蝶ヶ岳

地球温暖化と古気候学

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によると、科学的知見による「地球温暖化」は決定的に明確なもので、人類の活動が直接的に関与していることに疑いをはさむ余地はないといえます。

20 世紀に地球の平均気温が約 0.74℃上昇したのに対し(IPCC, 2007),東京の年平均気温は、100 年あたり(統計期間: 1876-2011 年)2.47℃上昇したことが報告されています(東京管区気象台ほか, 2012)。

生まれてこの数十年間、実感として気温は上がっており、台風や高潮の被害が増えていることを感じます。

1876-2011年の東京(気象庁)における年平均気温の変化

日本で気象観測が開始されたのは1875年(明治8)6月1日、今年で145年の歴史です。

図5_東京における18世紀以降の7月の平均気温の変化

上記は、現在の八王子市で 1700 年代より続く石川日記(八王子市郷土資料館1991)に記録された天候記録より、1721-1940 年の東京の 7 月(夏季)の気温を復元(推定誤差が含まれる)しています。

しかしながら、「古気候学」を研究する科学者たちは、人間の一生にあたる数十年から100年のスパンを問題にするのではなく、ホモ・サピエンスがアフリカから全世界へ広がった十数万年の歴史の中で気候変動がどのように推移したのかを研究し、また今後どのように変動していくのか推測することを社会に求められています。

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『昭和東北大凶作』山下文男著(無明舎出版)によると、1930年-1933年(昭和5-9)にかけて毎年東北地方を襲った冷害が、いかに東北の人々を苦しめたかが詳細に書かれています。「娘の身売り」や「欠食児童」に着目した昭和東北の大凶作。

p209村長らに身の上相談の一家

「(秋田県)横手駅発午後3時41分上野駅直行は身売り列車だ。銘仙(の着物)に白足袋、斑な白粉が一見してすぐそれと分かる。『離村女性』が歳末が近づくに伴い毎日のように身売り列車で運ばれ、駅の改札子をおどろかしている。」と、村から若い娘がいなくなったという新聞記事がセンセーショナルに踊ります。

p222食べ物をもらうために食堂車に群がる子どもたち

1931年(昭和6)の記録によると、秋田県の秋田市を除く9郡における13歳以上25歳未満の女子の離村数は9473人。娘を売るのが罪悪か否かの問題ではなく、そうしなければ一家が餓死してしまうのです。

男子は兵隊に、女子は身売りという東北と東京との経済格差による不公平感から、1936年(昭和11)2月26日、東北や地方出身の青年将校たちによるクーデターにつながったとも言われています。

その時代を生きた長老はかろうじてまだ東北にお住いのはずですし、その話を伝え聞かれた人たちは身近な事件として十分に記憶に残っているものと思います。

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青森県つがる市木造出野里より岩木山(2019.5.2撮影)

2014年、「岩木山」と「白神山」に登った時に資料館で「岩木山の大噴火」を知りました。1782年-1783年(天明2-3)のことです。同年1783年(天明3)に浅間山が大噴火、さらにアイスランドのラキ火山が1783年-1789年にかけて桁違いの大噴火があり、成層圏まで上昇した塵が北半球を覆って日射量を減らし、世界的な低温による飢饉が長期間発生しました。フランス革命はこの大噴火が遠因と言われています。

天明の大飢饉は1782年-1788年(天明2-8)の7年間も続き、近世最大の大飢饉となりました。岩木山を抱える弘前藩だけで死者は10万人を越え、全国的には飢餓とともに疫病も流行し、92万人の人口減を招いたとされています。

菅江真澄肖像画2

菅江真澄肖像画(大館市立栗盛記念図書館蔵)
2019年5月3日鹿角市歴史民族資料館「菅江真澄旅の枝折」展にて

1785(天明5年)旧暦の8月初め『菅江真澄』が津軽の西浜(青森県深浦町)に入りました。そのころの津軽は、領内の人口の3分の1もの人々が餓死したといわれる天明の大飢饉の最中で、真澄は道ばたに横たわる餓死者の屍を見て、その惨状を日記『外が浜風』に書き留めています。

