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きみは、わたしのひかり

あれは、わたしが二十歳の誕生日を迎える少し前のことだった。
そのころのわたしは、毎日繰り返し、不思議な夢をみていた。
子どもを産み、育てている夢だった。

そのころのわたしの生活といえば、もうぐちゃぐちゃだった。
いちばん親しかった友人が亡くなり、続いて恋人にふられた。
ちょうどそのころ、職もなくした。
わたしをふった恋人は、わたしをふったあとすぐにわたしの友人だった女性と結婚し、まもなく自殺した。
それまで送ってきた生活が、がらりと変わった。

うまく眠ることができなくなってしまったので、薬をもらうようになった。
薬を呑んでようやく眠っても、自分の叫び声で目をさましてしまう。
なにかを打ちつける音で目をさましたら、無意識のうちに壁に頭を打ちつけていたこともあった。

奇妙な感覚だった。
脳は妙にさえていて、あらゆる感覚がクリアだった。
いままで食べていたものの味に違和感を覚えるようになった。
服を着ても、布が体にこすれる感覚が気持ち悪くてからだじゅうが痒かった。
口のなかにたまる唾液を、うまく飲みこめなくなった。
どうやって足を動かしていたのかどうしても思い出せず、突然歩けなくなってしまったことだってあった。
口をひらくと、いっしょに涙がこぼれて止まらなかった。
自分の意識とからだが、すっかり切り離されてしまったような感覚だった。

一方で、鮮明な夢を繰り返しみるようになった。
真っ白な砂丘にぽつりと佇む、箱のようなかたちをした駅。
夢のなかでわたしは、いつも同じ場所にいた。
電車に乗るわたしは妊婦だった。

そのころネット上につけていた日記には、こう記していた。

相手が出てこなかったので恐らく

わたしは未婚の母でした

お腹は大して目立たなかったけど

陣痛なんて経験したこともない癖にリアルに痛かった

母乳与えている感覚もなんだか鮮明で

やっと首の座った3ヶ月くらいの我が子を抱いて

一緒に買い物に行ったり

デパートで授乳室をさがしたり

抱いていた彼女の重みも

耳障りな泣き声も

頬をつつくと嬉しそうに笑うその小さな顔も

乳を頬張る小さなくちも

なにもかもが鮮明で

目が覚めて隣に我が子を探す日々でした


夢はいつからか見なくなり、時間の経過とともにわたしは持ち直した。
あたらしく始めた仕事はどれも面白かったし、何人かと付き合って、結婚もした。
一時期見ていた夢のことなど、すっかり忘れていた。

わたしに子どもが生まれたことを古い友人に伝えると、友人はたいそう驚いた。
わたしがムスメにつけた名前は、かつて夢のなかでわたしが娘につけた名前と同じじゃないかと彼女はいった。
パソコンをひらいて、過去の日記を探すと、確かにそこには、ムスメと同じ名前が書かれていた。

驚いた。
わたしには、同じ名前をつける意図はなかった。
夫婦ともに名づけに消極的で、ムスメの名前は妊娠中に繰り返し放映されていたCMに出ていた女優さんからいただいたのだ。
候補には、ほかの名前もいくつか挙がっていて、最終的に選んだのは夫だ。
ありきたりな名前ではあるので、被ってもおかしくはないのだけれど。

当時見ていた夢のことは、もうあまり覚えていない。
夢のなかでわたしが産んだ娘が、となりで眠るムスメと同じ子であるとは思わない。
けれどふたりとも、わたしのたいせつなひかりであることに変わりはないのだ。

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