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タイムイズマネーというだけの発想は危険というかそもそもマネーは時間とともに利子がつくよねというお金脳

久しぶりの書簡を心待ちにしていた。時間がテーマか。あまり面白いことを書けなそうなことを先にお断りしておく。

まずはいつものように総論的にかんがえてみる。時間はたしかに貴重で、言い古されたかもしれないが、誰にとっても時間は平等(というより貴重)ということかと。アテンションエコノミーと言われるが、それは時間という可処分所得を奪い合っているということでしょうから、広告にとってはマスメディアはネットとか他の生活接点に機会を取られていくということがありますわな。コピーライターが一見下火になりコミュニケーションデザインとか言われ始めたのはそういうことだった。

うーん、でも時間についてはそこまで深く哲学的な施策はないかな。今は。人並みに、時間あるといいね、人に時間奪われたくないね、みたいなことはもちろん思うんだけど、そこに自分ならではの思いとか違った視点はピンとこない。今は。

今は、を繰り返しているけれど、思うにいまは特殊な時間のなかに生きているからなんだと思うわ。ビジネスパーソンさんでないから、俺の時間はけっこう子供のものであり家事労働のものである。で、寝静まった時に株価チャートみていろいろと社会を考えて、でもそれよりも日常のことを考えて、他にはさあ復帰したらどうしようかとか、引っ越しそのうち鎌倉とかいいかもなとか思ったりしていたら日が暮れる。そんな生活があと6ヶ月。正直もっと続いて欲しいくらいこういった、人からみたらのっぺりした日常に馴染んだ。

図書館で借りてきたマネックス証券の社長の松本大氏の本を久しぶりに読もうと思ってざっと読んでいた。彼はスケジュールの空白が嫌で細切れも仕事するし起きているときはずっと仕事だそうだ。すごいね。5年前の本だから最近は大江麻理子とイチャついているのかもしれないが、相手も忙しそうだしどうなんでしょうね。

今の俺の場合、時間については、主婦(主夫)の時間ということなんだろうね。

子供とともに起きて、飯食わせ洗濯して散歩して相手して寝かせてワイドショー見て飯作って風呂入れてたまに自分の時間みたいな。ま、妻と分担しているから世間よりは自由時間が多いのだが。

そういう時間を過ごしていて一番良かったのは、いろんな時間を生きている人もいるということ。あと、別に真剣に今までの生き方が嫌なら別プランで生きていくトライをしていけばいいのかもと思えること。抽象的に自分の価値観で言えば、出来るだけ心の充実感を高めていきたいと思うようになった。この生活は嫌なことは大抵やらなくても過ぎていくからやらないようにした。捉え方を変えるのにも限界があるから、なるべく心地良くしようと考えている。

・・・うーん、なんか筆が進まないねえ。

ま、俺にとっての時間というのは、今は市場観察だな。つまらない結論でゴメンだが。月曜日からの相場、寝ているときは米国市場、伴ってリスクとしての世界情勢の変化を知ろうという興味がかなり強い。

投資でお金を増やしたいことがもちろんそうなんだが、社会の変化自体を楽しみにしているということで、これらのチェックが自己目的化もしている。

で、じゃあもし儲かったらどうしようかというと、それこそ心の充実感が高まるような時間が過ごせることにカネを使いたいと思っているわけだった。それはまだハッキリとは見えないが、溜まり場づくりや世界見聞であろうとは考えている。

さて、俺が楽しみにしている時間が、実はひとつ増えそうだ。可能な範囲でだが、お知り合いの仕事を手伝うことになりそうだからだ。これは、人事ばかりでもなく、どちらかといえば広告業にも近くなるかもしれない。

とりとめもなく書くけど、働き方が柔軟になるってこういうことかもしれないね。ただ、インカムと生活設計の制限があって(住宅ローンとか生活水準とか世間体とか)なかなか今の働き方を根底から変えられないのがミッドライフなんだけどね。俺は強制的にそれを変えようと思って休んでいるところもあるんだよ。少しは。

思い出しついでに、柳川範之氏の書いた40歳定年説という本があってたぶんこういうことなんだろうね。俺の師匠はとんでもないと言っていたけど、実感として今をいきるアラフォーの俺にはこっちのほうが実感あるなというのは本音です。

とはいえ、40でやめてどうすんのの後は、この人は大学院で学び直そうという結論になっていて、うーん、、、って感じなんだけど。働きながらの大学院的なことを人並み以上にやってきた俺の実感からしたら、スジが悪いよなあと思ってしまう。個人の生き方論的には俺の実践そのものだから否定できないが、マクロ経済学者が雇用問題解決として唱えるにはどうかなとは思うのであった。

まとめないが最後に。

ちょっと、不全感高いのかないぬ氏はいま。という感じが書簡からちょっとしたのが気になっている。しばらくぶりの返信だったからいちだんと忙しかったのかもしれないのだが。

俺も昨年末マックスに不全感で、広い意味では時間(日々のタイムマネジメントでなく、人生の喪失的な意味での)問題を抱えていたから、決してずっとオールライトな育休ではないのだし、波があるのが日常であり人生だとは分かっているつもりだが、エネルギー値が低いときはなんか、友達とくだらないこと話したりやったりしたいよねと思う。今日は星野源のラジオ聴いてて生田斗真とかハマオカモトとか仲良しゲストばかり来てそうやっているのが羨ましく思えたのだった。

ま、取り越し苦労だったらいいのだけど。

Dag.


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