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本当に響くのは…「一個人、一人間としての言葉」

「親は子どもを完全には平等に可愛がれない。」これは小学6年生の時の担任の先生の言葉。「親と子にも相性がある。」と話は続きました。社会の授業の雑談の中でのこと。弟の方が母から可愛がられている…!とモヤモヤしていた私は救われました。これは親自身が言ったらシャレにならない。先生が言うから良かったのかもしれません。


「受験がなければ本来勉強はとても楽しいものなんですけどね。」これは塾の先生の言葉。これも雑談中にふと出た言葉。塾の先生という立場と、学問を愛する一個人との間で苦悩している様子が伝わってきました。本音だし、本当にそうなんだろうなと思いました。


「今、その年齢でしかできないことがあるんです。大切にしたほうがいいですよ。」これは高校の時の政治・経済の先生が突然つぶやきました。いつも真面目に授業に関することしか言わない先生だったのに…。あの時はどうしたんだろう。10代だった私にはピンとこなかったけれど、(あぁ、今真実を言ってるな。)って感じました。これはすっかり大人になってからも心に留めておくといい言葉だ…と今では思います。


どれも、先生が一個人として思わず言った言葉。何十年も記憶に残っているのはそういう言葉。逆に…先生として、親として、上司として、先輩として…みたいな立場上での言葉はひょっとしたら他人には響かないのかもしれない。



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