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トートバッグでパリを歩くのは危険か?

フランスという、日本との違いをあげれば切りがないほど異なった国で暮らしてみて、いやでも身につくこと。それは防犯意識ではないかと思う。

フランスに暮らす前、フランスを含めいろんなところを旅してきたが、一度もスリに遭ったことはなかった。バッグは必ずファスナーで閉まるものを、というどのガイドにも定番の忠言を聞かず、いつも口が開いたトートバッグを持って行動していたが、それでも被害に遭わなかった。もちろん必要最低限の防犯意識を持って警戒はしていたけれど、どこかで「自分は被害に遭わない」という驕りのような気持ちがあったのかもしれない。パリのように何度も訪れたことのある場所では平気で夜も出歩いていたし(危なそうなところはさすがに避けたが)、スリなどの被害に遭う人というのは旅慣れてない人で、例えばブランド品を持っていたり、怪しい人に話しかけられてうっかり対応したりするんじゃないかな?と漠然と思ったりしていた。

そして、フランスに暮らしてみて1年半経ったころ。

スリではなく、ひったくりに遭ってしまった。通い慣れたメトロの通路、時間もそんなに遅くない21時前、まさか自分がひったくりに遭うとは全く想像していなかった。確かに、少し薄暗くてホームレスの人が常にいるような場所だったので、時々こわいなと思うことはあったにせよ、誰か怪しい人はいないか後ろを振り向くとか、そういったレベルの警戒はしていなかった。その油断が、通路で一人きりという状況を生んでしまった。

人生で初めて、知らない人から向けられた突然の悪意というものに、大きな衝撃を受けた。肩からかけていたトートバッグを無言で引っ張られ、私は力の限り抵抗し、声の限り叫んだ。相手が凶器を持っておらず、かつ体格的に私とほぼ同じくらいの男性だったし、場所柄この先に必ず人がいるはず、という確信があったからこその行動だったが、今でもそれが正しかったのかはわからない。でも、この人に絶対に私の大切なものを渡したくない、という気持ちでいっぱいだった。

数分の格闘と追跡の後、最終的にカバンを持ち手から引きちぎって奪い逃走しようとした犯人が、幸いにもメトロの駅に直結したショッピングセンターに入り、結局セキュリティの人たちに捕まるという顛末となった。セキュリティのおじさんたちは私の叫び声を聞いていて、集まってきていたらしい。

トートバッグが引きちぎれ、中身が通路に散乱したりしたのにもかかわらず、すべての持ち物は手元に戻ってきた。たまたま居合わせた観光客や地元民が拾い集めてくれたのだ。みんなが優しい声をかけてくれ、私はボロボロと泣いた。何も取られなかったにせよ、自分がこういう犯罪に巻き込まれたという事実が精神的に大きなショックだった。

そのあと警察署にパトカーで移動し、被害届を出し、犯人はその数日後に執行猶予付きの刑が下ったことを知らされた。

そこで学んだことは、どんな場所でも絶対に一人にならないこと。アジア人は、自分ではそうと思わなくても目立っているし狙われている。もう二度とあんな思いはしたくない。

と、防犯意識を新たにしたと思っていたのだが、、、

その半年後、またもやスリに遭う。

今度は満員のバスで、お財布がなくなった。知らないうちになくなったので確信はないが、それ以外の可能性が思いつかない。その日はまたもや肩掛けトートバッグ、バスが混んでいてちょっと危ないかな、とぼんやり思っていたのにもかかわらず、仕事帰りで疲れていて周りへの警戒心が薄れていた。

次の日警察署に被害届を出しに行き、まさか半年の間に二回も警察署のお世話になるとは、、、と自己嫌悪に陥った。幸いにも大した額は入っていなかったし、滞在許可証などの大事なものも無事だったのだが、やはりこういう「防げたかもしれない」軽犯罪に巻き込まれると、精神的ダメージが大きい。

そして今現在。私は懲りずに肩掛けトートバッグでパリの街を歩いている。自分でもバカなんじゃないの、と思うけれど。パリは肩掛けトートバッグで歩いている人が山といるので、大事なのはそこじゃないんじゃないか、とかなんとか自分に都合のいい解釈をしてしまっているのでどうしようもない。でも、どんなバッグを持っていたって、被害に遭うときは遭う、遭わないときは遭わない。そう思ってしまう自分がいる。

ただ前と違うのは、「私は誰かに狙われている」という意識が習慣のように身についていること。自意識過剰と思われるかもしれないが、防犯意識とはそういうもので、うっかり暗い道で一人になりそうなときは走ったり、人の多い場所では必ずバッグは手前に持ってくる。大事なものを無意味に持ち歩かない。少し危ない雰囲気を感じたら携帯を出さない、周囲を警戒している様子をわざと見せる。などなど。

注意というのはいくらしてもしすぎることはなく、これで十分、というのはない。いつまた同じような被害に遭うかもしれない。もしかしたらもっと、命に関わるような事件に巻き込まれる可能性だってある。

ただそれは、今の時代世界中どこにいたって同じことで、ある一定のレベルを超えたらそれはもう対処しようのないことなのかもしれない、と思う。悲しいし悔しいけれど、それを運命と受け入れなければならない日が来るかもしれない。自分は万一何もなかったとしても、大切な人が巻き込まれることだってある。フランスで大勢の人が集まるイベントがあると、必ず大使館から注意喚起のメールが来るが、それでも革命記念日の花火は見たいし、新年のカウントダウンに出かけたい。ただ、出来うる限りの防犯意識は持つ。

大事なのは、今日の平凡な1日が、実はとても幸せなのだと気づくこと。危険は常に隣合わせだし、自分がいつ何に巻き込まれてもおかしくない、という事実をしっかり受け止めること。それに対して、自分の納得出来る範囲の準備と対策をすることなのではないかと思う。

さて、今日もトートバッグで出かけてきます。


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