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『戦場のメリークリスマス』鑑賞日記

映画館で上映されていたため鑑賞してきた。
サブスクで簡単に映画が観れる世の中、本当に便利になって恩恵を余すところなく享受しているものの、映画館でしか味わえない没入感やら感動やら、ひっくるめて経験があると思っているので、できるだけ観たい!と思った映画は配信されるのを待つのではなく映画館で観ることを最近心がけている。

『戦場のメリークリスマス』、あの言わずと知れた名作を映画館でまさか観られるなんて…!圧倒的僥倖。

今回はその感想。※ネタバレ注意

あらすじは以下のとおり。

1942年、太平洋戦争下のジャワ島。日本軍の捕虜収容所では厳格なエリート士官の所長・ヨノイ大尉、粗暴ながらもどこか憎めない古参のハラ軍曹らのもと、英軍将校ロレンスら数百人の連合軍捕虜が日々を過ごす。ある時、軍律会議に出席したヨノイは、新たに捕虜となった英軍少佐セリアズと出会う。死を覚悟してなお誇りを失わない彼の姿に、ヨノイは不思議と魅せられる。ヨノイは、セリアズを捕虜長へ取り立てようとするが……。

戦場のメリークリスマス | 映画 | WOWOWオンライン

美しく混沌


とにかく分からない。
上映中、ありとあらゆるシーンで感動して泣いた。
しかし、何に感動しているのか自分でも全くと言っていいほどわからないのだ。「異常な状況下で生まれる人間愛に感動しました」でも、間違いではない気がする。けれどもそれは顔を覆って泣きたくなるほどの感動を呼び起こした理由からは遠い感想だ。
この映画は1980年代に作られた映画からなのかは分からないが、登場人物の感情の機微について、言葉を使って語られることはほとんどない。
己を殺して集団となることが求められた戦時中の日本人、ましてやエリート軍人であるヨノイ大尉の心の機微は非常に読み取りづらい。
ただ、言葉にできない思いがヨノイ大尉、ハラ軍曹、ロレンス、セリアズの間を交錯しているのは分かる。
誰も、本当に言いたいことは何も言わないのだ。
本当に私に理解できているのは、それくらいのレベルでしかない。
(誰か明確な答えを持っている方がいるのであれば切に教えてほしい)

東洋と西洋の対立構造

第二次世界大戦をテーマにした日本の映画であれば、もうほとんど自明ではある。
ジャワ島の日本軍による俘虜収容所を舞台に、日本軍人(全体主義)VS西洋軍人(個人主義)を根幹に敷いて、両者の文化・思想の相容れなさを作中では随所に描いている。
日本軍人の典型というので思い浮かぶのは、エリート軍人と鬼軍曹、ヨノイ大尉とハラ軍曹である。
この西洋文化には真っ向から相容れるはずのない二人は、奇妙にもロレンス、セリアズと精神的な繋がりを得ている。
普通に考えれば不思議である。
不思議だけれども、何故だかとても納得できた。
お互いエリートではあるが、希死願望を持つヨノイ大尉とセリアズ。
粗暴なハラ軍曹に理知的なロレンス、全く違うように見える二人だが、二人とも「日本人」「外国人」としてではなく、その”人”を知りたいと思っている。そしてハラ軍曹は、その人のために自分ができることをする人間であり、ロレンスはそれを知っている。
二人とも、こんなにも違うのに、お互いを理解しているのである。

簡単な対立構造にしてしまえば、いろんなことは理解しやすく思える。
けれども、人、感情が混ざればそれはもう同じものは決してない。
簡単に分かったつもりになんて絶対にさせてくれない映画なのである。

セリアズからのキス

ここが全く分からない。
暴走するヨノイ大尉を止めるかのように、セリアズがキスをするシーン。
キリスト教の隣人愛の精神からなのか、これまで全く発露することのなかったヨノイ大尉への気持ち(恋愛なのか友愛なのかは分からないが)からなのか、全く分からないが、とにかく感動した。
これまでのヨノイ大尉は、感情を押し殺し、軍の規律の中で自身を殺しながら、死を待つことこそが正しい道であったはずだ。
男性、しかも敵でありもっとも軽蔑すべき俘虜からの公然でのキスである。
当時の日本軍人からすれば、恥以外何物でもない。
しかし、ヨノイ大尉は、恥以外にも、セリアズからの決死の両手離しの大きなものを受け取ったことで、(きっと生まれて初めての経験だ)驚き戸惑い倒れ込んだのだろう。
私は観ていて何故だか、もののけ姫で乙事主にシシガミ様が、優しくキスをするシーンを思い出した。
結果としてセリアズはこのことが原因で、ヨノイ大尉の後に赴任してきた大尉により生き埋めにより衰弱死させられる。
ある真夜中、セリアズが亡くなる直前、ヨノイ大尉はセリアズの元を訪れ、髪をひと房切り取り、大切そうに懐紙に包んだ。
二人はこの時も、一言も言葉は交わさない。
自分の髪を愛する人に贈る行為は、昔の欧米の小説でよく見かける。
つまり、ヨノイ大尉はあの時のセリアズからの気持ちに、規律が発するものではない、ヨノイ大尉自身自らが応えているのである。

メリークリスマス

ラストシーンでは戦争が終わり、両者の立場は逆転している。
ヨノイ大尉は既に処刑されていた。
クリスマス、処刑前日のハラ軍曹のもとに、ロレンスが訪れる。
ハラ軍曹は英語が話せるようになっていた。
ハラ軍曹は、「私のした事は他の兵隊がした事と同じです」と言いつつも、いずれ自分は処刑されることの予想ができていたはずだ。
それなのに、英語を習得し、日本語がわかるはずのロレンスに対しても、あえて英語を使い、穏やかな声音で会話をしていた。
仏教徒でありながらも酔払い「メリークリスマス」とロレンスやセリアズを釈放したように、きっと彼は本当は、西洋の文化を、時代が違えば学び楽しむことができたはずなのだ。
あの夜のことを語り、笑いあう二人。
ロレンスが去ろうとする背中を、かつての怒号でハラ軍曹は呼び止める。
「メリークリスマス、ミスターロレンス」
笑顔であの時の自身のセリフを投げかけるハラ軍曹。
敗戦により価値観が180度変わってしまった世界の中で、古い世界の人間として捨てられる自分自身を、助けてほしかったのではないだろうか。
恥を何よりも恐れてきたハラ軍曹の、精いっぱいの自分の気持ちだったのだと思う。

終わりに

沢山支離滅裂に語ってみたはいいものの、理解できているというには程遠い。結局、何にこんなに感動したのかまるで分っていないのだ。
振り出しに戻った気分である。

それにしても、坂本龍一さんの「Merry Christmas, Mr. Lawrence」がとにかく良い。

繊細さとはまるで無縁なように思える戦争をテーマにしたこの作品の、細やかな感情の機微、交錯が伝わってくる。
元々知っていたにせよ、本編を観たあとではまるで別ものだ。

本当に劇場で観れてよかった。
坂本龍一さんの、ご冥福をお祈り申し上げます。







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