1785年(天明5)、真澄は西海岸から岩木山を回り込むように、弘前の城下に向かって歩いています。「南の雲の中よりみねのあらわれたるは、不尽(ふじ)見てもふじとやいわん、岩木山なり」。いよいよ津軽平野に足を踏み出します。津軽の穀倉地帯である 「新田」に入るのですが、真澄は、床舞(とこまい)(つがる市の旧森田村)で、叢(くさむら)に山と積まれた白骨を目撃しました。聴けば、飢えて死んだ人の屍(しかばね)だと言います。まだ息があったかもしれないが、往き交う者は死がいを踏み越えて通って行きます。生きた馬を食い、木の根を煮て食い、野の犬も、果ては人の肉まで食べた、と言います。恐るべき惨状を目撃しました。

この歴史を調べてみようと「弘前市立博物館」に足を運んでみました。飢饉の資料はほとんど展示されておらず、Wikipedia「弘前市」の歴史にも記述がありません。

しかしながらこれこそ将来起こり得る人類史上最大の災害で、人類の英知をいかに高めてどのような対策をとれるのかという大問題だと思わせる本が以下の『人類と気候の10万年史』中川毅著(講談社)でした。

 立命館大古気候学研究センター長の中川毅(たけし)教授は、氷河期と間氷期を繰り返す大規模な地球の気候変動は「銀河の動きや地球の公転など、天文学的、地質学的な要因で起こるため止めようがない」と述べています。

図3.1_IPCC予測と過去の気候変動の比較(P075)

 現代の気温について、本来は既に次の氷河期が来ているはずだが「温室効果ガスにより人類は無自覚に氷河期を回避した」といいます。前回の氷河期が終わってから約1万1600年にわたり安定した状態が続いている現在は「極めて例外的な時代にある」と指摘しています。

図3.3_水月湖の年縞堆積物(P088)

福井県の湖底から採取した堆積物を分析し、過去5万年の精密な年代を示す指標(世界的なものさし)を発見しました。

世界中探してもこれ以上完璧な『年縞』は見つからないボーリング調査で採取した15mもの縞模様は「奇跡の堆積物」と呼ばれ、福井県の三方五湖のひとつ『水月湖』にあります。

図3.2_福井県の水月湖(P084)

水月湖には流れ込む河川がなく、山に囲まれているために波が起こりにくく、湖底に酸素がない環境のため生物にかき回されずに済み、周囲の断層の影響で徐々に沈降するため埋まらない湖という4つの条件が偶然に重なりました。

1年に平均して0.6ミリづつ16万年間連続して堆積した縞模様を調べると、地球の気候変動が正確にわかってきました。放射性炭素年代測定で堆積物の年代と、花粉を調べることで植生から気温を推定することができます。

温暖化すると杉が増え、寒冷化するとモミやトウヒなど針葉林が増えます。温暖化が続く平安時代以降にはほとんど杉はみられなくなりますが、これは人口が増え人間が伐採したために松などの植生に代わったと考えられます。

南極の過去80万年分の氷の層を調べると10万年周期で温暖と寒冷を繰り返していることがわかります。これは地球が太陽の周りを回る公転周期がまるで輪ゴムのように振動する際に発生するためで、「ミランコビッチ理論」と呼ばれています。しかしながら正確に10万年周期にならないのは、地球の地軸の傾きの変化によるものです。

グリーンランドの氷床でさらに「解像度」を上げて氷に含まれる酸素の同位体比から6万年の気候変動を調べたところ、最近の1万年に比べ、氷期に激しい気候変動が頻発していました。

図6.2_水月湖15万年の気候の歴史(P156-157)

