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人工授精してきたよ② 満月の夜と自由になったハチ

(昨日の続き)
長い長いスポイトがどんどん子宮に入っていった。
Roseは「痛くない?」と何度も聞いてくれたが、卵管造影検査の激痛に比べたら屁でもなかった。微量であるがあまり、精子が体に入っていく感覚は特になかったが、神秘的な体験だった。
1週間後に排卵したかどうかのホルモン値を見るために採血をして、2週間後に妊娠しているかの採血をするらしい。
10分間ベッドでじっとした後、クリニックの受付の人にThank youと言って帰ろうとしたら、お財布を待合室に忘れていたよと言われた。
あんなに私はリラックスしていると思っていたが、どうやら動揺していたらしい。

どう考えても体に悪いので迷ったが、やはり北米に住む以上、北米の妊活ジンクスの儀式はやっておかなきゃと思ったので、帰りにマックでSサイズのポテトを買った。
揚げ具合も塩気も100点のポテトだったが、妊活でずっと揚げ物を控えていた私にとってはヘビーすぎて、そのポテトを食べ終えるのに1日かかった。

帰りはとても不思議な感覚だった。私の体の中に、会ったこともない人の精
子が入っている。ありがとうという気持ちでずっとお腹をさすって帰った。

人工授精してきた!と大きな声で言えないので、少数の近しい友人だけに報告して、一人の友人は電話をくれた。自分ではずっとどういう気持ちでいたら良いのかわからなかったが、友人はとても喜んでくれて、ああ、私は前に進んだんたと実感できた。

その夜は満月だった。
満月の夜に、赤ちゃんが来てくれることを祈った。
毎晩いつもぐっすり眠れることなく夜中に起きてしまっていた私だったが、その日からはなぜか朝まで深く眠れるようになった。

翌朝、家の中にドローンが入ってきたのかというくらいのブーンという大きな音が家の小さな部屋からして、扉を開けたが正体がわからなかった。どこがしかからのスパイが私の家の中に盗撮ドローンを仕込んだんじゃないかってくらい大きな音だった。
午後にもう1回その小部屋に入ると、見たこともないくらい大きな蜂が床で倒れていた。もう音がしなくなったので、息絶えたのだろうと思い、でも少し不安だったので後で拾おうと思い、扉を閉めた。寝る前、再び扉を開けると、なんと蜂がいなかった。
ドキドキした。どうかネズミが来て食べてくれていますようにと必死に思うようにした。(ネズミがいても嫌だけど)
私は幼い頃、ハチに刺されたことがある。2回刺されるとアナフィラキシーになることは知っている。私は映画"My Girl"が大好きだが、その中で小さなマコーレー・カルキンは蜂に刺されて死んでしまう。

その夜は人工受精の翌日の腹痛で起き上がるのも難しいほどだったので、鎮痛剤を飲んで熟睡していたが、朝の4時になぜか目が覚めた。耳元でブーンと大きな音がした。
あの巨大な蜂が私の頭の上で倒れていた。

私は咄嗟にタッパーを蜂の上に被せた。蜂はタッパーの内壁にぶつかりながら、飛び回っている。一生懸命逃げようとしている。
私はこの蜂がタッパーの中で死ぬまで待ち、日が昇ったら捨てようと思った。ただ、小さなタッパーの世界の中でも、あまりにも蜂の飛ぶ音は大きく、蜂の生きたいという気持ちを無視したら、私は後悔してしまう気がした。もし私が命を授かれなかったら、あの時、蜂を助けなかったことが悔やまれてしまうと思った。

私はそっとタッパーと床の間に厚紙をくぐらせ、蜂を運んだ。
ベランダに逃しても良かったが、また家に入ってきてしまう恐怖があった。また、弱っている蜂が高層階で逃がされても嬉しくはないだろう。
蜂を持った私はエレベーターに乗り、マンションを出て、しばらく芝生のある地面まで歩いて、そっと蜂を土の上に逃した。蜂はウニョウニョと動いていた。
蜂がその後どうなったか見届けるほどの余裕はなかったので、私はすぐに家に戻った。

そして、上昇するエレベーターの中で思い出した。
私の精子ドナーのプロフィールに趣味「養蜂」と書いてあったことを。
そのエピソードについても彼はインタビューで話していて、彼の友人の家に大きな蜂の巣ができて駆除を手伝ったところ、その巣をもらってきて、養蜂するようになったと。
私は生の蜂を何年かぶりに目にしたので、このことが偶然であるとは思えなかった。
私が逃した蜂はもしかしたら彼のところに飛んで行って、私の「ありがとう」を伝えてくれるかもしれない。と思ったけど、調べたら蜂はあまり長い距離は飛べないらしい。
でも、私が逃した蜂は彼のところに行けないまでも、子孫は残せるかもしれない。その子孫が子孫を作り、いつか彼の元に行ってくれるかもしれない。

私にも、あの蜂にも、いつか赤ちゃんがやってきますように。



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