お片付けの神様

365日中、350日は家の中がとっ散らかっている。片付けられているにカテゴライズされている15日は「大人が来客として来る日」だ。最初は子どもが来るときも片づけていた。今はどうでもよい。慣れというのは恐ろしい。怖いものがないって強い。

ゴミはゴミの日に出すし洗濯物もたたんでいる。掃除機だって毎日かけている。けれどずーっと、とっ散らかっている。どれくらいとっ散らかっているか

母と妹が家に遊び来ることになり、とりあえず自分なりに全力で片付けをする。当日、2人が家につくなり腕まくりをし、「さぁ掃除すっか!」となるレベル。気づいたら掃除機をかけだし、水場に向かっている。つまり、CHOCOが全力で片づけても彼女らの足元にも及ばないってこと。

母も妹も、すごくきれい好きだ。彼女らの家は犬がいようが、幼児・赤子がいようが、チリ一つ落ちておらず、家はいつもきれいに整頓されている。同じDNAを受け継いでいるはずなのに、きれいに片づけてもらっても3日も持たない。神様って不公平だよね♡

まず、収納グッズ。どのような大きさ・形の物をどう配置すればスマートにしまうことができるのかがわからない。なぜ「見えない収納グッズに金を払わなくてはならないのか」という、貧相なアイデンティティが邪魔をしている。これは「美容師をのたうち回らせるくらい笑わせ、その上髪の毛まで失っているのになぜ金を払わなくてはならないのか」というところに通じるものがある。

また、こまごまとした子どものおもちゃも無限にわいてくるのも問題だ。それこそ最初は木のおもちゃ・ぬいぐるみ・プラスチックなどと分けて整頓していたが、永遠に繰り返される苦行に疲れ果て「でかい段ボールにぶち込む」が定番となった。でかい段ボールは数を着々と増やしている。入っててよかったAmazon Prime。

「今日はトーマスのプラレールがいるんだ!」段ボールを延々とほじくり、結局ひっくり返す羽目になる。そしてその段ボール自体が遊具となり、破れはて、行き場を失う無限の星(TOY)たち。

これは服やパンツにも言え、一事が万事この調子なのだ。

お片付けの神様(母)はいう。

飾ることを考えるのは、片付けてから。100年早い
収納スペースは”今あるものをギリギリ直せるスペースをつくる”のではなく、余裕を持って設けるもの
一つ一つ見返していたら捨てられないのはわかる。そのモノに思い入れのない第三者にガンガン捨ててもらうべき

お、おっしゃる通りです…(ぐうの音)←永遠に出てこられない←ぐうの音って何

我が家にバズやウッディーがいたら、おもちゃ箱から身動きが取れず永遠に外に出られない。CHOCOのずぼらのせいでめくるめく友情と冒険の物語が…!!!

”母は一日にしてならず”というけれど、わたしより後に母になった妹はそのスタートからCHOCOをぶち抜いてもうだいぶ先を走ってる。

もう「コジマジック」に頼むしかないのか…!!!???

AH!!神様 ほとけさま コジマジック様!!

ダメだ!語呂が悪い!やめだやめだ!!

神様は片付けのメーターを限りなくゼロにした代わりに、他の能力を授けてくれているはず。

・腐ったものを食べてもビクともしないお腹かな?

・時計を見たら朝でも夜でも9時31分ばかりだという謎の奇跡?

いやいやまだまだ、整理整頓しつつ探している最中。

なかなかどうして、お片付けが下手で見つからないんだ。

とてもよい絵本。親近感しかわかない。

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