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83年 日本初のホスピス(聖隷事業団)長谷川発言に思う

病による人生最期の時の「質」を高め、苦悩などを緩和するホスピス。現在(2022年)、全国の病院に459施設(9464病床)が設けられている。

その全国で一番に設けられたのが、聖隷福祉事業団(創設者・長谷川保)によるもの。1981年、聖隷三方原病院(静岡県浜松市)で、日本初のホスピスが始まった。

キリスト教主義事業者が先陣を切ったホスピス

クリスチャンで福祉事業家の長谷川保氏が率い、キリスト教主義を標榜する聖隷福祉事業団は世によく知られているが、クリスチャン新聞はおそらく、ホスピスができてすぐに速報を伝えて後、今回1983年6月26日号の見開き「医療特集」の中で、1ページ全面を使って、この聖隷ホスピスについて詳報している。(この記事一番下に、「聖隷ホスピス」のページ全体のスクラップが閲覧できます)


「聖隷ホスピス」全面特集記事の冒頭部分(全体は、この記事の一番下で閲覧できます)

また、その記事の下に、淀川キリスト教病院が広告を出し、同病院も、ホスピス病棟設置の準備が進んでおり、理解と募金を全国の教会、クリスチャンに対して求めている。
淀川キリスト教病院ホスピスについては1976年時点でどんな準備が進んでいるか、クリスチャン新聞読者に理解を求める記事が出ている

さて、「聖隷ホスピス」全面記事の中で長谷川保氏へのインタビューを載せている。
同氏について「戦前、結核患者の保養施設として聖隷社をおこして以来、一貫して福祉に携わってきた」と紹介。

長谷川氏の教会史に立脚したホスピスへの理解

そして「ホスピスとは何か?」を記者が問うのに長谷川氏が答える。
「元々は中世に、巡礼や、旅人がその途上で、病気やけがで、進めなくなった時に、修道院が彼らをあたたかくもてなしたことに始まるといわれています」。このように、キリスト教の歴史の中に発生したホスピスという概念であることを先ず述べている。

続いて、「現代では、末期にある患者の肉体の痛み、心の痛み、社会的、経済的痛みを取り除くため、あらゆる援助をするところと考えればよいでしょう。修道院が巡礼者たちの通過点であったように、死ぬことは終わりでなく神の国へ行く通過点なのです」と、クリスチャンとしての視点を明確に語る。

キリスト者とホスピスの関係について、「聖書の中でキリストは心の問題だけを取り扱ったわけではない。それと同様に、身体のことも取り扱っています」「ホスピスの活動は、あくまでも、聖書に立って、心と体を両面から取り上げていく」と述べ、ホーリスティック(holistic、全体性のある)な福音理解に立っての働きであることをクリスチャン新聞に述べているわけだ。

独立的に大規模に発展した聖隷福祉事業団

聖隷福祉事業団は、あまり教会と組織的な関連があるわけではなく、独立独歩的な立場で福祉事業を進めて、従業員数16,145人(2020年)、売上高1195億円(2019年度事業収入)、7病院、30子ども施設、12障がい者施設、12有料老人ホーム、22高齢者施設などを擁する事業となっている。

上記施設の内容は、聖隷福祉事業団webサイト

日本におけるキリスト教系の福祉事業は、キングス・ガーデンや、また、地域教会における付属幼稚園や保育園といった、「教会」「教界」と具体的な連携が強いものと、規模の大小を問わず、「キリスト教界」に対しては独立的で、独自の進展を見せているものがある(キリスト教の考え方がその発端であり、またその理念を抱き続けて存続・発展しているにも関わらず)。

長谷川保氏のキリスト教界への思い

長谷川氏が、「教界」側に対してどのような「思い」を抱いていたかがほの見えるような興味深いエピソードがある。

日本キリスト党が及ばずへの長谷川の見方

実は、聖隷ホスピスが設立された時期の数年前、「日本キリスト党」というものを武藤富男氏(当時、キリスト新聞社社長、明治学院名誉院長、恵泉女学園理事長など)が立ち上げ、1977年に参院選に武藤が出馬するも及ばなかった。
クリスチャン新聞でも、実際の出馬に至るまで5回にわたって、各回大きな紙面を割いて、「特別座談会 日本キリスト党を考える」を掲載するなどバックアップするかたちであった。

参院選敗北後に、クリスチャン新聞1977年7月24日号の中面の下の方に3段扱いで「これからの日本キリスト党」という記事を出している。
そこには「議員出すことに力を 武藤氏語る」との見出しも立てられているのだが、この記事の最後の最後に長谷川保氏が登場するのである。


クリスチャン新聞1977年7月24日号。「日本キリスト党」が参院に出馬したが及ばず、同党についての「最後の記事」となったもの。この最後の最後に長谷川保氏の発言が掲載されている

長谷川氏は、5回の座談会に名を連ねているわけではない。しかし、この「最後の発言」を読んで、武藤氏と旧知の間柄であり、日本キリスト党についても非常に期待して応援していたのだろうことを伺うことができる。

