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イリーネと迷いの森

※とあるバンドの楽曲を基にした二次創作です。


あの森に入ったら最後、二度と戻ってくることはできないだろう――村のはずれにある森は、迷いの森と呼ばれていた。鬱蒼と生い茂った木々たちが木陰をつくり、光の差し込まない真っ暗な森。月明かりの届かない森の夜は暗く、とてもつめたい。
森に入るのなら、新月の夜と決めていた。届かないひとすじの光を頼りに歩くぐらいなら、すがるものがないほうがいっそ心強い。一度不安を抱いたら最後、呑みこまれてしまうような気がした。

「どこへ行く」森の入り口に差し掛かったところで、呼び止められた。
暗がりのなか、まだかすかに届く村の灯りを頼りにあたりを見渡す。どうやら声の主はあの老人らしい。
「森に入るつもりか」老人は語調を荒げて問いかける。
「そのつもりです」
「……志願者か」
興味本位で森へ足を踏み入れた者もいれば、消息を絶った家族を探しに森へ入った者もいる。残された人々は、進んで森へ立ち入る人間を「志願者」と呼んだ。消えた人々の生死は定かではないが、二度と戻ることができない場所へ自ら立ち入ることは、ある種の自死と言えるのかもしれない。
「人を探しているんです」
「やめておけ」老人は二歩、詰め寄る。「どうせ、見つからない」
「でも」僕は二歩、森へ近づく。「見つかるかもしれないじゃないですか」
「だめだ、そうやって誰かを追って森に入ったやつを俺はうんと見てきた」
カサカサと、枯れ葉が砕ける音が迫る。一歩ずつ、老人がこちらへにじり寄る。

「誰ひとり戻ってきてはいないんだよ」

迫りくる老人から逃げるように、森のなかへ駆け込んだ。そうしてどれぐらい走ったのだろう。息を切らせて立ち止まると、夜露がつまさきを濡らして、靴のなかがじっとりと湿っていた。足の指先がじんと痺れている。立ち止まり、あたりを見渡してみるもそこにあるのは深い夜だけだった。湿った木々の噎せ返るほど濃密な匂い。自分と森の境目がわからなくなって、からだがすっかり夜に溶けてしまったのではないかとさえ思える。
僕は、ここにいる。僕は、ここにいる。ひゅうひゅうと、自分の呼吸の音だけが静かな暗闇のなかで響いた。歩くのをやめてしまったら、自分が立っているのかどうかさえもわからなくなってしまいそうだった。

あれからどれぐらい歩いたのだろう。歩いても、歩いても、森に暗闇をもたらしている木に一度もぶつからないことに驚いた。まるで木々が意思を持って自分を避けているかのようだ。まもなく朝を迎えるころだろうか。暗がりのなかでは時計など何の役にも立たない。秒針が刻むコチコチという音だけが規則的に森に響いては、どこかにぶつかって戻ってくる。ここは森などではなく、小さな箱のなかなのではないだろうか。僕はいま、暗がりの箱をただひたすらに周回しているに過ぎないのではないだろうか。方向の感覚などとうに失われていた。もう前進しているのかどうかすらわからなかった。視界を闇に奪われてなお、土を踏みしめる感覚だけが生々しかった。



とおくで、かすかに声が聞こえる。それは赤子の泣き声のようにも、女の笑い声のようにも聞こえた。
「誰かいるのか!」
わずかに聞こえてくる音だけを頼りに駆けだす。不快なはずの響きが、ひとすじの光であるかのように思えた。あるところを境に声はひときわ大きくなり、まるで耳鳴りのように脳を揺さぶる。激しい頭痛にぎゅっと瞳を閉じると、眼前が突然ひらけた。
ほの暗くはあるものの、どうやらここには光が届いているらしい。朽ち果てた大木にびっしりと連なるカラスが荒々しく声をあげている。鳴き声は、怒声にも叫び声にも聞こえた。
「誰?」カラスたちの声を遮るようにして、今度ははっきりと声が聞こえた。つめたい声色をしていたが、それはとても、懐かしい声であるかのように思えた。カサカサと枯れ葉を踏み鳴らしながら現れたのは、カラスのような漆黒の服に身を包んだ女だった。

