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赤門志異(ワーキングプア、その1)

本駒大学の就職活動は、一風変わっている。

リクルートスーツ、業界研究、OB訪問、合同説明会。世間の大学生がなんとか自分を人身売買に出すのに汲々としているとき、日本きっての名門である本駒大生たちは、日々遊び呆けているだけである。彼らにとっての就活は、大学から配られた調査票に履歴と希望就職先を書くだけのものである。就職先には具体的な企業名・団体名を書いてもいいし、漠然と業種だけでもいい。こだわりがなければ、空欄のままでも構わない。とにかく、その書類を持って、決められた日に「就職箱」に入れるだけである。あとは、箱が書類を読み取り、事前に集めた企業や官公庁の求人とマッチングさせ、その学生に最適な就職先を見つけてくれる。書類を入れてから結果が判明するまで最長でも5分、「ビッグデータを駆使しディープラーニングしたAIが複数のアルゴリズムをマルチタスクで動かし、ベストソリューションを見つけ出したもの」と就活担当のおばさん指導員は言うが、果たした彼女が自分の発した言葉の意味をわかっているのかは、未だ定かではない。

そんな箱が導入されたのは数年前。教授陣の「機械に奪われる人間性」「無機物に人生を決められることの虚しさ」という書生根性丸出しの抗議も一時は盛り上がったが、学生に「楽でいい」と大歓迎されたため、今やすっかり定着した。なにしろ本駒大生は、ほとんどの職場が喉から手が出るほどほしい人たちで、箱を使えば9割9分の人は一発で職が決まる。それも、世間が羨む大手企業や官公庁ばかりだ。学生が楽になれば、教授陣も推薦状だの進路相談だのに時間を取られなくて済む。観念的反抗は、またたく間に実務的利便性に押しつぶされ、いつの間にか、反対の声は完全に消えた。それとほぼ同じタイミングで、就職箱が某企業の寄付で高級そうなピアノブラック色になり、以降親しみを込めて、「ブラックボックス」と呼ばれるようになった。

ぼくがそのブラックボックスを初めて見たのは、修士課程1年生のときであった。他大学の学部から、本駒大の大学院哲学専攻に入ったぼくは、ブラックボックスの噂しかきいたことがなく、どういうものかを想像するしかなかった。それが、指導教官から「割のいいバイトがあるけど、やる?」の話に二つ返事で乗り、職場に行ってみたら就職支援課だった。安藤忠雄を連想させるコンクリート打ちっぱなしの無機質な部屋に、机が横に2つ並び、そして部屋の真ん中に、ブラックボックスが置いてあった。件の就活担当おばさんが部屋におり、ぼくの仕事は学生の本人確認と、就活の結果の記録だと説明を受けた。言われたとおりに自分の机に着き、書類を用意する。横から、「大丈夫、哲学者でもできるくらい簡単な作業だから」と、おばさんのやさしい言葉が飛んできた。

作業は早速始まった。学生が一人ひとり部屋に入ってきて、調査票の写真と本人を照合し、ブラックボックスに書類を投入し、結果が出てから本人にこれでいいのかと確認する。1人あたり10分もなく、結果を知った学生は誰一人就職先に異議を唱えずに、全員折り目正しく、両手で書類を受け取り、「ありがとうございます!」と頭を下げてから、部屋を出ていく。機械の判断が本当に素晴らしいのか、それとも、数年先にやってくるであろうただ事務手続きを淡々とこなす生活に、彼らはもう先んじて慣れているのか。

いずれにしても、その態度は、この灰色の部屋に、どこまでもふさわしいものだった。ここに求人側の関係者が来ることはない、学生の前にいるのはおばさん1名と、同じ学生であるぼくだけだ。したがって、スーツを着てくる必要はまったくないのだが、本駒大生たちはなぜか全員、リクルートスーツより数ランク上のものを身にまとっていた。そうしろと誰かに言われたのか、それとも親の平均年収1000万の実力を見せつけたくなったのか。理由は不明だが、とにかく、彼らの就職先が、スーツのコストなどたやすく回収できる場所ばかりというのは、たしかであった。

その日の作業は順調に進んだ。数百名の就職を一日にして片付け、就職できなかったのは1人だけ、それも、予想外ではなく、部屋に入ってきた瞬間から、「あ、こいつはダメだな」とわかるような人だった。なぜなら、彼はボサボサ頭に、ジャージ姿で来たからだ。

「田山くん、またキミかい」と、彼を見るなりおばさんは笑い出し、田山くんとやらははにかんでから、起き抜けのボーッとした視線でぼくに書類を差し出した。クシャクシャの紙になぐり書きの字、渡しながら頭をかく彼の目尻には、目やにが付着していた。こんな字では読み取れるかどうかさえ心配になるが、英知の結晶であるブラックボックスは期待を裏切らない。書類を入れてわずか30秒で結果を出し、ぼくは初めて「就職できず」という判を押された書類を目にした。おばさんはハアと息をつき、「またダメだったね、まあ、次頑張ればいいさ」と彼を送り出してから、ぼくに向かって言った。

「さっきの田山くん、あんたと同じ哲学専攻なの、知ってるかい?」
「え?そうなんですか?」
「そうなんだよ。もう博士も6年目になるから、そろそろ就職しないと困るけどね…」
「高望みしすぎですかね?」
「そうじゃないのよ、ブラックボックスはすごいけど、文系の博士、それも哲学だと、なかなか決まらないのよね…ほかの専攻なら、意中の大学に行けなくても、地方の教職とか、ポスドクくらいはマッチングされるけど、哲学はねえ……」

自分の運命が心配になり、無言になるぼくを見て、おばさんはおばさんらしく、「とにかく、あんたも気をつけるんだよ。あんな追い詰められた状況にならないようにね!」と、親切以外に何の意味もない世話を焼いてくれた。しかし、ジャージで就活に臨む田山くんーーいや、博士6年だから、ぼくよりだいぶ先輩だーーからは、追い詰められた人の焦燥感は露と感じられず、むしろ昼下がりの猫のようなマイペースを貫き通しているように見えた。そんな先輩にぼくは興味を持ち、「今度あったら話しかけてみよう」と思った。

(続く)

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