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毒消し売りの旅⑥(越後の女性とその社会的背景)

さて、毒消し売りの旅も佳境。今回は毒消し売りから少し派生して、絶版の「越後の女性とその社会的背景」(1961年発行)という高校のクラブ活動から編纂された書籍をみてみます。「毒消し売り」だけではない越後の各地域に生きる女性の歴史の一幕を感じる一冊です。

「まえがき」から、編纂者の思い

監修は浅妻康二先生

この本は新潟中央高等学校、社会科学クラブという高校のクラブ活動の数年の成果をまとめたものです。「日本社会に定着する民主主義とは何か」という問題を「日本女性のしあわせ」という観点から共同研究し、構成員は先生以外は全員、女生徒によって構成されています。
驚いたのは、このまえがきの次に書かれた「問題の所在」の文章。当然、顧問の先生の文と思われますが、この志あっての取り組みであっただろうということです。敗戦後の新しい憲法、制度の変化などについての経緯がつづられ、そのあと以下、長い文章ですが、引用。

われわれはいま一度暮らしの中にある本当のしあわせは何であるかを考えてみなければならない。~(略)
この問題を「日本の女性のしあわせ」という観点からみたらどうなのだろうか。戦後、日本の女性は解放されたという。しかし、本当に解放され、しあわせになったのだろうか。人びとはそれぞれの暮らしの中にしあわせを求めて生きている。特に日本の女性は、嫁として働き、丈夫な子を生み、主婦として家の遣り繰りをし、子供の成長にすべての願いをこめて生きて来た。貧しい日本の社会では、ある意味で女性の働きによって支えられて来たといってもよい。働き手としての女性は、しあわせなど考える暇もない位に身を粉にして働いて来た。苦しい忍従と激しい労働のなかに愚痴一つ云わずに生きて来た女性。それだけにこうした日本の女性の幸せが取り上げられなければならない。
さまざまの地域で、それぞれの暮らしの中で、女性はしあわせの願いをこめている。「話し合いましょう明るい人間関係をつくるために」、と簡単に云い切っているけれども、日本の女性の多くは、複雑な社会構造と微妙な人間関係、そこから生まれた長い間の因襲の中に気兼ねしながら暮らしている。日本の女性が本当にしあわせになるためには、何よりも日本の社会が豊かになり、人と人との関係が改善されなければならない。その手がかりを一体われわれはどこからみつけたらよいのか。そこにまず問題がある。
われわれはその手がかりを「越後の女性」に求めることにした。「越後の女は働きもの」だという。「嫁を貰うなら越後から」という。その背後にはいくつかの社会的性格と人間的なものを含んでいる。「ねばり強い」「実直」「勤勉」「義理固い」それはなるほど越後人の性格といえよう。然しそれは単に越後人の性格ではなく、日本人の徳目としても礼讃されたものである。この性格を批判するならば批判出来よう。いますぐに断定を下そうというのではなく、「越後の女性」がなぜそのようにしかならなかったのかという社会的背景を明らかにすることによって、しあわせに通ずるものを見出すことが出来るのである。それは同時に「日本の女性」に通ずるものでもあろう。

越後の女性とその社会的背景 「問題の所在」

ということで、昭和30年代の前半、戦後の混乱期から少し落ち着いて来た中で、このような問題提起とともに研究が始まります。対象はいくつかの村・街・地域ごとにスポットを当てて各班ごとに研究を進めた形です。対象の地域は以下の通り。

調査地の分布図
  • 「赤倉の女性」:山村の閉ざされた社会、古くからのしきたりの中で生きる女性を。

  • 間瀬まぜの女性」:世の中の変化を強く受けると、どのような変り方をするか。

  • 「毒消し売りの女」:多くの矛盾を生活の周囲にもちながら…。

  • 「野積の女性」:新しいものと古いものがするどく対立する中でどう生きるか。

  • 「中之島の女性」:新しい時代の変化に積極的に順応してゆこうとする姿を。

  • 「入広瀬の女性」:近代産業の影響を受けるとどう変わるのか。

  • 「石名の女性」:佐渡という風物詩的な見方をされる土地で、どんな社会構造の中で、どう生きているか。

  • 「朝一の女性」:華やかな都市の一隅に逞しく生きる女性とその背後の姿を。

データ・図表・聞き取りと多角的

さて、上記の地域の研究を全ては語れないので、どんな調査をしているかをいくつか紹介して、もう一つは毒消し売りの章を少し詳細に見てみます。
基本はその地域の成り立ちや村の運営、家族構成、女性たちの暮らしぶり、家計の事などなど本当に多角的にアプローチしています。
「赤倉」という閉ざされた地域では、特に家門というか本家(「おもだち」と呼ぶ)を紐解きます。この部落では6軒の本家があるとのこと。

