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「野良猫にエサをあげてはいけない」の裏側にあるビジョン

20年ほど前、大学生活を送っていた私の様子を見に叔父が会いにきてくれました。

私の叔父は、満州生まれ東京育ちで地方の大学で獣医学を修めました。その後は獣医師として、さらに晩年までの数年を畜産関係の研究機関のトップとして、生涯をかけて命に関わる仕事をした人です。

叔父は、自身の娘や孫娘だけでなく、甥や姪もとてもかわいがり気にかけてくれて、特に学びに対する支援を惜しまない人でした。


そんな叔父が私の学ぶ田舎まではるばるやって来てくれたので、私は大学のキャンパスを案内しました。

田舎の山奥にある大学で周辺は自然いっぱい。

そして、キャンパスあるあるで、野良猫が多いというのも特徴的。

ランチの時にはあちこちのベンチでお弁当を食べる学生の周りにお腹を空かせた子猫たちが群がるという、一見、穏やかな構図が繰り広げられます。


いつものように、私がベンチに腰掛けると、猫たちがエサをくれとお愛想にやってきました。

あいにく、その時食べ物を持っていなかった私は、売店に行ってパンを買ってきて、猫たちにパンをちぎって食べさせました。

そして、叔父にもエサをあげませんかとパンを差し出すと、叔父は悲しい表情でこう言ったのです。

「今、ボランティアで、メスの野良猫の避妊手術をしている。食べ物にありつけなくてお腹を空かせて死んでいく猫たち、よちよち歩きで道路を渡りきれずに車に轢かれて死ぬ子猫たちがたくさんいる。こうやって、餌付けをすることで、そういう風に悲しい目に遭う猫たちを増やしてはいけない。」

その日限りで、私は野良猫にエサをあげることを一才やめました。


ビジョンには力がある

優しくて温かい言い回しの叔父の言葉には、私のその後の行動を変える大きな影響力がありました。

私の叔父は、幼少期に受けた予防接種で、B型肝炎に感染していました。

叔父にとっては、いつからか、毎日が「人生最後の日」だったのだと思います。

叔父にどんなビジョンがあったのかは分かりません。

でも、あの日の叔父の言葉には間違いなくビジョンがあったと確信しています。

少なくとも私自身は、叔父の言葉に感化され、共感し、自分の行動を変えられたのですから。


「うまくいかなかったらどうしよう」

ビジョンが大事、とはよく聞きます。

ビジョンがあるから具体的な行動ができて成長していけるし、自分や人のために働くことができて、困難も乗り越えていける、と。

でも、ビジョンは重いです。

ビジョンを持ったら失敗や挫折が前提、みたいな苦しい側面にばかり目がいきます。

すごくシンプルですが、心地悪さを味わいたくない、これがビジョンを持つ大きなハードルなのかな、と思います。


「あなたは何ができて、どんな人を助けられるの?」

今までは困難を避けたくて自分のビジョンには手を触れぬようにしてきたのですが、本書を読んで心地悪さを乗り越えられるかも、と直感的に思いました。

そこで、本書を読みながら、これまで持っていたなんとなくの野望を言葉にしてみました。

TheVision_アートボード 1

私にできること・やりたいことは、目の前の相手の存在価値をその方の言葉で引き出すことです。

世の中の人の役に立ちたい、と思っている人が持っている本来の力を引き出すことです。


ビジョンは心地悪さと共存できるようになる魔法

ビジョンとは、自分は何者で何をめざし、何を基準に進んでいくのかを理解すること。

ビジョンって、遠くにあって自分を超越した存在ではなくて、こうありたい自分を描くものなのですね。

自分の価値観を分かっていると、人とのちょっとした意見の食い違いが受け入れやすくなります。

正直言って“うっ“とショックを受けたり、ムッとしたりしますし、その考え受け入れ難いなぁ、ってなります。

でも、

心地悪くても仕方ないよね。

と思えるようになります。

そして、ビジョンとは、目の前の困難を受け入れられるようになる魔法なのだということに気がつきました。


この本を読んで、20年前の叔父の優しく温かい気迫の背後にあるビジョンを感覚的に理解することができたような気がします。

私の叔父は、自身が何者で何をめざし、何を基準に進んでいくかが明確だったから、死ぬまで心地悪さとしなやかに共存しながら生きていたのかなぁと思います。

私は「目の前の人を笑顔にしたい」です。笑顔って万国共通の心の豊かさの形だと考えるからです。

物質的にとても豊かになった世の中ですが、笑顔には心の豊かさが必要です。

そんな心の豊かさを追求していきたいと、あらためて心を決めた一冊でした。


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