そこで水月湖の15万年分の縞模様を調べてみるとたいへん興味深い気候変動が分ってきました。植生変遷から最近の1万年前(縄文時代早期)と12~11万年前(デニソワ人などの旧人時代)に温暖のピークがわかり、最終氷河期が終わってから1万1600年間、現代まできわめて安定した温暖な時代が続いています。

図1.7_地球の公転軌道の変化(P035)

10万年前から現代に向けて、地球の公転軌道は楕円から円に近付き寒冷に向かっているのですが、10万年間の気温を推測すると、2万3000年ごとに規則的に温暖のピークがあるのがわかります。これは地軸の歳差運動と考えられ、現代はすでに寒冷期に入っていてもおかしくないのです。

本来1万年前から徐々に寒冷化が始まっているはずなのにこの時代は、人類が採集生活から農耕生活に変わる頃で、爆発的に人口が増え、寒冷化のスピードが鈍ったのではないか。農耕が始まったことでメタンガスの発生が促されました。

メタンガスの温室効果は二酸化炭素の25倍~80倍といわれています。さらに産業革命以降の二酸化炭素濃度の上昇は確実に地球温暖化の原因であり、その濃度は加速度的に高まっています。

1990年代に入って、「地球温暖化」の原因は化石燃料を燃やすことによる二酸化炭素濃度の上昇であることがさかんに問題視されるようになりましたが、実は1970年頃までは、地球は寒冷化の一途を進んでいると気候学者は言っていました。

過去の気候を研究する『古気候学』では、地球の温暖化も寒冷化も、10万年単位で考えれば直線的な気温の変化はありえず、温かくなったり、寒くなったりの繰り返しですが、大きく見れば寒冷に向かっていることは間違いなさそうです。

1993年の米騒動は記憶にある方も多いと思います。作況指数は90以下が「著しい不良」とされていますが、北海道が74、東北地方が56と、食糧市場が大混乱に陥りました。

フィリピンのピナトゥボ火山の噴火が原因でしたが、幸いに翌1994年は猛暑となり気候が正常に戻りました。この米騒動は1年で終わりましたが、天明の大飢饉のように冷害が7年続いていたらと想像すると、国を揺るがす大混乱に陥っていた恐れがあります。 

いったん地球が寒冷期に入ると短期間に大きな振幅を繰り返しながらさらに寒冷化が進行することが知られています。これは地球の降雪部分が増えると、太陽光を反射して、太陽光が地面まで到達することなく気温が加速度的に下がることを意味します。

氷期と氷期の間のわずかな期間を間氷期と呼びます。温暖な間氷期の気温変化は緩やかですが、いったん氷河期に入ってしまうと気温の変化は劇的に変化することがわかっています。

この本を読むと、人類に待ち構えているこの絶望的な将来は、数百年先のことかもしれなし、来年から始まってももおかしくない大災害です。目先の温暖化を食い止めることは国際的なコンセンサスとしてほとんどの人がなんとかしなくてはと感じていることと思いますが、温暖化による災害とはけた違いの災害をもたらすであろう寒冷化は、どれだけの人や政治家、行政が認識しているかと思うと、「気候変動」についての知識はメディアや教育関係者ももっと広く知らせるべきだと感じます。

参考資料
1)東京における江戸時代以降の気候変動 財城真寿美、三上岳彦(地学雑誌122(6)1010-1019 2013)
2)人類と気候の10万年史ー過去に何が起きたのか、これから何が起こるのかー 中川毅著(講談社BLUE BACKS)
3)昭和東北大凶作ー娘身売りと欠食児童ー 山下文男著(無明舎出版)
4)夏が来なかった時代-歴史を動かした気候変動ー 桜井邦朋著(吉川弘文堂)
5)街道を行く 41 北のまほろば 司馬遼太郎著 (朝日文庫)
6)菅江真澄遊覧記〈1〉 菅江真澄著、内田 武志 (翻訳)、宮本 常一 (翻訳) (平凡社ライブラリー)

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