閉鎖病棟に入院した話①
自分の過去について書くのも飽きてきたので、
趣向を変えて昨年入院した時の話を日記風に今回から書いてみる。
入院中に書いていた日記を基に、なるべく事実に基づいて書いてみる。
入院までの数日の出来事
入院が決まるまでは早かった。
5月中頃から精神的に不安定だった私は5月25日月曜日の夜、
初めてODをした。
次に目が覚めたのはその次の日の夜で、眠り続ける私とゴミ箱にあった大量の薬を飲んだ痕跡を見た母親が、
怒鳴るわけでもなく叱りつけるわけでもなく、優しく私に
「病院、行こうか。」
と言った。
あの時の母親の悲しそうで、でも私に心配をかけまいと必死に微笑んでいる何とも言えない表情が忘れられず、その時のことは鮮明に覚えている。
(その直前まで眠っていたはずなのに)
その次の日に病院に行って、なぜかそのあと美容院へ行き髪の毛を染めた。
そしてさらにその次の日には仲の良かったバイト先の男の先輩と会い、ホテルへ行った。
前日の夜に入院することになったことを伝えて誘われたのだ。
朝10時に集まり、2,3時間でやることを済ませてすぐに解散した。
なんとも言えない感情だったが、入院前にとりあえず私は性欲を処理しておきたかったのだろう。
ある人が私の顔を見てビッチだ、と言ったことがあるが
この時の私はまさにビッチだったと思う。
なんならクソがつくほどのビッチだっただろう。
その日の夜、仲の良かった恩師と電話をし入院することを話した。
彼は笑っていた。
貴重な経験になるだろうから、無駄な時間と思わずゆっくりと休んできて。
そんなことを言われた気がする。
今振り返ると、私はこの2日間で外の世界でしかできないことを済ませておきたかったのだろう。
入院前日はその時付き合っていたギターの講師のレッスンを受けていた。
入院する原因を作ったのは彼だったし、しばらく会えなくなることもあり
そのレッスンの数日前に別れ話をしていた。
38歳といい大人だったので、レッスンに私情を持ち込むことはそれまでも、その時のレッスンでも一切なく
45分のレッスンはあっという間に終わった。
毎回のようにじゃあまた来週と彼は言ったが、私は
「明日から入院だからもう次はないんだよ。」
と私は笑いながら言った。
彼もつられて笑った後、寂しそうな顔で頑張ってね、と言ってきた。
ありがとうと返したが、私の内心、そんな穏やかなものではなかった。
お前のせいでこうなったんだ、今更寂しそうな顔をするなと腹立たしく思ったがこちらも子どもではないので
顔に出さず、レッスンを終えた。
これが入院が決まってから前日までの出来事。
入院についての詳細は知らなかったもののアクティブに動いていたと思う。
いつもの癖だが、今回も前置きが長くなってしまったのでそろそろ入院中の出来事を書こうと思う。
2020年5月29日(金)
1日目 体温:37.2℃ 服薬:眠前
入院当日の朝、私はなぜか大学の課題をこなしていた。
留年していたこともあり、単位取得に必死だったのだろう。
昼前に家を出て、母とデパートの回転寿司で寿司を食べた。
北海道に本店がある、少しお高い回る寿司屋だった。
私は最後の晩餐になることを確信していたので、遠慮することなく食べた。
その数日間食欲がなかった人とは思えないくらい食べた気がする。
病院までは電車で向かった。
急行に乗って30分、そこからさらにバスで15分と私にしては長い道のりだった。
蒸し暑い中たどり着いた病院は想像していたより綺麗だった。
待合室には色々な人がいた。
言葉で表すことが難しいのだが、容姿も、行動も、本当に多様だった。
待合室では静かにしましょう、そんな言葉とはかけ離れていた。
受付を済ませ、身長体重血圧を測るとすぐに診察だった。
担当医の先生は怖そうなおばさんで初診では私に話しかけることはほぼなく、母親がずっと話していた。
一通り話した後、私の入院が”医療保護入院”という形で決まった。
自分の処遇が書かれた紙と病棟生活の案内と書かれた紙をもらうと、エレベーターで病棟へと向かった。
着くとすぐに身体検査と荷物検査が行われた。
回収されたもので覚えているのは、ベルトと毛抜き。
ベルトは回収された理由が想像つくが、なぜ毛抜きがだめだったのか、私は今でもその理由がわからない。
その後母親とは引き離され、私は鍵のかけられたフロアに入れられた。
ガラス越しに手を振る母親の姿を見て泣いてしまったことを覚えている。
自分の部屋に案内された。
部屋には、ベッド、机、椅子、クローゼットだけがあった。
窓は数センチしか開かず、その時私は”閉鎖空間”にいることを実感した。
夕食までは部屋で寝ていた。
18時 夕食の時間
初めての夕食の献立は、味噌汁、鮭、白米と質素だったが、意外とおいしかった。
食事はホールと呼ばれる、机と椅子が並び、テレビや雑誌、自販機などがある場所で全員で食べる。
その時初めてほとんどのほかの患者さんを見た。
おじいさんやおばあさんから、自分よりも若そうな人まで年齢層は様々だった。
若い人たちはほかの人たちと話していたが、1人でいる人が多かったので気楽だった。
夕食後は21時まで寝ていた。ひどく疲れていたのだろう。
21時の服薬のアナウンスで目が覚め、ホールへ向かい、列に並んで看護師の目の前で薬を飲んだ。
きちんと定量を服薬しているか確認するためだろう。
服薬を済ませ、お風呂はいつ入れるのか確認すると週に3回、火、金、土曜日だけだった。
ひどく落ち込んだ。
梅雨目前といった天気の中、外を歩き汗をかいていたのに、その汗を流すことができないと分かったからだ。
その時、若い人数人とおばさんが話しかけてきた。
消灯の21時30分が近かったため、そろそろ部屋に戻って寝る準備をしたほうがいいと教えてくれた。
また、この時間を過ぎると病棟の明かりが消え、部屋の電気も消されること2時間おきに見回りが来て、寝れなかったら眠剤がもらえることも教えてもらった。
この日の日記の最後に
「今日が金曜日だってことをMステが思い出させた。それも最後までは見れないけど。」
と書いてあった。
私は初日にしてこの環境に絶望を感じ始めていた。
2021.3.2 chihiro
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