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クリスチャン新聞がなければキングス・ガーデンはなかったかも

キングス・ガーデンは、日本の福音派諸教会が、現実の社会の課題に力を合わせて取り組み、大きな実りを実現した事業である。キングス・ガーデンは老人福祉の事業で、社会的に高い評価が与えられている。
全国の福音派諸教会の間でよく知られている。


日本の教会の社会的課題への取り組みの豊かな実り

1981年に筑波キングス・ガーデン(KG)が開設されたのが皮切りで、現在、練馬KG、練馬の丘KG、川越KG、KG宮城、川口KG、KG気仙沼、草加KG、KG新潟、KG三重、東中野KG、KG埼玉、岐阜KGなどがそれぞれ、ケア・ハウス、特養などさまざまな形態をもって実現している。

5/13追記 『実を結ぶ人生 泉田昭牧師とその半生』(石井忠雄、いのちのことば社、2011年10月10日発行)に記されているところによると、「現在、キングス・ガーデンは全国に四十九か所あり「日本キングス・ガーデン連合」を作って互いに祈り、ともに協力している。事務所は、東京の千代田区神田駿河台にあるお茶の水クリスチャンセンター内にあり、会長は泉田昭師である」と記されている。


『実を結ぶ人生 泉田昭牧師とその半生』(石井忠雄、いのちのことば社、2011年10月10日発行)に記された全国49か所の「キングス・ガーデン」リスト

まだ影も形もなかった時にビジョンを訴えた人

今回紹介する1977年1月23日号クリスチャン新聞の記事は、それらキングス・ガーデンが、まだ全く影も形もなかった時に、三谷六郎・恵子(しげこ)さんという夫妻が、そういうものを作りたいという「ビジョン」を抱き、自ら現実的に行動しつつ、全国の福音派教会に訴えはじめた、その一番最初の記事である。

日本の教会の弱点である公共性、社会的責任

日本のプロテスタント教会は、公共性の問題への取り組みが非常に弱いと言われる。それは戦前からそうである(賀川豊彦をすら教会が十分に理解し支えることができなかった)。
福音派においても世界的なレベルでは、ローザンヌ誓約(1974年)において「キリスト者の社会的責任」が強調されたにも関わらず、日本においては非常に取り組みが弱い。

ローザンヌ誓約
第3回ローザンヌ世界宣教会議ケープタウン宣言解説

教派を超え、全国的な福音派諸教会の協力で

そんななか、キングス・ガーデンは全国の、教派を超えた福音派教会によく知られ、協力を受け、現実的な事業として確固たるものを築いた。

同年提唱の日本キリスト党は潰えてしまったなか

三谷さんらがビジョンを訴えたのと同年、「日本キリスト党」が提唱され、参議院に1人出馬したがかなわず、そのまま潰えてしまったことを思い合わせると、なおさらその感慨は深い。

日本の諸教会が社会的責任を果たしていく橋頭堡としてのキングス・ガーデン

キングス・ガーデンは、福音派系の諸教会が社会的責任(公共性)の働きを築いていく橋頭堡(きょうとうほ。行動を起こすための足がかり)を築いたといえると思う。

そんなキングス・ガーデンがなぜ実現したか、要素はいろいろあると思うが、今回は三谷夫妻がビジョンを訴えたことから始まったことに着目したい。

ビジョンを訴えた三谷夫妻、伝えた教界メディア「クリスチャン新聞」

1977年1月23日号クリスチャン新聞では1面で大きく、「老人ホームの建設 三谷夫妻の幻に応えよう」との見出しを立てて報じ、中面で、三谷夫妻への取材を詳細に記事にしている。それは、これから三谷さん夫妻が全国を巡って訴えて行く前のタイミングである。
だから、三谷さんが全国を巡って説明をした際に、「あ。クリスチャン新聞に載っていた人ですね」と、話は早かった。

