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大人になって平和学習した話。


こんにちは!
ちょんちょんです!

皆さんのふるさとはどんな所ですか。

私が生まれ育ったふるさとは、戦時中に特攻隊と呼ばれる人々が飛び立った場所です。

アメリカとの戦争中、沖縄を守るための最終手段として始まった特攻作戦。
439名の特攻隊員が命を落としたと言われています。


私が幼少期をたくさん過ごした公園。
春になると満開の桜で公園が鮮やかになります。
小さかった当時の私は、この公園が過去にたくさんの人の最期を送った場所だったことを知りませんでした。


再び訪れたきっかけは高校の錬成会とも言われる、心の教育をする事業でのことでした。

資料館に入り、いつも一緒に行動する親友と「このような場で人と一緒に見るのは違う」と話し、一人で展示物を見始めました。

同い年くらいのこれからの未来があったたくさんの隊員。
人間誰しも、死ぬことが本当は怖く、これからも家族と日々過ごしたいという望みがあったはずです。

しかし、残された遺書は達筆な美しい字で、国のために命を捧げられる喜び。そして家族の今後の健康を祈り、先ゆく死を親不孝ものだと書く心の強さ。
受け止めるにはあまりにも残酷すぎて、目に力を入れていたものの、堪えることができませんでした。


その時初めてこの場所が持つ意味の大きさを理解したのでした。


そして今年、再び資料館を訪れました。

戦争があった事実を風化させないこと、何不自由のない今を当たり前と感じさせないためにです。
大人になって感じ方が変わった今だからこそ、見るべきもの、知らないといけないことがありました。

一人で広島の原爆資料館にも足を運んでみました。
今では想像のできない街並みが、ほんの少し前にはこの地だったのだと考えると、広島の街を一歩一歩踏み締めて歩きました。


どんなものも時間が経って視点が変わると、自分にかなり大きな影響を与えます。

人生に迷ったら知覧に行け、と言われますが、いくべきだと私は思います。


そう、わたしの故郷は知覧です。
素敵な街の辛い過去を汲み取ることで、自分自身の明日への生きる力になると思います。

皆さんの今日そして明日が輝けるように。


ではこのへんで!


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