと。色んなことを思い出していた。
父親の話はスルーでなんかわからんけど母親との思い出ばかりが浮かぶ。

なんだか本当にこんな男と血が繋がっていることが悔しくて、悲しくて、何故母ちゃんを苦しめたのかってずっと胸ぐらを掴みかかりそうになりながらも、幼い頃に一緒に動物園行ったり、海行ったり、楽しく遊んでくれたことを思い出して理性を保っていた。

親父が酔い潰れたあと、バーのママが

「あなたのこといつも自慢していたのよ。今頃結婚してるし、すげー頭良かったし運動神経も良かったんだぞって」

たしかに小学校5年まではそうだったし本当に万能だったし自分で言うのも何だけど何でも出来た。
ただ、目の障害が発覚してから、とても大変だったけどそれは言わないでおいた。
それにこの目の遺伝は父親の祖父母からのものだっていうのも黙っておいた。

本当に何故僕と母親がこんな苦労をして生きてきたのか。
それでも母親は苦労はあるけど最近は僕と旅行も出来るし、幸せだと言ってくれている。
けどもっといい人生もあったのではないかと。
人の人生を勝手に不幸だと決めつけるわけではないけど、よく愚痴をこぼしていたし、ばあちゃんからもお前の親父はっていつも言われていた。

そんな様々な感情が渦巻いて泣いた。

声をあげず、おしぼりを目の上に当てて酔った顔を冷ますかのように感情を押し殺して上を向いた。

ママも他の常連も父親に再開出来たことを喜んでいたように見えただろう。
もしかしたら聡いママは気づいてたかもしれないけど、あまりに情けない何も変わってない父親と取り巻く環境に俺は情けなくなった。

帰りはタクシー代くらい出しなさいよっていうママの言葉のおかげで終電過ぎたけどタクシーで自宅まで帰ることが出来た。

それ以来父親から電話が何度かきたけど、会うことは出来ないと伝えて連絡は途絶えた。

何故この話を延々を語ったのかというと、まさに序盤に書いた貧困ビジネスの話が繋がってくるからだ。

父親は会社に騙されて借金を背負った上に、土方をして日雇いの仕事で生きていた。
体が動かなくなってからはまさに病室の隣のおじさんのやっていたビジネスのカモになっていたわけだ。
更に家族もおらず、学もない、事故で体が満足に動かないやつを誰が雇うというのか。
騙されたり、食い物にされるほうが悪いというのも一理はある。
ただ、こんな父親ではあるがきちんとした会社で働くことができていれば・・・と思わずにはいられない。

たらればは嫌いだ。
でも、人生のどこかで一つ歯車が狂っただけでこんなド底辺のやつらがど底辺のやつの餌食になるのがもうなんとも言えない。

色々お世話になった手前、おじさんには終始キャバ嬢御用達の「さしすせそ」で乗り切ったが、僕はずっと父親のことを思い出していた。

退院前におじさんにはもう一度娘さんと連絡を取って話してみることを勧めた。
なんとなくだが、おじさんの病状的に次はもう会えない気がしていたからだ。

一週間ちょっと過ぎて退院してからは即母親に電話し、なんか色々話をした。
ただひたすらに感謝を伝えたくて、でも言えなかったけどそれっぽいことは伝えた。

「早く電話してきなさい!お母さん心臓止まると思ったわ」

そうだよな、ごめんな・・・心配かけたくなかったんだ。

おじさんはちゃんと娘さんに連絡して会うこと出来たかなぁとか思いながら、母親に心配かけたことを謝りつつ、僕には片方だけでもきちんとした親がいてくれたことを感謝した。

あれから1年。

元気になったけどすっかりなまった体を鍛えつつ、趣味であるロードバイクに再び乗り始めた。事故には前より遥かに気をつけながらね。

あの道を通るたびにちょうど去年の今頃の事件を思い出しながら走っている。


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