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俺より強い人に会いに行く【要領悪いアメリカ留学34】

アメリカで過ごす2度目の大晦日。
日本語でのSNSからは「明けましておめでとう」が溢れ、
でも街では、おせちや福袋なんかは全くみられず、
テレビで年越し番組も流れない。
上半身だけ、新しい年に入っている不思議な気分。
歩いているのはまだ2023年の道なのに。

⚠️以下、本記事には能登半島地震に関する記載があります⚠️


2022年の大晦日のサンフランシスコは豪雨。
窓からの雨漏りも相待って、青く冷えてゆく我が家でしたが、
2023年は天気は安定し、ボスからもらったオーケストラのコンサートに行ってました。

第9とかやるのかと思ったら、オペラの作品をベースにしたコンサート。
男性テノールの綺麗な声とオーケストラのシンフォニーが響く美しい時間でした。
「映画館で一番前は首が痛い」
なんてよく言われますが、
「コンサートで一番前も首が痛い」ですw

戦闘列のバイオリンを弾かれていたお姉様のミニワンピースが、
僕の座っていた席の角度からだと、中が見えてしまいそうで、
本当に、ボスは夫妻でこの席に座らなくてよかったなあと思いました。



僕は言葉が自分の中に溜まっていくタイプの人間です。
そう自覚できたのは、フジテレビの宮司アナのポッドキャストを聴いていて、
普段の仕事を健康に行うために、ポッドキャストで言葉を出していく
という部分をオードリー若林さんに指摘されていて、気が付きました。

僕自身は自分のことを話すのが苦手とかいうくせに、言葉だけが溜まっていくタイプ(だからこうやってnoteを自分のために書いている。。。)。
そして、今日もこうして言葉の棚卸しをしています。


さて、大晦日のコンサートの後は、仲の良い日本人研究者をおうちに呼んで、みんなで高級そば(2玉$30!!!)を食べ、
ナミさんのおっpいの話をしながら、ネトフリの実写版One pieceを観ていました。

そんな男子高校生たちの部室トークみたいな時間は、23時過ぎに終わりを告げます。

そう、地震です。

日本から17時間遅れの僕のスマホにも速報が入り、慌てて、Youtubeで配信されているニュースをつけます。
心から慶びたい明日は、警報の紫色になってました。

そこから解散した1時過ぎ、
自身や僕の家族が被災したわけではないので、当事者ではないと言えばそうなのですが、
SNSでの被災報告、ライブ映像を観るたびに心が苦しくなり、物理的に離れているくせに眠れない夜を過ごしました。
そしてその24時間後の羽田空港も、ライブでニュースを見ていて。。。

アメリカは正月3が日という概念がなく、1/2は仕事始めです(僕は1/1始めでしたが)
すると、ラボで会う人会う人みんなに心配されました。

どちらのニュースも、アメリカで大きく報道され、ショッキングに映ったようです。

僕が、羽田での事故は、地震の被災地に行こうとしていた飛行機の事故だったことを教えると、より苦しくニュースが映ったようです。

某国会議員()やインフルエンサー?()が今、被災地に行っていることを我先に顕示して、醜態を晒していますが、
こうやって海外で暮らしていて、物理的に離れている僕ができることは??

もちろん、寄付が一番簡単ですよね。
もちろん僕は、数千億を稼いでいたり競馬で万馬券を得たわけでもありませんが、
無力感に苛まれる自分にとって、自分のためにも被災地のためにも最良の選択であると思われます。
僕は石川県の義援金を選択しましたが、比較の上、ご検討いただければと。

そして、お正月の中、誰かがどこかで頑張ってくれたからこそ、
僕らがこうしたアクションをとれることに感謝しようと、
宮藤さんのラジオ聴きながら思うのでした。

ところで、僕ができることは寄付だけなのか?
いいえ、他に3つできることはあるかと思います。

一つは、今自分が住んでる街に地震が来た時のシュミレーションを行うことです。
サンフランシスコは約120年前に、今回の北陸地震同等クラスのM7.8の大地震に見舞われています。

そのためか、ラボでは家具や冷蔵庫の固定が徹底されています。
しかし、いざ地震の際の避難場所がどこなのか?などは、実は僕自身理解していません。
今回の地震を契機に、今住んでいる地域の防災計画を確認しようと思います。

二つ目は、日本の自身の家族が被災した場合のシュミレーションです。
1/9の朝起きると、新潟県でも大きな地震が起こったことがスマホに表示されていて、驚きました。
今回の地震で、他の地震が誘発されるのではと不安に感じました。

僕の日本での拠点は愛知県です。
東海地震が発生した際には僕の町は津波の被害が想定されています(実家は山の上なので、家にいれば、津波に関しては大丈夫だと思っていますが)。
もし僕がアメリカにいる間に地震が発生した場合、僕はどうしたらいいのか?
家族に連絡を取るのはもちろんですが、日本に帰国して何かすべきなのか(できることがあるのか、交通的に愛知県に辿り着けるのか)?
おそらく、すぐに行ったとこで何の力にもなれないので、落ち着いたところで、復興ボランティアなどで駆けつけるのが最良な気がします。
しかし、その状況下でアメリカで仕事を続けられるのか(精神的に)?
シュミレーションと覚悟を重ねる必要がありそうです。

最後は、帰国した際に、ボランティアもしくはお金を落としに行く
そして、被災の経験などを伺えたら、自身の防災意識向上にもつながります。
話すのは容易でない方も多いかと思いますが、、、

これらを書き出してみて、結局自分のためじゃねえかと感じてしまっているのが悲しいのですが、一般人にできることの最初のステップは、個人レベルの点検と、記憶を風化させず保持することのように感じます。
東日本大震災の経験から、私たち日本人は津波や原発にセンシティブになっています。
その結果、津波への警戒を早期に呼びかけられ、被害を減らすことはできたのではないかと、報道レベルですが感じています。

海外で暮らしていると言っても日本人です。
日本の北陸以外で暮らす人たちと同様に僕も悲しく思っています。
どうか、心を大切にお過ごしください。

落ち着いた際には、そんな自然に立ち向かった強い皆さんに会いに行かせてくださいね。

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