苗字は3つしかない。この図を作り、追いかけるだけでも大変そう。
また婚姻関係がどのようであるか調べるために、このような対応表を作っている

結婚にあたり「ふさわしい人」とは、この地域ではどのようなこと意味するのかを、上記のような調査をしながら客観的に考察しようと試みています。閉ざされた狭い地域の調査であっても、これは労力がかかる調査です。
「中之島の女」の章では、社会情勢の変化、不安定さを解消すべく、農協による月給制を地域で採用。昭和31年から農民の家計簿というものをはじめ、家計簿をつけることで、家も、農業経営ももっと計画的に行おうということです。

このような農家簿記を収集し、現状把握

「入広瀬の女」は、現在の只見線の電源開発という仕事・産業が地域や家族・仕事に与える影響を調査しています。この地域に住む女性のライフヒストリーも記録されています。

村の調査もこんな感じで丁寧に調べています
電源開発工事に働く女性

「石名の女」の章では、佐渡の集落の中の家族構成をつまびらかに調べながら、女性が働く時間、結婚にも注目し、さらには下記のような現在の生活の中での「楽しみ」、「困ること」についても聞き込みの調査をしている。世代ごとの貴重な記録ですね。

「現在楽しみに思う事は」「現在一番困る事は」… 

今の私たちと同じ楽しみ、悩みもあれば、この時代だから…というものも見られます。複数名で共同して行う学校での研究という意味ではとても、実際的で、価値の高い資料ではないでしょうか。

「越前浜の女」矛盾の中に生きる毒消し売り

毒消し行商の仕度をする母と娘

さて、毒消し売りについて。いくつか、初めて見る記述がありました。
毒消丸から移動百貨店に至るまで、モノが自由に買える都会の地では商売が難しくなっているということですが、盛んな時期には、樺太・台湾・朝鮮・中国にも出かけたというが、現在では、関東地方・中部地方・東北地方の南部・北海道に若干という状態である、とのこと。
戦前の大陸との交流が盛んな時期は船で客船に乗って行き来していたようです。
また、「かけ」という結婚について。(詳細は前の記事で紹介した本にも記載あり)ほとんどの女性が毒消しの行商に出ている越前浜での結婚平均年齢は、新学制迄は十六、七才であったが、今では二十一、二才。「かけ」というのは縁談がきまっても、嫁は「かけ」の期間だけ実家に滞って働く。結婚式をあげて、嫁が婿の家に移る迄の間を「かけ」という。「かけ」の期間中毒消しの行商の場合は、お互いに離れているので、夫婦生活はない。部落に帰れば、実家の農業を手伝ったり、手が空けば婿の家に手伝いに行く。こうして行ったり来たりする期間が昔は7,8年ということもあったが、今は2,3年とのこと。以下、ある夫婦のお話し。

あの人達がね、婿が十九、嫁は十六だった。二人は畑に働きに出た。
「おまえおれと一緒に仕事をする事はたのしいか」
「うん」
嫁さんは赤くなって小さな声で答えた。
「楽しくて一緒にいたいのだから、二人で来た時には一割精を出して働こう。そうすれば、親達はおれ達二人が一緒に仕事に行くと仕事がはかどるらしいから安心して出してくれるよ」
この二人は今も仲の良い夫婦ですがね、十九のときにそういって働きに出たんだから偉いもんですね。
部落の伝統的なしきたりの中にも、いかにして人間の愛情を表現し、しあわせを求めようとしているか、毎日の暮しの中でつつましやかな夫婦の協力があらわれている。

