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霊能があるのは特別なことか

 SNS上だけを見てみても「私には霊感がある」「神仏や高位霊との交感が出来る」などと主張する人は存外に多くいます。中にはわたしと同じように霊感を用いた商売をする人も多く、その主張内容は多種多様であろうかとも思われます。わたしなどは自身に対しても重箱の隅をつつくような事を重ねながら検証していく、いわば懐疑的な構えを全面に出していくようにしていますが、わたしのような構えの者はあまり好かれないというのも実情です。
 閑話休題。
 しかしその反面、自分には霊能的なセンスは一切無い、いわゆる零感であると主張する人も多くいらっしゃいます。
 さて、では「霊能的センスの有無」といった差分があるのはなぜなのでしょうか。今回はそれに焦点を当ててお話していきます。

 大前提として、精霊や神霊などとされる存在は我々すべての人間に対して等しく近くあるものです。誰かにしかみえないとか感じられないとかいうことはまったくありません。それがみえなかったり感じられなかったりするのは、自身がその可能性を否定している、つまりみようとか感じようとかしようとしていないだけです。みようとしないものがみえることはありませんし、理解しようとする意識もなく「分かるわけない、ムリムリ」という構えでは理解できるはずもないんです。
 しかし、だからといって頭から受け入れようとすると盲信に繋がってしまいかねませんし、盲信している状態のなかでは真を見ていく目も濁ってしまうものでもあります。

 ところで、通常は霊的な防御というものは万全に近い状態となっているはずでもあります。例えるならば夏の夜に網戸を閉め、蚊取り線香を焚き、蚊帳の中でくつろいでいる状態が通常のものとなります。必然的に虫の侵入は高い割合で防げますでしょうし、虫の羽音で不快な思いをしたり姿を目にする機会も減るでしょう。一般的に「霊感がない0感」などとされるのはこういった類いの方々で、言ってしまえば正常で健やかな状態を保持できているものとなります。
 これに対して「霊感がある」とされる人は夏の夜に網戸を開けっ放しで、ろくな対策もせずむやみに虫の侵入を許している、なんなら自ら招いているという状態です。当然に虫を目にしたり接触したりする機会は増えるでしょうし、あるいは虫よりももっとたちの悪いもの(動物や不審者など)の侵入もあるかもしれません。
 では、上記のうちのどちらが正常であるといえるでしょうか。考えるまでもなく、前者が正常であるといえるはずです。後者は自衛すらできていない異状であるといえるでしょう。当然、後者を「特別な存在」であるとする人はいないはずです。
 よく、霊能力の開発を謳うセミナーなどが行われたりしていますが、霊能力の修行を行うべきは上記事例の場合は後者の者、ということになります。まずは網戸を閉め、蚊取り線香を焚いて蚊遣りをかけるという一連の行動ができるようにならないといけないのですから。
 つまり、霊能的なセンスがあるという人ほど、その人を覆う霊的なガードが壊滅的にひどい状態であるということになります。それは特別なものでも、ましてや選民意識をもつためのものでもないのです。多くの場合、そのあたりが誤解されているのも実情です。
 霊能的なセンスがあるということは特別なことであるのかどうか。ひとまずはお分かりいただけたのではないでしょうか。

 
 
 

 


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