三谷さん夫妻が、老人ホーム建設の夢を抱きはじめたのは1970年。六郎さんが40歳の時だ。
ブラジルでの「生活体験」から帰り、職に恵まれなかったり、「“山坂”を通った夫妻だったが、やっと小さなマイホームまでこぎつけ、ほっと一息」。しかしその時、「主よ、私たちはこのような安泰な生活で良いのでしょうか」という祈りがつきあげて来、「そして、示されたのが老人福祉、特に引退牧師の住居のことだった」

戦中、苦難を通った老牧師らのへの思いが、ビジョンの発端だった

その思いの背景をクリスチャン新聞は、「教職の新旧交代期にある日本のキリスト教界では、教職者の引退後の生活の保障は一つの課題。教団によって名誉職や謝恩金制度が設けられてはいるが、住宅の問題は多額の予算がかかるため、ほとんど手つかずの状態」と指摘している。

三谷さんは「戦中、日本の牧師先生がどれほど苦難と痛みを体験され、主に仕えてこられたか。今は教壇を退き、安心して生活する場が必要です。そのために、ぜひ用いられたいの一心でした」と語っている。

仕事やめ、アメリカの先進ケースに研修に一家で赴いた三谷さん

しかし、建築会社勤務の身でのホーム建設運動展開は無理で、一年後、知人の世話により、アメリカにある「キングスガーデン」への研修生の道が開かれた。
一家は決心し74年、渡米。「不安もかなりありました。英語は話せない。子どもたちの学校の心配。現地での生活のこと」(恵子夫人)。渡米5か月前に「三女の直子ちゃん(当時3歳)が病気で召天したのも心の痛手だった。しかし、踏み出してみれば道は次々に開けた」。
アメリカのキングスガーデンでは園長じきじきによる研修を受けることができた。

キングスガーデンはアメリカでも屈指の“老人村”とでもいうべき働きで、米国内の超教派諸教会の強力なバックアップで進められていた。

そのような成果をもって帰国後、夫妻は77年はじめから「ホーム建設への協力呼びかけを始めた」。それを一気に、一番始めに全国諸教会に伝えたのがクリスチャン新聞なのである。

大きなビジョンが日本の教会人の助けによって実現しますよう

クリスチャン新聞は1面「論調」欄で、三谷夫妻の研修してきた具体的な内容を指摘し、「これらを直接見て、学んできた三谷さん夫妻にとっては、さらにビジョンと構想も大きかろうと思う。『一人ひとりの証しの場でありたいとも願っています』と、その青写真を語る夫妻の願いが、日本の教会人の助けによって実現されることを祈りたい」と結んでいる。

今日その「一人ひとりの証しの場でありたいとも願っています」というビジョンも、クリスチャンが介護職として現場に入る、また、KGに近隣の教会からクリスチャンの「ボランティア」が赴き、専門の介護職は時間の限界があってそれをしたくてもできない、お年寄り一人ひとりと時間をかけて語り合うことを実践していることなどによって豊かに実現していると思う。

また、各所KGの経営陣として、しっかりとした信仰を持ち、見識と実行力のある人材を育ててきたことも特筆すべきことと思う。それは川越キングスガーデンが洪水被害の中、一人の被害者も出さなかったことを毎日新聞が特筆すべきこととして取り上げ、その後、行政の厚い壁を破って、水難の恐れの絶対にない別の土地に施設の移転をなしとげたこと(クリスチャン新聞2022年2月2日号参照)などによって正に「証し」されていると思う。

JEA理事長も立場に立って

*日本キングス・ガーデンは、日本を代表する諸教派連合機関「日本福音同盟(JEA)」理事長も務めた泉田昭牧師が長年理事長を務めるというかたちになったことにより、福音派ベース、超教派、全国展開としての働きになったとも言えよう。
そうなるきっかけ、またその後の推進において、教界メディアであるクリスチャン新聞の果たした役割は大きいと言わざるを得ない。

クリスチャン新聞1977年1月23日号1面「論調」


クリスチャン新聞1977年1月23日号3面
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