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霊視的なあれの話①

 わたしは生来的に霊能的な素養を有しているようで、しかしその傾向は俗に精霊や神霊とされるものに関する感知に縁りがちではあるようだ。テレビ番組や雑誌などで出されるような心霊写真や映像等ではまったくと言っていいほどに分からないし、SNS等で時おり目にする「分かる人には分かる」系のものもまったく分からないです。ゆえに時おりご相談いただく「先祖霊」や「守護霊」に関しては、ほぼお役立ちできず、お断りしている案件も少なからずあります。
 そんな感じではありますが、今年からは講座等の宣伝もかね、ポツポツと体験談的なものも流してみようと思います。

 §

「ぶら下がる男」

 わたしは人間の師を得たことがないが、生家の周りに広がる森との交感のなか、様々な話を教わったりもしました。その内のひとつが「森の中でうつむいたままの人を見かけたら近寄らずに立ち去りなさい」というものでした。
 わたしは被虐待児でしたので、出来るだけ家にいたくないのもあり、あるいは腹にいれる果実を求めたりで、森の散策を頻繁にしていました。が、開発もろくに進んでいない小さな山の森でしたので、山菜の採れる時期以外にはほぼ誰とも鉢合わせすることもないような場所でもありました。
 ある日、生家から少し離れた位置にあるキャンプ場に向かい、そこから山道に入り、途中にあるあずま屋に行ってそこで宿題をやろうと考えていた矢先のこと。
 あずま屋に着くと、その横手の木の下に大人がひとり棒立ちになっているのが見えました。先客がいるのでは宿題を広げるわけにはいきません。立ち去ろうか、森を散策しに行こうかと考えながら、しかしふと気付いたのです。
 その大人の周りはやけに薄暗く、木の枝が軋むようなギィギィという音もわずかに響いていました。何より、薄暗い陰のようなその大人は同じ場所でうつむいたまま。
 ああ、これは生きている人間ではない。
 瞬間的にそう理解し、同時に森から言い含められていた言葉も思い出しました。
 うつむいたままの人間に近づいてはいけない。
 わたしはとっさに踵を返して走り出し、そのまま急いでその場を離れて逃げました。
 わたしがそれを目にする数日前、そのあずま屋横で男が首を吊り死んでいたのが見つかっていたそうです。思うに、人が通る場所を自死する場にと選ぶのは、おそらくは確実に見つけてほしいからなのではないかなと。人からの注視を得たいと望む念がその場にこびりつき、再生映像のように幾度も幾度も繰り返すのではなかろうか、と、幾例かを目にしてきた今はそう考えます。けれどそこにあるのは念でしかなく、自死した当人の意識があるわけではないのだから、会話や交流が成り立つわけではないのです。今でこそ対処を心得てはいるものの、幼少期のわたしでは確かにどうにも出来なかっただろうし、何より被虐待でひずんだ精神のままそういうものに接すれば、下手をすると引きずり込まれていたかもしれないのだから。

 ところで、薄暗い場所はそこここに結構多くあります。むかし渋谷の笹塚に住んでいたのですが、駅に向かうところにある青梅街道もそうですよね。あそこなんかはわりと広く薄暗いように思います。風聞するに、街道に近いとあるアパートでは霊現象が起こるのだとか。
 ともあれ、類似した話はまたの機会に。




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