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「無駄な時間」の共有と、商業主義にまみれた汚いゲーミングモンスター

最近違和感を覚えた瞬間がありまして。

いや番組について先に行っとくとね、僕のテンションが低すぎるのは真に「Gartic Phone」がやりたくなかったからですよ。「Garitc Phone」って光のゲームにありがちなルールが曖昧なゲームじゃないですか。TRPGとかボードゲームにありがちなルールが曖昧なゲームって、僕はそこにリソースを割かざるを得なくて、あまり得意じゃない。

例えば、人狼ゲームは一緒に遊ぶプレイヤーによって様相がガラリと変わる。「ローラー」という単語に理解があるのか、「雑殴り」をどう見るか、初心者を寡黙として吊るのか、メタ読みを良しとするのかしないのか。

全部画一の答えはなくて、ケースバイケースなんですよね。集まったプレイヤーのひとりひとりが、どういう目的でゲームを遊ぶかによる。わいわいわちゃわちゃしたいのか、より高いレベルのプレイを求めてプレイするのか、あるいはそれらの人が半分ずつくらい集まったのかによって、態度が変わる。ルールが曖昧なゲームっていうのは、お互いの歩み寄りが重要なわけですよ。お互いそこで歩み寄ることができればいいゲームができるだろうし、逆に「こういうものだ」という凝り固まった人がいると楽しく遊ぶのは難しくなったりする。

だから僕はそういうゲームと相対したときに、かなり気を遣う。楽しく遊べるかどうかに労力が必要だと考えているから。それを直感的に出来る人はたくさんいるけど、僕はいちいち考えないとできないので、うらやましく思う。ましてや誰かにそれを見せるとなったら感度はもっと上げないといけないし、何より面白いとは何かみたいな話がそのうえに乗ってくる。とても大変なわけだ。

無論それをもって大変だからやりたくなかった、という単純な話ではなく。気を遣うゲームをやりたくない、というのはいくらなんでも企画運営している人達の努力に対して敬意がなさすぎると思うし、苦手なものがあったとしても最低限の見せる努力は僕もするべきだと思う。

ただ本当にゲームが悪かった。先に書いた曖昧なルールのうえに、僕が最も苦手とする「絵を描く」という要素が乗っかっているのが「Gartic Phone」であり、それはもうキャパシティオーバーなのだということが言いたかった。過去に一度身内で遊んだとき、「絵が下手すぎる(からゲームが成立しない)ので真面目にやってほしい」と笑いながらに言われ、1ゲームでDiscordをミュートすることになり、二度とやりたくないと思ったあの「Gartic Phone」なのだ。

いやいや、最初は自分でもびっくりした。「曖昧なルール」+「絵を描く」によって僕自身これほどまでにパニックになると思っていなかった。おそらくどちらかだけならいける。極めて厳密なルールに基づいた「絵を描く」行為ならある程度ゴールを見つけて稚拙ながらもなんとか表現できる予感がある。ただ「曖昧なルール」、あるいは「面白ければOK」的な文脈に乗った「絵を描く」行為をやらせるとバグる。余裕がない。本当に。ましてや放送どころではない。だからうまく行かないのが目に見えていて、テンションが限りなく低かった。そしていい歳したおっさんが参加者にも気を遣わせてしまって、申し訳ないと思う。

「コードネーム」はその点、語彙を扱うゲームであり、僕にとっては人よりも得意なところなので、僕が気を回す先は「曖昧なルール」だけでよかった。特定のローカルルールに与することなく、プレイヤー同士の合意が取れ、場が成立すれば良い。実際に成功したかどうかはさておき、目指す先は明確だった。

……いやもう、こんなことを長々と書いてる時点で本当に「コミュニケーションを主とするゲーム」が向いてない。僕の一番嫌いなゲームがAmazonレビュー☆4.3の「テストプレイなんてしてないよ」であることからもそれはハッキリしている。「ダイスフォージ」は好き。わかりやすいなあ。「ゲームを主としたコミュニケーション」は好きだけど、「コミュニケーションを主としたゲーム」は苦手。その境目は……何処なんだろう。

はい。ここまでは本題と一切関係ない雑談でした。1500文字も使いましたけど、ただのぼやきです。ここからが本題でございます。

その引用した「Gartic Phone」の中にですね。「石井プロ」って単語が頻出するんですよ。魚群の裏方の。これが本当に面白い現象だなと。

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