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近場で探すとブラックばかりだった…

シングル子持ち時代のとんでもない会社のブラック体験いろいろ


いつもお立ち寄りいただき、ありがとうございます。m(_ _)m

還暦も過ぎて、年金丸々支給まであと3年。
母のお世話の為に自宅を離れ、田舎で二人暮らしをしていますが、無職になってしまった為あっと言う間に貯金も尽きました💦
幸いコロナが下火になり、都合の良い求人を見つけ慌てて昨年から週2日だけ働き始めました。
まだ母も留守番は出来る体調なので、なんとか生き延びています。

子供達が中学生と小学生の時に離婚してしまい、
働く事は覚悟の上でしたが、近場で都合に合った働き口を見つけるのには苦労しました。
子供がいる為、やはりフルタイムの正社員は敬遠せざるを得ませんでした。

最初の職場は、駅チカのスーパー事務でした。
レジは煩雑な作業が覚えられないしお客様との対面は超苦手な為、裏方に徹する事にしました。
でも…
月日を減るにつれて雇用環境が少しずつ変わっていき、時には応援で苦手なレジに入る事もあり、なんでもこなさなければならなくなりました。
最終的にはスーパーの営業時間が伸びたのに伴い、終わりの時間が0時近くの遅番となる事が増えたので、退社しました。
子持ちで夜中上がりって… 
ないわ〜💦

2つ目は、近くの建設会社の事務兼経理補佐のフルタイムパート。
社長も専務もとても良いご夫婦でしたが、これがとんでもない会社でした。
悪の根源は経理課長。
経理課長と言っても皆が現場に出てしまえば、事務員は課長と私の二人だけの小さな建設会社でした。
社員は2人の監督兼大工さん、設計士1人と不法就労(後に知りました)の外国人一人でした。
何年かすると外国人が強制退去させられたのか姿を消し…
そして、肝臓癌多発体質の社長が、
「ちょとまた癌を切ってくる。」と入院したまま、医療ミスであっけなく命を落としました。
とても元気な社長だったので、皆かなりのショックでした。

何故医療ミスだと言えるのか… と言うと、
私が、執刀医の先生からのただならぬ電話を取ってしまった事で分かりました。
全国的にも有名で社会的にもかなり貢献している大病院でしたので、青天の霹靂でした。

先生は、かなり慌てて尋常ではない精神状態で電話を掛けて来られました。
社長の奥さんである専務とわたしを間違えた様子で、電話の相手を確認する事もなく、震える声で、
「申し訳ありません!私が切りすぎてしまって、ご主人が危篤です!」と、おっしゃいました。
「ちょ、ちょっとお待ちください。専務と代わりますから💦」
というやり取りをいまでも鮮明に記憶しています。

その後、もちろん大病院は医療ミスを認めるわけはありません。他の大病院に解剖してもらい原因究明をした結果、ミスは認められないと言う病院側の言い分でしたが、その大病院も互いに隠蔽?し合っている病院と思われますから、説得力はありません。

奥さんである専務が下した決断は、
執刀医の先生は以前からお世話になっているとても優秀な良い先生。
社長の事で先生が医師として活躍できなくなれば、多くの人達の命が救えなくなる。
と言う事で、争うことはやめました。
夫婦仲が良ければまた決断も変わっていたかもしれませんが…。

白い巨塔を垣間見た気がします。

そして…
社長が亡くなった後、整理するに伴い、社長と課長が会社のお金を横領していた事実が発覚しました。
私も経理補佐だった為共謀を疑われましたが、無実の身。
課長がクビになった後、会社に残り奥さんと一緒に悪事を炙り出しました。
奥さんは、経理課長を採用したのは私だから私の責任だね。情けないよ… と、警察沙汰にすることもせずに段々力を無くしていきました。
専務から社長になっても、当時は女性が建設会社を経営するのは風当たりが半端無く強く、奮闘虚しく廃業となってしまいました。
驚いたことに、クビになり消息不明となっていた元課長は、ちゃっかり取引先だった会社に再就職していました。
そして、あろうことか私に連絡をしてきて(まぁ会社に電話してきたのですが)、
「そんな会社にいないでこっちに来ないか?」と言ってきました。
ビックリでした。
うまく証拠を隠したつもりだったのでしょうか、自分のせいで私まで大変な目に遭っているのを分かってないようでした。
悪事に手を染める人間というのは、そんなものかもしれません。