「人を探しているんだ」女に連れられてやってきた小屋で僕はいう。「この女性なんだけれど」
「あなたの探している人は、ここにはいない」差し出した写真に、女は目もくれず言い放った。

「だって、ここにはカラスしかいないんだもの」

女は、自分を魔女だと名乗った。なるほど、漆黒の服に身を包んだ姿はいかにもそれらしい。けれど長い鼻もしていないし、随分と若く見える。せいぜい20歳前後といったところだろう。童話に登場する魔女とは大違いだ。
「探し人が見つかるまで、ここに居させてほしい」と僕は言った。
「すきにすればいい」と魔女は言った。
目深にかぶった帽子でよく表情は読み取れなかったが、笑っているように見えた。既視感。どこかなつかしさを覚えるその口元に、こころが焼けて、爛れていく。
魔女に名を問うと「名前などない」と答えたので、イリーネと名付けた。かつて愛した人の名だと告げると、女はつまらなさそうに笑った。



「明日は大晦日だ」とイリーネは言う。
僕が村を出てから随分と長い月日が流れていたことに驚く。気がつけば、イリーネとの奇妙な二人暮らしは、半年間にもわたっていた。彼女との暮らしは静謐だった。小屋の奥には膨大な数の書籍が並んでいて、彼女は暖炉のまえで一日中本をめくっていた。彼女の読む本をめくってみようとしたことがあったけれど、僕の知らない文字がずらりと並んでいるだけでちっとも読めやしなかった。食事は一日に一度、彼女がどこからか用意したものを向かいあって食べた。あまりの美味しさに夢中でかきこむのに、どんな味かどうしても思い返すことができない、不思議な味だった。ゆっくりと呼吸をするような穏やかさで生きる彼女に寄り添う時間はしあわせだった。ずっとこのままでいられたらいいのにと、願ってしまうほどに。
「帰りたいと思わないのか」と、イリーネは僕に問いかけたことがあった。「望むなら、村まで帰してやる」と。
「彼女を見つけるまでは帰れないよ」と、僕は答えた。「ひとりきりで生きていても何の意味もないんだ」彼女は、それ以上は聞かなかった。

「ひとつ、頼みがあるんだ」大晦日の前の晩に、イリーネが切り出した。
魔法使いには契約があり、魔力の維持のために一年にひとり、魔法使いが生け贄にならなければならないこと。生け贄になった魔法使いは、悪魔から棺が送られてきたその年の大晦日に、自決しなければならないこと。そして自分の最期の日は、明日であるということ。
「棺を埋めて欲しいんだ」表情ひとつ変えずに、イリーネは告げる。
「……いいよ、その代わりひとつ賭けをしよう」僕はひとつ、イリーネに提案をする。
「僕が負けたら、きみの望むとおりにしよう。棺だって埋めてやるさ。僕が勝ったら……あの箱を開けてくれないか」

それは、ひとつの賭けだった。この小屋に入ったときから、僕が拭えなかった既視感。暖炉も、膨大な書籍が並んだ大きな書庫も――この小屋は、かつて“イリーネ”が暮らしていた部屋にそっくりだった。
僕は負けない。賭けにはトランプを使うことにした。トランプでは、負ける気がしなかった。だってそうだろう。イリーネ、きみにトランプを教えたのは僕だ。

「約束どおり、あの箱を開けてもらおうか」勝利をおさめた僕は、箱を指さした。
「……いいだろう」イリーネは、小さくなにかささやくと箱をそっと指差す。箱にぽうっと灯りが灯り、ガタガタと音を立てて蓋が開く。まるで雷のような閃光が僕たちを襲った。それはとても激しくて、あたたかい光だった。