同上 「越前浜の女」

女の暮らしとしあわせ

”山が高くて越後は見えぬ 越後恋しや山憎いや”
を唱うおばあさん

しあわせとは何か、苦しみの連続なのだろうかという問いに、おばあさんたちが自分たちの言葉で語っています。

「何がしあわせだか、わけわからんね、しあわせなんか一つもねえよ」何の飾りもない素朴なことばである。深く刻まれた顔の皺は人生の哀歓を秘めている。寂しさだけが人生の全てであるのか、この人達にもきっと、人生の楽しさとしあわせがあるだろう。
「女のしあわせなんてね、嫁にいって、好きな者同士でつれそう事だね。貧乏でも頼りになる人と一緒にいることだね」
「なんといっても嬉しい事は、自分の子供が自分でいい家だと思っているところに、嫁に行った時でしょうかね」
「ただ子供が可愛いて、可愛いて、親は子供のためなら、どんなに苦労してもいいさ」
ただひたすらしあわせを、次の子供の世代に願いをかけている。
「おめえさんたち、嫁に行ったら怒った声をたてなさんな。その家が円く治まるも、波が立つも、嫁さんが利巧だかどうかできまるんだがね。自分の子供はみんな良く見えて、悪い事はみんな嫁のせいにするんだすけ、ちいとぐれい腹が立っても、絶対に腹立てんな」
~(略)
ただ、自分を犠牲にしても、家に波風を立てずに、丸く治めようと努力している。その中からしあわせを求めようとしている。

同上 「越前浜の女」

私たちのしあわせって、前の世代、その前の世代から綿々とつながって、今に至っている…

「あとがき」 社会科教育へのメッセージ

 「社会科」、小中高と進むに従い、どうしても授業が知識偏重に陥る中、ここに綴られている「あとがき」は、まさに社会科という学びの神髄に近いものが書かれていると私は思います。また全文載せられませんが、一部引用。

現在の社会科教育のむずかしさを、現代の社会をなげいたり、現代社会のせいにしたりしていただけではそこからは何も生まれない。~(略)社会科学など堅苦しい名前をつけているけれども、学問がこの程度に高校生にも理解されていくことも、民衆のしあわせに通ずるものとして必要であると考えたからである。われわれの身近な問題を、ていねいに見直すことから学問ははじめられてもよい。
実態調査は現地に行けばよいのだと、簡単に考えられがちであるが、事前の研究と予備調査こそ充分になされなければならない。~
クラブ員は現地に入ると簡単に封建的だとか、非近代的だとか、大ざっぱに片付けるきらいがあるが、その点は厳にいましめた。生活様式なども出来るだけ現地の様式に従い、生活も共にするようにした。大体夏休み中の一週間位の日程なので、生徒達にとっては、とまどいや苦痛もあったようだが、そこに暮らす人びとの共感の中から考えるようになった。それだけにここにまとめたものには、主張の弱さがあるかも知れないが、いたずらに緊張したり、楽観したりするよりは、一歩でも半歩でも真実に近づけばよいと思っている。

あとがきより

日本の部活動、クラブ活動は正直今でも、先生たちの熱意・善意で支えられているところが多いですが、このような先生に出会った生徒も幸い、このような場で、一緒に学んだ監修の先生も幸いだったのではないでしょうか。

調査資料を整理するクラブ員

研究調査の過程の中に、さまざまな条件の中に人びとの生きている事を知り、調査後もつきあいをしている。そして共同研究の間にクラブ員はみごとなチームワークを作り上げた。高校生活が何かと批判されるけれども、クラブ員はその中で自らを成長させ、それぞれの生き方をしている。この本をまとめるために商業デザイナーを志す先輩は編集の仕事をしたり、社会事業を志す先輩は何かと助言をし、ある先輩は清書をしてくれ後輩は校正をし現実にそれを示していた。社会科学クラブとはいうけれども、クラブ員が全員何も社会科学者になる必要もないので、それぞれに個性ある充実した生き方のきっかけを共同の研究の中から成長させていくならば、それでよいのではなかろうか。

あとがきより

「毒消し売りの旅」ここで書籍で巡る旅はひと段落。最後、素晴らしい書籍に出会いました。近いうちに、「毒消し売り」の地を訪ねる旅に、出かけてみたいと思います。
ご覧頂き、ありがとうございました!

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