見出し画像

サイアノ和紙作家雑記VOL.43『やったらみえるコトがある』

僕は写真家だと思っている。
ただ一般とはちょっと違うらしく、
「これは写真ですか?」と良く言われる。
じゃあ、何が違うのか❓
端的に言えば、つくる写真なんだと思う。
撮ったりプリントするだけじゃなく、
何にどう描くのかが僕にとって大切だから
西会津町の出ヶ原和紙工房に通い、
紙づくりからやっている。
その和紙を支持体に
サイアノタイプの感光液を塗って、
印画紙を素材からつくっている。
キッカケはじぶんの作品をつくってるのに、
感材メーカーの供給などに左右されるのが
どうも腑に落ちなかったから。
その観点の一つの到達点が
カメラも使わずに自然のネガを使った
『そのに在ったひかり』プロジェクト。
僕のアイデンティティだと自負してる。

ただ、何かをやったからって
ゴールが見えるわけではない。
課題も見えてくることもある。
そのなかの一つに写実的な無機質さ。
ちょっと機械的であり、
写真故の窮屈さを感じていた。
サイアノタイプなどの
古典技法に惹かれたのは、
窮屈さが少し緩和されるからかもしれない。
あとで気が付いたらことだけど
和紙を使うことでさらに機械的から
離れられるのかなと思うようになった。
ただ、一度でも感じてしまったことは、
もっともっとと欲求が増してくる。
その一つの解決策が描くことだった。
でも、絵心など全くないとじぶんで思う。
だけど、やってみなければ前に進めない。
ダメだったら辞めれば良いだけと、
濃さの違う鉛筆を6セット手に入れた。
これを使ってネガをトレースする。
当然だけどなかなか上手くはいかない。
細かなディテールまで気にするとに進めない。
ここは割り切って大まかに描きつつ、
鉛筆を使い分けてみる。
写真でもトーンはとても大切な要素だけど、
鉛筆を使って描いてみるとおもしろい。
そう感じられると、
先程は捉えられなかったディテールも
なんとかなる箇所もあったりした。
楽しむのは大切なんだと痛感した。

上手いから下手かと言えば、
超下手だと思う。
だけど、コンストラストの強い箇所などは、
木版画みたいで良い感じ。
機械的でも無機質でもないネガを
意外と描けたと思う。

明日はこれをネガに用いて
サイアノでプリントしてみる。
結果はどうであれ、
とにかく楽しみだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?