3つ目はカーアクセサリー製造販売の会社でした。
この会社、最初から怪しかったのですが、他に検討の余地もなくフルタイムパートとして入社。
面接時に、
今は社会保障に入れてあげられませんが、近い将来入れるようにします。
駐車場も今は空きがないのですが空いたら使っていただけますよ。(電車で通うより車の方が格段に近い)との話でしたが、
結局のところ、社会保障も入れてもらえず、駐車場も社員優先の為使用させてもらえないまま8年が過ぎました。
騙されました。
しかもセクハラ係長が居るとんでもない会社でした。
どうやっても改善されないままに8年も甘んじてしまった自分が悔やまれます。
最後には、フルタイムパート3人で、自分が作った役立つファイルを全消去して一斉に辞めるというリベンジをして退職しました。
  余談…この時期は夜のパチンコ屋の清掃とのダブルワークでしたが、パワーがありすぎたのか不覚にも両手がCM母子関節症になってしまい不自由な身となりました。(現在は筋肉でカバーしています)

最悪のブラック体質が露呈したのが、東日本大震災のあの日でした。
神奈川にある会社なのにかなりの揺れで腰を抜かす女子がいたり大変な騒ぎとなりました。
気付けば、うちの会社の人間だけ外に飛び出していました💦建物が盛土の上に安普請な造りのせいだったからでしょう。
落ち着きを取り戻すも、会社側からはなんの指示もなく帰りたいのに帰れず…
そのうちに部長が「俺、家が心配だから先に帰るよ。」とサッサと帰って行きました。
おばさんパート達が、
「子持ちのパートさんだけでも先に帰してあげてよ!」と騒ぐ中、帰宅の配車を考えているからとかなんとか言い訳をされながら定時の5時まで働かせられました。
危機管理もなく、人道的対応も何もしない会社でした。
そういえば、避難訓練などもなかった事にその時に気づき… 中小企業って、こんなものなの?と残念な気持ちになりました。(ちゃんとしてると思ったのに…)

結局、時々わたしを「お母さん! 違った…🤭」と呼び間違えるような若いパートさん達3人に泣きつかれ、我が家まで歩いて行き皆を車に乗せ、各自宅へ送り届けるというボランティア活動をする事に。
わたしはその後、パチンコ屋の清掃へ…
遅刻してしまいましたが誰の姿もなく、後から来たリーダーとの二人体制となりました。

うちの娘達はといえば、なんとか連絡が付くと、長女は仕事場で徹夜で後始末をするから帰らない。
次女は自宅で食器棚を支えながら愛犬2匹を守っていたそうで「こっちは大丈夫!」と頼りになるところを見せてくれました。

