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美容実

「だって、8番なんてイヤだわ」
「そんなこと言ってまた」
「どうなさいましたか」
「すいません、この子少しおかしいんです。あの、ご迷惑とは思いますが、お願いできますか」
「わたしがおかしいんじゃないわ、みんながおかしいのよ。数字を馬鹿にすると痛い目にあうわよ」
「わかった、わかったわ。すいません、もしできるのなら、クラークの荷物の番号をかえていただけませんか」
「かまいませんよ。9番でよろしいですか」

僕のお客さんの話だ。
美容室は3年ぶりという娘さんと初老の女性。

渋々ながら彼女が散髪に応じると、母親のほうは疲れた様子で、待ち合いの椅子に座って文庫を読み始めた。





3年というだけあってかなりの長さだ。
こっくりとした黒い艶のある髪。


「8、8なんて大変なのよ。昆虫もいるし、やまたのおろち、八坂神社、横にしたら眼鏡、無限大…」

始終怯えている。
あまり外出しないのだろう。
顔色が蒼白だ。

細い首。

「どの位の長さに致しましょうか」
「あの、長さはかえないでほしいんです、あの、切ったら本当はいけないんですけど、でも私は生きなくちゃいけないから、母さんの家でごはんを食べなくちゃいけないから、だから切るんです」
「じゃあ、切らないでカラーリングとパーマだけでも雰囲気がかわりますよ」
「変化はよくないんじゃないかしら、ね、わかるかしら、かわりすぎるのがこわいのよ」
「こわいことなんてありませんよ。僕は毎日いろんな人の髪を切ってますが、たいしたことではないんですよ」
「そうかしら」
「そうですよ。歯は抜けたら生えてきませんけれど、髪だの髭だのは切ったってのびるでしょう。のびるんだから切らなきゃ」
「そうかもしれないわ。もう9番なのだし、大丈夫かしら」
「きっと大丈夫ですよ」


僕は腰までのびていた彼女の髪を肩の少し下辺りまで切り、カラーリングで髪の色を少し明るくした。


「薬をおながししますね。トリートメントしておきます」

肌の色が白いものだから髪の色をかえるとちょっと日本人離れして見える。

髪にハサミを入れている間、彼女は週刊誌を食い入るように見ていた。

髪を乾かして、彼女にどうかとたずねる。
僕はとてもかわいいと思う。

けれども彼女は鏡を見たまま、こわばっている。

「や、やっぱり不安よ、大丈夫かしら」
「大丈夫ですよ、だって9番じゃないですか」
「そうよね、もう8番じゃないの、だから平気よね、でもねほら、雑誌にはね、ラッキーナンバーが8だっていうのよ、こわいわ」
「じゃあ、クラークの番号をまたかえておきますよ」
「本当、かえられるの」
「もちろん、決まってることなんてひとつだってないんですよ。数字だってこだわりすぎるのは毒です」
「そうかしら、でも、不安だわ」


でも、かわいいですよ、と彼女の髪をドライヤーで乾かしながら僕はつぶやきつづけるのだった。

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