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競争からの離脱

題名のない音楽会、たまに見てます。

今日はピアニストのランランさんという男性がパッションあふれる演奏をなさっていました。

こちらのかたは2歳半から父親によるピアノの英才教育が始まり、今は名だたるピアニスト。

金銭的に恵まれた生活ではなかったようで、ピアノのコンクールでの賞金が生きる糧という日々を送ったようです。

でも話している様子や、奏でる音楽などの印象なんですが、カラッと無垢な明るさが印象的な人だなあと感じました。トムとジェリーのアニメが好きだったという、彼のイマジネーション。いじけた感じが全くなく、父親におもちゃを捨てられて大泣きしていたことも、恨んでいるどころか、成功のエピソードのように語る彼。

とても子供らしくてユニークですてきだなと感じたのは「コンクールで一等をとりたい、勝つのが楽しい!!」と、ランラン氏がかつての素直な気持ちを振り返っておっしゃっていた表情のこと。

そしてアメリカ留学で学んだことについて。

『楽しむのが音楽であって、勝つためではない』

そう、「コンクールに勝つことを楽しむ音楽」から、「音楽を楽しむことそれ自体が重要」である事に気づけたのが、留学での一番の収穫だったかもしれないと彼は言っていました。


これはそっくりそのまま人生にも言えることかもな…なんて思ったりして。

ランラン氏はもうそれは留学前にしても技術力も満点でしょうし、求められる表現も何から何まで身についてはいたのだと思います。

しかし、さらなる大きな世界に気づく。

彼の素晴らしいところは、それまでの勝つ楽しさからふっと意識を変えて、楽しむ音楽というものに、柔軟にシフトできたところなのかもしれないなあと思ったり。勝つ楽しさはそれはもう、俺が一番!!かっこいい!スゴイ!これはきっと気持ちいいものでしょう。けれどもそれに固執せず、もっと広い世界を彼は知って、そちらにふっとシフトした。

器が大きい。しびれる!

悟りという道も瞑想にはありますが、これも大きく大きく、柔軟でおおらかに自分をシフトして、全ての執着から解放されて自由になっていくことがひとつの指標になっているように思います。

音楽にしても、絵にしても、いろいろな横道もちょっとそれてみたりして、でも、恨まず腐らず淡々と歩む。

そうするとその人なりに、どんどん学びが深く大きくなってくる。

今日の絵ですが、執着や妄想を手放して、瞑想的に生きる。という感じの絵です。

猫ちゃんが、うまいの?それとも下手なの?と私の絵のことを言います。

私は関係ないな~、ただ描きたいから描くの。と、返事をします。

絵では「私の書いた絵を見てくれる人がいるから」と書いてます。

今日描いてみたい絵を描いて、見ていただいて、今日はおしまい。楽しかった!

瞑想的に一日を生きることを意識している。それだけでも、自分の耳に入ってくる情報の見え方が変わってくるように感じます。より興味深く、学びのある生き方ができている。

ランラン氏ほどのスケールはないかもしれませんが、一日一日味わっていけたらハッピーだなと思う今日この頃です。

最後にランラン氏の言葉。『明日は今日より上達していなくてはいけない』…だったかな?一瞬テレビで映っただけなので、後で確認してみたいです(*´з`)


☆まるっ!☆


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