GENJI*REDISCOVERED        源氏物語絵巻 『花宴』之一

画像1 『源氏物語』の「桜」の場面、いくつかのそれぞれ、それぞれ美しいです。その中でズバリ『花宴-はなのえん』と名付けられた第8帖は、帝主催のお花見の深夜の出来事がかかれてあります。場所は『弘徽殿』の「細殿」という所です。  時間は「二十日過ぎの月」が昇って来て輝いている設定ですので午前0時を過ぎる頃。 日本の「絵」の伝統では、「夜」を灯火具や篝火を描くことで表して「闇」をも暗くは描きません。夜景や暗さを絵にするのは江戸の浮世絵以降のようです。この掲載のは、物語に忠実な「暗闇」を出そうとしています。
画像2 帝の妃(たち)の住まう「後宮」。その中でも筆頭-最上位の妃が住まうのが『弘徽殿-こきでん』です。帝のお住まい『清涼殿』の北にある棟-弘徽殿の西に面して並んだ部屋部屋を「細殿」と呼びました。南北9間+南と北の庇の間各1間=11間が一列につながった=文字通り細長い空間で、弘徽殿に仕える女房達の「局」=部屋として使われていました。道を挟んで『飛香舎(藤壺)』と面していた=各間=部屋と外の境は「蔀」が建てられていました。そう、「細殿」には「欄干の付いた縁側(廊下)」がありません。
画像3 『南殿=紫宸殿』で行われた「桜花の宴」のあと、皆が寝静まった深夜、20日すぎの月が出て来た頃に、光源氏は『藤壺(のいる飛香舎』の様子を伺いますが、厳重な戸締り。諦めて帰る途中の『弘徽殿』の細殿の「三の口」の扉が開いています。「こういう機会からあやまちも起きるよ」と光源氏は弘徽殿に侵入します。その夜は弘徽殿女御が帝の許に…だったので、女房達もそちらへ、人気もない真っ暗な部屋が並んでいます。そう、「暗闇」なのです。入って来た口の開いた扉から差し込む二十日過ぎの月の光だけが、入り口辺を照らすだけの暗闇です。
画像4 その時、やはり開いていた奥の枢戸から一人の女房が出てきます。状況からすると、宴の名残もあって、出てきているであろう月を眺めに母屋から西廂(=細殿)へやって来た。でしょうか。その女房の目には、向かう扉の外からの月の光に照らされる出入り口の床の輝きと、その反射によって薄っすら浮かぶ仕切りの几帳くらいしか見えていなかったでしょう。枢戸を出たとたん、光源氏に袖を引かれ捕まえられます。驚きと恐怖でしょう。ほとんど出払っている殿内に助けを求めても誰も来ません。その女房は弘徽殿女御の妹、右大臣の六の君でした。
画像5 このエピソードから後世『朧月夜』と呼ばれる右大臣の六女は、東宮に入内も考えられている姫でした。怯えていた姫も、光源氏の言葉に誰なのかの察しが付いて気も緩んで、頑なに拒むことも出来ずに関係を結びます。明け方-別れの時、姫は名乗らず-お互いの「扇」を交換します。姫の扇は、桜襲の赤の濃淡地に月と、その月が水面に映っている絵が描かれていました。
画像6 朧月夜の君に起きた暗闇での光源氏との遭遇。という『花宴』帖のクライマックスで、ほぼ確定的にこのシーンが→絵画化されます。↑ がその典型。檜扇を持った女房が、外廊下、欄干越しに咲誇る桜を眺めています。が、本文と合わせると、ほぼ全部間違いなのです。まずその日の「桜」は、ココを離れた紫宸殿の前の1本。弘徽殿横に桜並木はありません。「細殿」弘徽殿の西廂には「簀子」廊下どころか縁側もありません。そして「扇」、このあと別れ際に交換するのは「絵紙の扇」です。現存では既に室町頃からこの構図が定番…になっているようです。
画像7 桃山~の「土佐派」江戸の「狩野派」どの『花宴』もこの(構図・組み合わせ)絵を描いています。誰も「物語」を読んでないのかな…。です。異端と言われる岩佐又兵衛だけが朧月夜の君を抱える光源氏で描いていますが、欄干付の廊下でです。さて弘徽殿の「西廂」ですが、建物の構造は北隣の登華殿と同じです。そう「定子中宮」の居た「清少納言」がいろいろ書き残してくれた『登華殿』でのこと…で、細殿の事がよく判ります。清涼殿に行き来する公卿達の通路に面していて、犬走を来て半蔀を外した床に腰をおろして話もしていた事とかが『枕草子』に。
画像8 「絵」画化でもう一つ、『朧月夜』が光源氏に抱き竦められたときに「裳」を引いていたかどうか…問題。儀式時等の目上に対する「正装」である「裳」なので、宴から自分の(姉の)御殿に戻って、夜も更けていて、外していたのでは…とも考えられます。いや、特別の行事に呼ばれてやってきた宮中、晴れ着も嬉しくて「裳」もそのままでいた。という心情もアリです。当時の人達には普通のこと(なので、わざわざ書き留めない)事が、絵画化には難問になります。光源氏は「靴」を履いていたか…。と共に。
画像9 光源氏20歳の春(二月廿余日) 南殿の桜の宴があった。夜が更けて御宴も終わって静かになった頃に、月が明るく昇ってきた。 光源氏は「このような時に思わぬ良い機会もあるのでは」と、中宮の御殿「藤壺」辺り を窺って歩くが戸口はどこも閉ざされていた。そんな折、向かいの「弘徽殿」の細殿の 三の口が開いているのを見つけて忍び込む。今夜は女御が帝の許なので人気もなく 静まり返っているところに「朧月夜に似るものはない」と口ずさんで一人の女が来る。 光源氏はとっさに袖を捉えてしまう。戸口からの半月の光だけの中。

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