こんな時に、会社の質が露呈してしまいますね。


最後は、子供達がそれぞれ家庭を持ってからの数年前の仕事です。
会社勤めに嫌気が差したので、好きな車を運転しながらひとり体制の健康食品の宅配をしようと決めました。いわゆる牛乳配達をする事に。
埼玉県の自宅近くの営業所に登録したのにも関わらず、配達先はまさかの都内練馬区となり、日々渋滞と駐禁取締りメンズとの戦いが繰り広げられました。それとマンションの宅配ボックスの争奪戦。
なかなか戦いガイのある仕事でした。
拘束時間が長過ぎる上に、ここの店長がまたかなりの曲者でした。
面接は社長。パートなのに、わざわざ日本橋の本社まで面接に呼び出されて、
ん?なんか違うかも?と感じました。
後日、次期社長さんと噂されていた人物から(後に知りました)、
「◯◯店の店長は、中途入社のまだ慣れない人なので店長補佐的な立ち位置でお願いをします。」と言われました。
また仕事を始めてもいないのに…?
仕事を開始すると、聞こえてきたのは配達員のおじさんたちの店長に対する愚痴ばかりでした。
ほぼ全員、私に愚痴をこぼしてきました。
【こんな店で働くのは辞めたほうが良いよ。】
という、皆さんの気遣いだったと思います。
始めは、店長と一緒に新商品の説明会に出席させられたりもしました。パートなのに…
まあ、入ったからには頑張ります、と言うのが私のスタンスですから、改善すべき所は改善するべく意見も出させていただきました。
最初は普通の人当たりの店長でしたが、誘われた食事を断ってから態度が変わったような気がしました。
パソコンをいじりながら、
「ここが僕の家で… ◯◯さんの家はここだよね?駐車ひろいよね。」などとゾッとする詮索をしたり、
ルートの引き継ぎで車に同乗した時には、ここは僕が前に務めていたガソリンスタンド。店長がほら?アイツなんだけど、嫌なヤツでさー…。くたばれよ。」と、ヤバい発言をしたり。本当に気持ち悪い人だったので、一緒に食事などしたくもありません。

集金した金庫の現金回収を疎かにしてお客様に二重に集金する事態を引き起こしたり、提案に突然ブチ切れる事が次第に多くなり、おかしくなっていきました。
キャパオーバーからのストレスが原因だったかもしれません。しばらくして、左遷されてしまいましたがまた次の店長が…🥴

ある冬の雨の朝、
私はお客様の敷地内でうっかり足を滑らし、頑張って立とうとした結果、右足を骨折する事故を起こしてしまいました。

こんな、洗い出しの地面でした… 危ないよ〜⚠

両手に持っていた瓶は割らずに済みましたが、右脚は【腓骨脛骨粉砕骨折】していました。
立とうとすると逆に曲がる脚…
痛みはそれ程ではなかったものの、その状況に真っ青、真っ白にもなりました。
周りに誰もいなかったので、あちこちに掴まりながら車まで戻り店長に連絡。
驚いた店長でしたが、自分の配達を終えてからきてくれるとのこと。その間に近くの救急病院を探しました。
お昼前に店長が駆けつけてくれて病院へ搬送してくれました。
救急処置をしていただき「できるだけ早くこの病院に行ってください。入院準備してもらいますから。」と、家から近い外科病院を紹介していただきました。

そこまでは順調でしたが、店長が救急病院に迎えに来てくれた後は、
「残りを今から配るので助手席に乗って家を教えてください。」となりました。
生物の配達ですから、そうなりますかね〜😭
と言う事で、配り終え他のお店に寄り、車の回収要員と共に事故現場に戻り、自宅に送り届けていただいたのが6時頃でした。
入院準備をし外科病院に電話を入れると、
「遅いですね〜。夜は人員不足で対応できませんから明日きてください。」
となりました😱
一夜にして脚はパンパンに腫れてしまいました。

後々、その日をもって退職させていただきました。
ご迷惑をお掛けして申し訳無く思いましたが、出来るだけの事はしたつもりです。
入院1ヶ月、プレートを入れて、外すまで全治1年の怪我でした。
  余談ですが… 転んだだけで足を粉砕骨折する人は珍しいそうで、
「交通事故だっけ?」
「ドリフトなんかしちゃ駄目だよ〜。」とウンザリする程おじいさん先生にイジられました。
   瞬発力が… 半端ないのです⚡

現在は、性懲りもなく田舎で週2日同じ仕事をしています。
ただ、配達員がお休みの時は店長がひとりで仕事を交代してくれる様な出来る店長です。
  転ばない様気をつけます。

長々とお読み下さり、ありがとうございました。





























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