私がつぶれた理由❁3

前回は休職までいきました。

休職から復帰へ

1ヶ月の休職は私にとっては寝まくってしまうのであっという間でした。

検査は3つの病院をたらい回しにされた後、1番安い無呼吸の人を検査する呼吸器内科でしてもらうことが決まりました。

無呼吸症候群の人と過眠症の人が受ける検査は睡眠ポリグラフという同じ検査です。1泊2日で夜寝ているか調べて、次の日2時間毎に30分寝てみるという検査でした。

私はナルコレプシーに近いけど違う、
特発性過眠症でした。とくはつせいと読みます。「原因不明の」という意味です。

夜は寝れていました。でも、日中は無自覚に眠っていました。

技師さんに「あの時間は起きてました!」というと「データでは寝ていたよ!」と言われ驚いたのを覚えています。笑


正直病名がついて心底ほっとしました。
ずっと病気じゃなかったらどうしよう。
診断されなければ、ただの居眠りです。
甘えになるのです。

実際、診断が難しいので「貴方は病気ではないです。」と言われて何年も苦しんだ患者さんもいます。

病院ではざっくり、「お薬は3つしかないよ」「治ってる人は極少ないよ」「体質みたいなものだよ」「仕事は人それぞれだよ(適当)」と言われました。

母も付き添いできていて、「妊娠中はどうなんですか?!」と聞いていました。
それ以前に結婚までの道のりが長いんですけど!!いろんな意味で!と思っていました。笑

道のりがもっと長くなったなぁ…

もうその時点で母親はお薬に抵抗を示していました。確かに普通では手に入らないお薬です。またこのお薬についても話します。

母親はある病名で入院歴があり、勝手に脱走したこともあります。そして薬を害だと思ってるので飲みません。

治す気がないというか、病気じゃないと言い張ります。見た目で分かっちゃうのに。

私はというと、この症状が抑えれるなら毒でも飲むつもりでした。何故なら仕事が出来なくなるから。眠ってたら何も出来ないから。

無事モディオダールという1番副作用が少ないらしいお薬を貰いました。このお薬は毎月病院に行かないと貰えません。

そして月お薬代で8000円、通院で2000円程、計1万円分お金が飛んでいくことになります。

そして、スケジュールの都合上、診断がおりた次の日が出勤日でした。副作用があるかどうかも分からないまま出勤は怖かったです。

復帰の日、朝礼で「休職させていただきありがとうございました!出来るところまでやりたいと思いますのでよろしくお願いします。」と頭を下げました。確かこんなニュアンスだったかな。

今思えば、この当時から「出来るところまで」と決めていました。…眠りながら多忙なこの仕事を続けるのは無謀ではないか?と心の底では思っていたのだろうと思います。

私の事だから、頼まれたらきっといつか無理をしてしまう。そう分かっていました。

私は実家に帰りたくないので、上司にも課長にもここに居たいですと頼みました。(一生懸命ですね。笑)

前にも書いたように、ニュースで問題になっていたのと、社内で辞めた人が多かったのとで、更に優しかったのかも知れません。

私も私なりに必死で上司に愛想をふりまいてた時期だったと思います。1番いい関係を築けていました。

「ちょろさんは時間を決めて最低でも22時には上がっていいからね!」と言われ堂々と早く帰れなかったので有難かったのを覚えています。

そう言って貰えた事が凄く嬉しかったので、バス通勤でしたが、バスの中で泣いてしまいました。

お薬は服用していましたが、それからの毎日はとても楽しく私のデザインが1番良かった1年間だったと思います。

つづきます。

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