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15歳のときに夜行バスでマイケルジャクソンのコンサートに行った話

こんにちは。
今日は、大昔の思い出話を語らせて下さい。
好きだったんですよ。マイケルジャクソン。
ピークは女子中学生の頃で、マイケルの嫁になりたいと真剣に考えたこともあります。

そもそもの出会いは小学校高学年の頃。当時「はなきんデータランド」というさまざまなジャンルのランキングを寄せ集めたテレビ番組があり、毎週金曜夜の楽しみでした。
そこでは、邦楽ランキングのあとに洋楽ランキングのコーナーがありました。
ある日、マイケルの「ブラックオアホワイト」が洋楽一位だったんですよね。ちらりと放送されたMVをみて一目惚れしました。その絶対的王者感があふれ出る姿に「カ、カッコイイ…」と。

その後、中学の授業でU.S.A.For Africaの「ウィ・アー・ザ・ワールド」(当時の全米人気アーティストたちが集結したチャリティーソング)のドキュメンタリーを観る機会がありました。
歌っているマイケルが映った瞬間、勝手にトゥンクする己の心臓に気づき、その想いは確信に変わりました。「私、このひと好き!」


それからは、お小遣いが貯まるたびにMichaelJacksonのCDやVHSビデオ、掲載雑誌などを買う生活がはじまりました。
地域のチャンネルの画質の悪いアメリカのビルボードランキング番組も録画して観ていました。MVのアワードなんかがあると、WOWWOWに加入していた母の知り合いにお願いをして録画してもらっていました。

私は兄の影響で洋楽を聴いていたのですが、当時洋楽を聴いてそうな友人がほとんど見あたらず、いたとしてもマイケル好きでは無かったために孤独な推し生活でした。兄はハードロックが好きなバンドマンだったので、ブラックミュージックやポップスには興味がないようでした。

とりあえず音楽好きな友人達に、特別に編集した個人的ベスト盤と呼べるカセットテープを渡していました。
また、自宅や友人宅でマイケルのビデオ鑑賞会&ダンス練習会を開くなどして布教活動に勤しんでいたように思います。ムーンウォークはいまだにマスターできていませんが…笑

当時、仲間内では自分の推しを紹介し合うことがよくありました。
友人たちからビジュアル系バンドや邦楽歌手など、おすすめアーティストのプレゼンも受けました。それはそれで解説を聞きながらだったので楽しかったです。
マイケルのDANGEROUSのTシャツを着て、ジャニーズのコンサートに付き添いで行ったこともあります。

マイケルのライブでの煽り方や、曲によってはMV(本人はショートフィルムと呼んでいた)の作り方やヘンテコな衣装など、私の中で突っ込まざるを得ないこともありましたが、それも含めて大好きな気持ちは変わりませんでしたし、彼の創り出したエンタメの世界を心から楽しんでいました。

結局、私以外の熱心なマイケルファンは現れなかったので、雑誌のペンフレンド募集コーナーで見つけたマイケルファンの方に手紙を送り、文通相手を作ったこともありました。

そんなこんなで数年が経ちました。私は高校生になっていました。
この間、高校受験があり、マイケルにはたいへん勇気づけられました。「この試験が終わったら、未聴のビデオを解禁するんだ」などと鼻先ににんじんをぶら下げた馬作戦でがんばりました。

それと同時に、雑誌やテレビなどのメディアによる大量のアンチゴシップに嫌気がさしている時期でもありました。
当時はWindows95が発売され、パソコンが普及し始めた時代でしたが、我が家のパソコンはまだネット回線に繋がっていませんでした。
日本にいながらアメリカにいるマイケルの情報を知ろうとすると、公式ではなく、どうしてもゴシップ雑誌やテレビ番組からのネガティブなニュースが目に入ります。
何が本当か分からず、関連本を読んだりしてマイケルの子どもの頃の環境に心を痛めたり、彼を知ろうとすればするほど悲しい気持ちになっていました。

エルビス・プレスリーの娘であるリサマリーと結婚したことも、ちょっとショックでした。相手がどうということよりも、マイケルのお嫁さんになる夢が絶たれてしまったからです。もちろん現実的にはありえないのは承知ですが、推しにリア恋したことがある方ならこの気持ち、分かりますよね⁈

ある日、マイケルが来日公演するというニュースが飛び込んできました。
「History Japan Tour 1996」です!!
もちろん行きたい!となりました。
幸い、高校に入っても布教活動をしていたおかげでそこそこマイケルを気に入ってくれた友人がいたので、彼女を誘って行くことになりました。
しかし場所は東京ドーム。田舎からは新幹線か高速バスで行くしかありません。

私は皆勤賞を取らねばならなかったので、親には「日曜日夜の公演だけどなんとか月曜日の朝に帰る」と約束したことで説得することができました。
夜行の高速バスは、小学校の卒業旅行で母や友達親子とディズニーランドに行くときに乗ったことがありました。何とかなるだろうと思いました。