「イリーネ、大丈夫……」閉じた瞳をそっと開くと、そこには漆黒の服に身を包んだ――かつて愛した少女の姿があった。ひゅうひゅうと声にならない叫び声をあげて泣く姿はまさに、数年前に行方をくらませたイリーネの姿だった。

僕は知っていた。運命を憂いても自ら命を絶つことさえできず、森に記憶を封じ込めることで心を絶った魔法使いの少女を。ひとすじの月明かりさえも届かない、迷いの森の正体を。

「やっぱり、きみだったのか」泣き出しそうな声で、僕は言う。
「どうして、どうして思い出させたの」このまま死んでしまえたらよかったのに、と彼女は言う。

魔法使いは、自分に待ち受ける運命を知っているのだという。残された期限が可視化されてしまうというのはなんて残酷なのだろう。運命から目を逸らしたきみを、誰が責められるというのだろう。愛する人を救いたいと思う気持ちは、僕のエゴだろうか。けれど、どうしてももう一度きみに会いたかった。



「運命なんて、変えてやるさ」僕はイリーネの肩を抱く。「大丈夫、きっとうまくいく」
「無謀よ、悪魔にはかなわない」イリーネは小さく叫ぶ。
魔法使いが運命にあらがう方法はたったひとつ、愛し合った相手が悪魔との勝負に勝つこと。負ければ死ぬことさえ叶わずに、愛するひともろともこの世から消えてしまう――イリーネが何も言わずに行方をくらませたのは、僕がこの賭けにのると踏んだからに違いない。僕に生きる勇気をくれたのは彼女で、彼女のいない世界に生きる理由などない。迷う必要はない。小屋の外でカラスが一斉に叫び始めた。それは、祝福のようにも聞こえた。
「賭けようじゃないか」

大晦日の晩に現れた悪魔は、まるで昔話に出てくる死神のような姿をしていた。黒装束に大きな鎌を持った姿は、いかにも死の象徴といったところだろうか。
「はじめようか」
不思議と、恐怖はなかった。そもそも恐怖というのは、大切ななにかを失うリスクを目の前にして起こる感情だ。大切なものを取り戻したいま、もうなにも恐れるものはない。きみを連れて、森を出る。迷いはない。

「100羽のカラスに、お前の思い人がいる」と、悪魔は告げた。
隣にいたはずのイリーネの姿がない。僕は空を見上げ、彼女の姿を探す。叫び声をあげるカラスたちが生み出した極彩色の耳鳴りが、頭いっぱいにふくれあがっていく。大丈夫、どんなに鮮やかな色のなかからでも、たったひとりを見つけられる。
僕は迷わず指を指す。それは、あのとき記憶の詰まった箱を開けたイリーネと、同じしぐさだった。カラスは風船のようにぶくぶくと膨らみ、小さな破裂音とともに少女に姿を変え、ゆっくりと落下する。呪いが解けたカラスは美しい姫になるのだ――なんて、僕はぼんやりと考えていた。イリーネを抱きかかえると、もうそこに悪魔の姿はなかった。

時は経ち、かつての迷いの森は日差しの降り注ぐ豊かな森に姿を変えた。それからちょうどそのころ、森に迷い込んだ人が帰還するという事件が相次いで、村は騒然としたらしい。迷いの森から生還した人々は、口々に「とても長い夢を見ていた気がする」と言ったらしかったけれど、僕たちの知るところではない。
すっかり力を失ってしまった魔法使いの少女は、いまとなっては相応に歳を重ねた老女だ。年輪の刻まれた指先をからめて、いつか死にゆくその日まで、僕らはともに生きていく。

おしまい。

二次創作というものをやってみたくて、書いてみました。
元ネタは、三角形の時間という、とても素敵なバンドの楽曲です。
女性ボーカルがドラムをたたきながら歌います。すげぇ。
ぜひご視聴ください。




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