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佐々木閑先生 仏教講義備忘録

最初に佐々木先生のことを知ったのは、かれこれ二年以上前、NHKの『100分で名著』という番組からだったかと思います。

その後コロナにより花園大学の遠隔仏教講義がyoutubeにて開始。以来とばしとばしではあるけれども、私なりのペースで佐々木先生の動画を拝聴させていただいてます。

元来怠惰な自分であるから、興味が無いとみないときなどもあり・・・ただ、先日の内容が私にとって重要だったので備忘録としてこちらの記事に残しておこうと思った次第です。

2020年から始まったシリーズも、もう11回にもなり・・・先生の精力的な活動に脱帽です。
上記はその中の 阿含経の教え4 の10回目の動画となります。

私が持っていた仏教の印象のひとつに「楽しいことは一切駄目!」というイメージがありました。
小学校低学年のときにお寺にお泊まりの会というものが夏休みにあって、そこでは座禅の時間もありました(曹洞宗だったので)。自分としては真面目に取り組んでいたのに、例の警策で肩をビシッとやられたわけです。この印象が強く残って、なんか仏教って楽したりサボってるようなことをするのは全部駄目!みたいな宗教なんだなと勘違いしたところがあります。

今回の佐々木先生の講義の中で「一切皆苦」について述べられてました。
これこそ「楽しいことは一切駄目!」の四字熟語だと思ってたわけです。
でも佐々木先生おっしゃるには「日々の暮らしの中で楽しみ・喜びを感じることは全然問題ない」ということでした。

悪いのは「楽」ではなく、その楽に「執着すること」なのだと。
さらに茶道の言葉の「一期一会」について触れて、「出会いがあれば別れがある。一瞬の楽しみであると理解して、覚悟して淡々と暮らしの中で意識しておけばそれは苦しみではなくなり、落胆もない。そして執着するとたちまちそれは苦に変わる」と言った内容を話されてました。

もうほんとに、腑に落ちました。
今回の内容、諸々の愛欲にもよく当てはまるなと。片思いも執着すればストーカー、こどもに対する愛も執着すれば毒親・・・と、みるみるうちに世の中の色々な問題の「裏」を照らし出してくれる。
仏陀はホントにすごいなあと思うわけです。

また、それに続いて生と死についても今回の講義では話されてました。
「活発に生きているということは言い換えれば、世俗の苦しみにもがいているということ。仏教という宗教は、究極的には生命活動の停止を目指している」うーんストイック。(けどそういうのが、なんか惹かれるんです。個人的に。蠍座だからでしょうか)
先生も仏教は過激な面があるとおっしゃってましたが、究極的な「ほんとうのこと」というのはおそらくどうしても死に関して言及せずにはおれない。逆に宗教というもの自身が死について語らないはずがなかろうとも思います。
ただ、仏教は外界に神を持たないから「自分で」死についての概念を形成して脱却していく必要がある。これはやっぱり特殊な宗教と思います。
「死を避けているというのは生きているものとしての傲慢、と言う見方もできる。死というものは非常に恐ろしく、目を背けるべきだ・・・と言う世間一般の考え方から一歩引いたものの見方をするのが仏教」

今回の講義、とくに私のような怖がりにとって、一生ためになる内容でした。
毎回ためになるんですが・・・
楽しみを楽しみとして味わって、手放す。
今月44歳になりました。
死期はもうちょい先かもしれませんが、今後どちらかといえば老いに向かう人生。
かくありたいと思った講義でした。
また今後も楽しみに、動画を拝聴していきたいです。

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