東洋のナポリ 灼熱の「阿字ヶ浦海岸」(前半)
かつて東洋のナポリと謳われた「阿字ヶ浦海岸」。3年前のゴールデンウイークに、家族と乗り鉄の日帰り旅で訪れたのですが、今回は、真夏の男合宿?!にて、1泊2日の阿字ヶ浦を体験。「東洋のナポリ」の今を楽しんでみましょう~
常磐線にて「勝田」へ
「常磐線」、それは静岡出身の東海道線沿いで育った小テツにとっては、未知なる路線なのでした。上野駅地下ホームにへばりついていれば、北からの特急、寝台特急が次々と発着し、雪を被った特急に心奪われてました笑
そんなとき、「常磐線経由」の列車ということで、初めて常磐線を知るのでした。そして、常磐線、水戸・勝田から先は、未だ「みちのく(道の奥)」。今日は、日暮里からスタート。東京近郊の列車がバンバン通過。
日暮里から右に大きく半円を描いて「三河島」、続いて、左に大きく曲がって「南千住」。右にスカイツリーを見て、北千住、荒川を渡ります。
天気はまあまあと思ってましたが、この日、台風が近づいており、突然、雨雲が現れ、我孫子のあたりからは雨。
水戸駅、改めてかなり広い敷地で、かつては、様々な客車も擁していたのでしょう。次が勝田、この列車も勝田止まり。
ひたちなか海浜鉄道(旧湊鉄道)
勝田から、終点阿字ヶ浦までは、ひたちなか海浜鉄道。関東エリアで、往年の車両を有していて人気ローカル線と言えば、銚子電鉄、小湊鉄道に、このひたちなか海浜鉄道というところでしょうか。
湊鉄道株式会社ができたのは1907(明治40)年、那珂湊までの開通は6年後の大正2年。開通当時は阿字ヶ浦まで通っておらず。その後、阿字ヶ浦まで延長も、戦前はイマイチ需要が伸びず、茨城交通に合併されます。戦後は、那珂湊からの魚や海水浴客の増加で、黄金期を迎えます。
ところで、「東洋のナポリ」の所以は、以下の通り。
阿字ヶ浦の海岸の南にある「比観亭跡」からの眺めが素晴らしく、那珂湊鉄道が昭和3年阿字ヶ浦まで開通し、その祝賀会にて、当時の鉄道省の局長が、比観亭跡からの白砂清松の眺めは「東洋のナポリ」に相応しいと激賞したところから始まったとか。
80年代には貨物の取り扱いは終わり、2008(平成20)年に第三セクターとして、新たにスタート今に至るのでした。
ロングシートは6割ほど埋まり、数百メートル進んだら、あっという間に「工機前」駅。日立関連の会社に通勤利用からのスタートした駅。
右に芝生広がる勝田駐屯地を眺めて、住宅地を抜けて、
ここに車両基地があるのは歴史的経緯を知って納得。乗客の半分以上がこちらで下車。駅舎は関東の駅100選に選ばれており、駅に降り立ったら、すぐに100選駅と分かるオーラ発してますW
車内はガラガラ、線路は10‰程度のアップダウンがあり、右には太平洋が見えてきます。両側に広がるのは、広大なサツマイモ畑。
磯崎駅からくねりとS字を描いて、着きました終点「阿字ヶ浦」。
いざ、阿字ヶ浦海岸!
駅から海岸までは10分もかかりません。台地の緩やかな坂を下れば、海が見えてきます。台風の雨雲は幸いにして北の方に留まり、このあたりは快晴。
今回は教会のおじさんから高校生まで、参加の男合宿、現地集合10時。ほとんど車で乗り合いでしたが、数名だけ電車(当然自分も電車!)。
海岸はどんな状態かというと…、台風の影響で海岸の北側は遊泳禁止、真ん中部分は、ひざ下までOK、南側の一部分だけ、遊泳OKという救護本部からのアナウンスが流れています。
驚いたのは、「ひざ下までOK」の海岸中央はかつての阿字ヶ浦どころか、外国人多く、家族連れから真っ黒な若人まで、パラソルひしめく大盛況ぶりなのでした。
しかし、我々はここまで来たのに「ひざ下まで」はなかろう、ということで、早速、南側の遊泳エリアまで移動。次々と海に飛び込み、海中、円陣バレーで盛り上がる。長時間、泳いでいたら、足がつり、そそくさと退散。
灼熱のビーチバレー
本日のメインイベントはビーチバレー。コートは3つあり、ネットの貸し出しは無料。ラインは作れないので、波打ち際から昆布を拾ってきて、昆布ラインW
私バレー経験者で、今でもプレーしますが、とてもじゃないが、二人は無理。まずジャンプができない。ボールを追いかけられない、太陽が眩しいなどなど、経験者のアドバンテージはほとんどなく、野球やサッカーの体幹の良い若者がプレーが冴えてました。3チームで15セットやりましたが、かなりの消耗。ビーチバレー選手の凄さを身をもって体感しました…
日はやや西に傾くも、続く灼熱のビーチバレー。さらにプレーしたい人4対4で、かき氷を賭けての3セット。もう最後の方は、体が動かないくらいの死闘になり、結局われらチームはセットカウント2-1で勝利。
16時過ぎるまで、野球する人、語り合う人、思い思いに遊んで、旅館に向かいます。
投宿は旅館「ふるさと」
高校生は大部屋、2人部屋も多く、冷房もばっちりで快適な環境。
お風呂の後は、夕食。食事の場所には、ちょっとした舞台があり、カラオケも可。刺身にフライ、さらに地元の社会人の親父さんが、那珂湊で、店を開いており、カニ持ってってやるわ~ということで、大量のカニの差し入れ。
大量のタラバガニ、ズワイガニを持ってきていただきまして、旅館の方にもOKもらって、カニの宴会!こんなにカニ食べたのも久方ぶり。
柔道場で、サイコロトークの後、若人が花火の準備をしている間に、玄関先にて、凛とした女将さんとゆっくり話せました。
阿字ヶ浦の海は、昔はもっと綺麗だったそうで、那珂川の整備が進んで、海岸の浸食が激しく、テトラポットを沖に入れてから、海が汚れるようになったそうです。
お風呂も食事も良かったし、また来年も使わせてもらいたいくらいです、と話したところ、なんと、この8月末で宿を閉めるとのこと。もうこの通り年を取りまして…と。
昭和40年代とかは、70,80名の団体客が、夏になると入れ替わり立ち代わりで、宿泊したということで、それを考えたら、1泊の二十数名の客は可愛いものです。
こちらの宿も今後どうするかは未定ということで、たいそう楽しませてもらいながら、阿字ヶ浦の時の流れを感じるしかありません。
語りあかしながら、夜更けていくのでした。1日目終わり。
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