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「今自分は何してる?」というハートへの問いかけ

気づきの瞑想。
本屋さんに行き、スピリチュアルやヨガ、そしてマインドフルネス関連書籍の棚の前に着くと「気づきの瞑想」というジャンルができているのがわかります。
スリランカ・タイ・ベトナム・ミャンマー等に残る原始仏教からくる瞑想…そんなイメージ。

私が出会ったのはタイ仏教のプラユキ氏ですが、この原始仏教と言われるのブッダの時代から続くスタイルが、気づきの瞑想ということのようです。
感情の観察というものをするには、集中力がいる。
仏教で「止観」ということばがありますが、集中のことを「止(サマタ)」、観察することを「観(ヴィパッサナー)」と言うみたいです。

以前、スピリチュアルに興味があり、ふと見かけた『ザ・パワー・オブ・ザ・ハート』という本をヒョイと買いました。

いろんな覚者の「ハート」に関するコメント集…それくらいの印象で、「で、ハート?ハートとはなんだろう?」という感じ。
買った当初はあまりピンとこないままでした。

思うに、ブッダのメソッドは万人にわかるように設定されている。
気づきの瞑想を続けるうちに、「あ、ハートというのはもしかしてemotion、感情の起こる前の心臓の鼓動のことかも」
と、思えてきました。

『ザ・パワー・オブ・ザ・ハート』での覚醒者は皆「ハートに聞きなさい」という。
瞑想前はよくわからないままでした。
しかし、瞑想を数ヶ月続けてみた現在、「ハートの鼓動を聞くとき、私何も考えてない」と気づきました。
思考はフワフワいろんなことを考えはじめますが、自分で自分の心臓の鼓動を感じている間は「無」に近いかも…

ブッダは呼吸法で安息への気づきを促しました。
気づきやすいからかも知れません。
呼吸は自分自身で、浅くも深くもできるから。

では心臓は…?

また、新しい発見があるかも知れないし、ないかもしれません。

心の旅はまだまだ続きそうです。

さて、今日の絵。

https://www.instagram.com/p/BQfICHMFrAY/

因果応報という言葉があります。

なんか悪い意味合いに使われることが多いですが、種を蒔けば芽が出るし、除草剤をまけば枯れる…こんな意味だろうなーと思ってます。

感情を観察し、気づき、手放す。
気づきをもった生活をすること自体、良い因をつくり続けている。
大安心!という内容。

ハートは、鼓動を打ち続けます。
緊張したら早鐘を打ち、リラックスするとゆっくりと動く。

わき上がるエモーションはコントロールできないかも知れませんが、呼吸はコントロールでき、またそれによって感情は落ち着きを取り戻します。
観察し、無常のあるがままを知り続けます。

心と自分とのマインドフルなやりとり。
面白いですね。
そしてやっぱりブッダはすごいなあと思うのです。

気づきの瞑想、今後も親しんでいきたいです(*^-^*)

☆まるっ!☆

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