しかし女子高生2人で往復ともに夜行バス、という状況は何かと心配ということで、友人のいとこの同い年の男の子も一緒に行ってくれることになりました。彼もマイケルが好きだったので、話がトントン拍子に進みました。

さて、当日の東京行きの深夜高速バスにて。私は車内で静かな寝息を立てる友人たちの横でマイケルに手紙を書いていました。つたない英語で。詳しい文面は覚えていないのですが、簡単な自己紹介と大好きです的な想いを綴った感じだったと思います。

バスは早朝の新宿駅に到着しました。冬の始まりの時期だったために肌寒く、マックかどこかで時間を潰した気がします。原宿の竹下通りでは、雑貨屋さんで小さなブリキの動くおもちゃをプレゼント用に買いました。マイケルはおもちゃが好きだから喜んでくれるかなと…。

夜はもちろん、東京ドームへ。プレゼントと手紙は渡し方が分からなかったので、会場の警備のおじさんに「マイケルに渡して下さい!」と押し付けてしまいました。彼は困惑してましたね。ごめんなさい。本人に渡っていなくても至極当然です。

そして、ドームが観客で埋め尽くされ、いよいよコンサートが始まりました。しかし高校生が買えるチケットの値段は知れています。憧れのマイケルは米粒のように小さく、大音量が鳴り響く中、私はイマイチ入り込めない結果となってしまいました。

心境的にいろいろな要因があったのですが、そのひとつに、同行者の男の子がずっと時間を気にしていて楽しむ余裕が無かったということがあります。
彼には女子2人を引き連れて夜行バスに乗って帰るという大役がありました。たぶん、ご両親から強く言われていたのでしょう。

今では男という性別だけで、彼に大きなプレッシャーを背負わせてしまい、とても申し訳無かったと思います。しかし当時はそのピリピリした雰囲気によって、彼と女子の間には静かに険悪な空気が流れていました。

コンサートを最後まで観ると帰りの夜行バスの出発時間に間に合いません。よって、コンサートは途中で切り上げざるをえませんでした。

あの夜は余韻に浸ることもなく、田舎住まいの我々がただただ無事に帰ることだけに集中していました。
ダッシュで電車を乗り継ぎ、新宿のバスターミナルに戻り、なんとか高速バスに乗車。
早朝、地元に戻り、親の送迎で自宅で身支度と食事を済ませて無事に8時半までに学校に登校することができました。

肝心のコンサートの記憶は残念ながらあまり残っていません。
参考までに、当時観に行かれたダンサーさんの日記を貼らせていただきます。拝読して「確かにこんな感じだったかも!」となりました!


長年夢見たマイケルのコンサートに行くことは、ついに叶いました。両親はもとより、一緒に行ってくれた友人やその従兄弟、彼らのご両親、すべての協力してくれた人たちには今でも感謝しています。

そして、コンサートに行ったことがひとつの節目となり、私の初めての?推し活はいったん区切りをつけることができました。

さまざまなゴシップを鵜呑みにして離れた、というよりかは気持ちがいったん落ち着いた、という感じです。多くのネガティブな情報に心が削られてしまったということもありますが…。

熱心に今の彼のことを追いかけるというよりは、もう自分の中でマイケルはアーティストとして殿堂入りしているので、好奇心旺盛な高校生的には他にも目を向けたかったのかもしれません。それからはマドンナや当時流行りの洋楽を聴いていました。

この推し(マイケル)へのファン(私)の距離感は、以下のけんすうさんの記事を読んで腹落ちしました。というか、この記事を読んでマイケルのことを思い出し、今回執筆に至ったという経緯があります。

マイケルのことは、もちろん今でも大好きです。

その後、インターネットの普及によって裁判の過程で行われたマイケルへのひどい仕打ちを知りました。客観的にみて、彼は無罪でした。とてもとても可哀相でした。

マイケルは昔から好き勝手言われていますが、彼をネタキャラにしてしまったマスコミや、それに追随した人たちの罪はかなり重いと思います。
悪意ある人たちには彼をいたずらにオモチャにして欲しくなかったし、創作活動に専念させてあげて欲しかった。


マイケルの訃報を聞いたのは、あのコンサートから12年経ったときでした。私はアラサーで上京し、その時はたまたま新宿に職場がありました。
新宿の映画館で「ディスイズイット」を仕事帰りに3回は観に行きました。

彼が紛れもないスーパースターであることは今でも間違いありません。
マイケルにわたしの青春を捧げてよかった。ありがとう、マイケル。
天国で穏やかに過ごしていますように!

こちらは彼のプロ意識の高さが知れる一冊。完璧主義者で心優しい人。写真が多くて嬉しい。いろいろな楽曲やダンスのエピソードが充実。若い頃のインタビューではありますが、唯一の自伝なので心穏やかに読めます。


長くなりましたが、ここまでお読みくださり誠にありがとうございました!

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