クリスチャン新聞におそらく日本キリスト党の動向につき記された最後の記事の、最後の最後に唐突に、「長谷川保氏の話」として載せられているのは次の通りである。

「武藤さんが「キリストの御名によって」立ち上がっているというのに、これだけの票しか出なかったということは、今の教会のこの世に対する考え方が違っているのではないか。
教会が「天国行き」のことだけ考えて、この世の現実の中に、キリストの愛の正義を具現していこうとする姿勢がないなら、本当の意味で聖書の信仰に立っていると言えるであろうか。
クリスチャンが現実の政治社会の中での責任を無視している原因は、日本の神学校教育に問題がある。日本キリスト党については解散した方が良い」。

クリスチャン新聞1977年7月24日号における長谷川氏の発言

そして、このコメントが「断言」したように、日本キリスト党は潰えてしまった(この時点で武藤氏はまだ活動を続ける意向をも記事の中で述べているのだが)。

私クリ時旅人は、これは大変に惜しいことであったと思う。
現今の、統一協会のような勢力が、政界に深く浸透して影響力を発揮してしまっている状況をいま、目の前にして、<日本キリスト党がもう少しがんばって命脈を保ち、地方や国政に良い影響力を残すことはできなかったのだろうか>と素朴に思ってしまう。

このコメントは、クリスチャンとして戦前から、福祉事業のパイオニアとして携わってきた長谷川氏が、具体的な事例の中で抱いてきたキリスト教界への思い――「天国行き」のことだけ考えて、この世の現実の中に、キリストの愛の正義を具現していこうとする姿勢がない……現実の政治社会の中での責任を無視している――をはしなくも表しているように思う。

不可見的教会の理解深化のなか、政治や経営の賜物も活かされる

日本のキリスト教界が、自分たちの教会だけのことではなく、目に見えないキリストの身体である教会(ローマ12:4、エペソ4:16)の理解を深め、どのように現実の政治などに反映させていくかということを真剣に考えるべきなのだと思う。
政治であるとか、大きな事業に携わる使命感や賜物を持ったクリスチャンは現実にいるのだから。彼らが、大きな目に見えないキリストの教会の中でどのような働きをしてくれているかを理解し、またモラルサポートしていけるような、成熟した幸福な日本の教界のかたちができていくようにと期待する次第である。

クリスチャン新聞の果たす役割

上述のような、キリスト教界と組織的、具体的なつながりはあまりないが、キリスト教の考え方を深いところで持った人や働きについて、教界に向けて紹介し、相互理解や協力し合いを求め、進めてきたクリスチャン新聞のような教界メディアの役割も大きいものがあると思う。

*おまけ 大平正芳氏のこと

*1978年に、クリスチャンである大平正芳氏が総理大臣に就任したことについても関連して思うところがあるが、別のNOTE記事に改めて書きたい(未執筆、)。
今回はおまけとして、クリスチャン新聞に1967年「ビリー・グラハム国際大会」の際、大平氏から取ったコメントを紹介する。

クリスチャン新聞1967年11月5日。後楽園でのビリー・グラハム国際大会に参加しての大平正芳氏のコメントを載せている。

また大平氏の孫、渡邊満子氏が書いた『祖父 大平正芳』に、大平さん自身の発言として、イエス様の犠牲の十字架の元からのみ神の国は始まるのであって、そのことが分かった人は「真っ当な道を歩んでいる」ときわめて正統な、また活きたキリスト教信仰に立った発言を収蔵している(同書90ページ)。このような信仰が、こんにちの国政の中で影響力を残していたらと思われてならない。

『祖父 大平正芳』90ページ

この件は、また別のNOTE記事で改めて書きたい(未執筆)が、大平さんの発言について、ここに「おまけ」で貼っておく次第です。

おまけ2 聖隷ホスピスで新人として鍛えられた看護師の今

聖隷ホスピス設立時に入職し、新人として鍛えられた看護師の沖原由美子さんが、現在(2022年)、聖隷淡路病院の総看護部長として働いているインタビュー記事がネットに出ていましたので紹介しておきます。

抜粋
ホスピスですとやること、学ぶことが沢山あったのではないでしょうか。
沖原:そうですね。患者さん方は、百戦錬磨です。
化学療法を受け、手術も受け、一通りの過程を通ってきて、そして「自分はもう積極的な治療はしない」というところを決めてきた方たちです。
一方私は、注射一本痛くないように打つ技術も持たない新人でしたので、患者さんに言われたことを素直にする、ということが責務でした。

その頃のホスピスの特徴はありましたか。
沖原:十数年前ですと、最初のホスピスができた頃です。
決まり事がありませんから、自分たちで創造して考えることが必要でした。
全国各地からホスピスで働きたいという考えを持つ看護師が集まってきていたので、様々な医療に携わっていた人から体験記を聞くことができたことはとても印象深かったです。
その一方、「積極的な治療をしないのは敗北だ」と考える医師も多くいましたので、院内の人たちになかなか理解してもらえないこともありました。

ネット「シンカナース」より

1983年に載った聖隷ホスピスの記事、クリスチャン新聞スクラップ

クリスチャン新聞1983年6月26日号5面


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