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写真を撮る時に注意している事

これから書くことは、過去の様々な個人的体験でカメラで撮影する時に自分で意識して注意している事です。
あくまで私自身に対する訓戒みたいなものですから、他の方に当てはまるかどうかは判りません。参考にとどめておいて下さい。
また、絞りが云々、レンズがどうの・・というカメラの技術的な事でもありません。

初めてのロンドンで撮影したもの

撮影の為に海外に行く事は何度かありました。初めてロンドンに行った時、ロンドン市内で最初に撮影したのは郵便ポストでした。

タイムスタンプをみたら2003年でしたので20年ほど前の撮影です。
最初見たとき、歩道に赤い面白い形の物が立っていたのでなんだか判りませんでした。観察してやっと郵便ポストである事を理解しました。日本のポストとはかなり違っていて発見当初は少し興奮しました。

特に海外に行った時の撮影はそうなのですが、空港から街に出ると、あらゆる周囲の風景に目が行き、日本で日頃見慣れた物とは違った造形物やデザインが印象に残ります。撮影意欲も倍増して集中度もアップします。

海外に出ると、デザインや形状が異なれば目の中に飛び込んでくる、というのは当たり前の事です。しかし、よくよく考えるとそれは自分の意識が「当たり前」の世界から「当たり前じゃ無い」世界にスイッチが切り替わる為です。

意識のリセット

当たり前」の日頃見慣れている自分の家の近くの道路や周囲の建物は、無意識の内に「ちゃんと観ること」をカットし「当たり前」となっているのです。

例えば、出勤の為、毎朝家を出て駅まで歩いて行く時に目に入る風景をいちいち改めて観ようとはしません。昨日も、一昨日も同じ風景だから、「今日も」同じ風景だと意識が信じ込んでいるのです。もちろん、毎朝通勤で通る道の事象をいちいち改めて観ようとするのは、ある意味、面倒な労力であり、エネルギーを消費します。

海外に行くとあらゆる物事・風景が新鮮に自分の中に入ってくるけど、日本国内の日々の生活圏では撮影において全然良い風景が見当たらない。もしこの様に思うのあれば、それは人為的に自分の意識をリセット出来てないからだと思うのです。
私自身は、日頃の撮影の為の訓練として普通の生活圏で買い物に行くときでも周囲を観察するようにしてます。春夏秋冬木々は変化しているのですが、それ以外にも足元の敷石やガードレールの形状や色なども観察したりします。昨日もそうだったから今日も同じ、という意識は捨て去るべきだと自戒しています。

日本に居ながら日常の生活圏でも、もし意識がリセット出来れば、新しい世界、美しい世界を見つける事が出来ると信じています。


自分の眼、他人の眼

昔、京都と奈良の紅葉を撮影に行った時のことです。
どの寺社の庭園も美しい紅葉で素晴らしかったです。
特に秋の京都は観光客も異常に多く、少し僻地を選ばないと宿泊も難しかったです。
あるお寺に行ったとき、そこの池の水鏡にさざ波がたち、美しい光景に出会いました。

2006年に撮影した写真ですが、この写真を撮った後、私の背後にいた2人ほどが、私のあとをつけ始めたのです。金魚のなんとかみたいに付いてくるのです。もちろんカメラを持って。私があちこちで撮影する度に付いてくる人数が多くなり、最終的に数人の撮影団体になってしまいました。

私はこの時、心の中で怒っていました。

何で自分の眼で観た世界を撮影しないのか?  他人の眼に頼ってまでも良い写真を撮りたいものなのか? コンデジを持っているカメラマンならいざ知らず、一眼レフを持って私より良いレンズをつけているカメラマンが私の眼に頼っているのは何とふざけたことか!!

と、まぁ、こんな感じでずっと怒っていました(笑

ある日、床屋で順番を待っていたとき、置いてある週刊誌を手に取りました。その中で、あるプロのカメラマンの手記があり面白かったです。

そのカメラマンが自身の見つけたとっておきの撮影場所があって、その場所に入っていく時は周囲に人がいない事を確認して入っていき、出るときも他人がいない事を確認して出て行く・云々、という事でした。

私も上記の体験でこのプロのカメラマンの心情がよく理解できました・・当時は。プロでもそうなのだから、アマの自分でも同じ心境になる、と納得していました。

ところが、ある時、その想いに大きな変化がありました。

早春、ある植物園の梅園で満開の梅の撮影をしていました。
周囲全てが満開の梅の花尽くし・・で一体どこをどの様に撮影したら絵になるのか悩んでいたとき、一つの美しい光景を目にしました。

2010年に梅園で撮影しました。この写真を撮ったときに少し嬉しくなり、全く見ず知らずの横にいた女性のカメラマンに声をかけ、この撮影ポイントを教えました。そんな事はしたのは初めてでした。当時、よっぽど浮かれていたのだと反省してます。
それでそのカメラマンの持っていたカメラは、ニコンで自分のカメラと同じような画角のズームレンズをつけていました。私は焦点のポイント等を教え、そのカメラマンは、ほぼ自分のいた位置から撮影しました。

で、撮影結果を見て驚きました。
まったく似て非なる映像でした。カメラメーカーこそ違っても、私の撮影した写真を見て、なおかつ同じようなズームレンズで撮影したのですが、全然印象の異なる写真だったのです。

この件で、私は一つの見解に至りました。

人は同じものを見ていても、違ったものを見ている。

という事実を発見したのです。
この発見はとってもショックでした。手取り足取り教えてまったく異なる結果となる。とても面白いことです。

同じ風景を見ていても、人それぞれ違う信号を受信しているのです。

昔、プロのカメラマンに出会ったことがあります。ある高名なカメラマンは、写真は、光の科学だ・・という見解でした。単純に室内で2つの光源から撮影対象物にライティングした場合、右の光源を70%の強さにして左からの光源を30%にして撮影すれば、誰でも同じ写真がとれる・・という様な科学的な見解の方。一方、「自分の心の想いが、撮影結果に反映する」という意見のカメラマンがいました。

もちろん、どちらの見解であれ人それぞれなのですが、最近の私は、後者の自分の意識が映像に反映するのではないか、と思っています。

上記の見解に至って後は、他のカメラマンに同じ位置から同じ画角で自分と同じ撮影対象を撮られてもなんとも思わなくなりました。

似た写真は撮れるかもしれないけれど、同じ写真は撮れない事を知ったからです。

まとめ

最後に、撮影の際に自分で注意する事項および教訓のまとめとして、

  • 撮影時には、意識をリセットする

  • 日ごろから、意識のリセットの訓練をする(意識的選択を実行する)

  • 同じ方向を見ていても、他人と自分は同じものを見ていない

  • 写真には自分の心の想いが反映する

ということに注意してます。
これらは私が過去の経験上から得たものなのであくまで参考のみにしてください。




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