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「あちら」と「こちら」が混在しやすくなる時期

 一般的によく言われがちであるのが、「逢魔ヶ時」という時間帯には、いわゆる霊的なものの属する世界とわれわれが住まう世界とが混ざりやすくなる、とされるものかと思われます。
 「逢魔ヶ時」は鳥山石燕による今昔画図続百鬼にて記されていて、大禍時ともされています。昼と夜が移り変わる時間帯を指すものともされ、黄昏時とも言われます。誰そ彼でたそがれと読ませるものでもありますね。要するに夕暮れていく中ではすれ違う人の顔も見えにくい、とするものです。あるいはもしかすると今すれ違った者は人ではなく、化生であったかもしれない。眼の前にいるはずのあなたの顔すら定かではない。ゆえに誰そ彼となるわけですね。

 さておき、そんな時間帯には確かにあちらとこちらが混ざりやすくなるものです。昼と夜とが移り変わる頃合いにはあちらとこちらを区分する壁が薄くなりやすくなるためです。であるならば夜と朝が移り変わる頃合いもそうではないか? と、されるかもしれません。結論から触れますと、その通りです。ただし朝方と夕方とは混ざり方のパターンが異なります。

 朝方は夢と現とが混ざりやすく、その狭間に影響されると精神だけがあちら側に囚われたりもします。そうすると肉体を霊的なものに乗っ取られたり、あるいは精神疾患のような症状を負うことになったりもしやすいようです。
 夕方にはあちらのものがこちらに混ざりこみやすくもなるようです。場合によっては肉体持つままであちらに踏み込んでしまうなどもあり得るものとなります。その場合は現界においては失踪などとして扱われるかもしれません。

 上記のどちらに接するにしろ、いずれにせよ決して好ましいものとはならないはずです。あちらの側のものがこちらの側では異分子となり得るのと同じように、われわれもまたあちら側では異分子となり排除対象となり得るのですから。

 また、一年のうちの二至二分、つまり夏至と冬至、春分と秋分。季節の変わり目とも言えますが、これらの時期のそれぞれ前後一週間から十日ほどの間は際立ってあちらとこちらとの境が薄くなります。日頃は霊的ななにがしかを見るといったことに縁薄い人でも、この時期は感知しやすくなったり、あるいは影響をうけやすくなったりもするようです。メンタル面でも引っ張られやすく、希死念慮に近いものに囚われたりもするかもしれません。

 では、そういった時期に余計な影響を受けにくくするためにはどうしたら良いのか、と言いますと、やはりひとえに自身の軸を揺るぎないものとしておく、というものとなります。あるいは以前にnote記事で書きました内容のものを努めていただくのが良いかと思われます。有料記事となりますが、よろしければ。

https://note.com/chotinya/n/n52b08e5c5ec5

 ちなみに、場所や地域によっては「この時期は立ち入ってはいけない」というようなものもあります。それらにはだいたいにして相応の理由があるはずですので、従いつつ、郷土史料などをあわせて見ていくのも楽しいかもしれません。これらの禁忌をわざわざ破りに行くことは、下手をすると無関係な人をも巻き込むことに繋がりかねないので、決してならさぬように。

 疑問などありましたらお気軽にお寄せください。以降の記事を書いていく際のネタとして有効に用いらせていただきます。

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