ありがとうと心から言えるまで
「ありがとう、とたくさん唱えると奇跡が起きる」
このような本を買い、フムフムと読んでいました。そしてありがとうと念仏のように唱える時期がありました。
しかし「そんなもの、奇跡なんか起きる訳ないだろ」という身近なひとからの助言があり、やめました。
潜在意識が~、ハイヤーセルフが~、いろいろ影響して、本当に何万回もありがとうと唱えると奇跡が起こるかも知れません。
でも、それは私の仕事ではないな…と、瞑想をしていてふと気づきました。
ありがとうとたくさん唱えてると、「ありがたくもなんにもないのになんでこんなことやってるんだろう、わたし。ありがたいと思えない自分が悲しい。ありがとうと思えるようになりたい」
こんな思いがよぎります。そしてわんわん車の中で泣く…
育児中で寝不足もあり、この時期精神的にかなり追いつめられていたのかも知れません。
ありがたくもないのにありがとうと言い続ける。
これはうそをついてることになる。
辛さは消えない。
仏教ではウソはアカン。
今よくわかります。ウソは不安感をつくる。
わたしは幸せに生きたい。
奇跡を起こしたいことと、幸せに生きることはちがう。
逆に、幸せに生きると、奇跡に気づくようになります。
ウソをつかない。
常に自分の心を観察観察観察…
そうすると、ありがたく思えない感情もありがたく思える感情も無常であると気づく。
ありがとうと思える「感情」はあるけれど、ありがとうと思える「自分」というものはそもそもあるのかしら…無いんです。感情は常に変化するものだから。
それが自分そのものであると勘違いするから、苦が生まれる。
こういう仕組みにちょっと気づきはじめ、いちいちそれらのありがたいとかありがたくないとかの感情のために、自己嫌悪の感情まで立ち上げることはないのかも!と思うようになりました。
そこで今日の絵です。
https://www.instagram.com/p/BQo6BVdlBLa/
今朝あった感覚をそのまま絵にしてみました。
今までよく悩まされていた、モヤモヤイライラ、いろいろな妄想的な感情がふっと下にさがったように感じたのです。
言わば沈静化。
そして、俯瞰のエリアが発生します。
あたまにモヤのようにまとわりついていた感情が、スッと居場所を俯瞰に明け渡したような感覚。
苦が遠くなり、安心感がある。
家族との会話に、先入観がなくなる。これは本当に、私にとって良かったことでした。
最近は家族にもありがとうと心から言えるようになりました。
唱えるようにありがとうという方法が向いている人もいるかも知れません。
ただ、気づきの瞑想のほうが私には合っていた。
家族と笑顔で過ごせる…イライラを抱えていた私の以前の状態から考えると、今が奇跡です。
いろんな幸せの形、奇跡がある。
こだわらないで、ラクにリラックスして心の自由を得る。
自然とありがたい出来事が身の回りに増える。
感謝の日々です。
☆まるっ!☆
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