コンテンツを消費 > ドキュメント > クリエートする者へ part 1

映像と写真クリエーターのクリス。今回はその「クリエーター」という言葉は自分にとってどんな意味を持つか、自分は真のクリエーターかと検討していく。

仕事は映像制作と写真撮影の全般で、簡単にいうと、クライエントが伝えたいことを写真や映像という媒体で表現する。クライエントと相談しながら、僕が持っている機材や編集テクニックに関する知識を駆使しながら毎日映像を創っているので映像クリエーターでいうとそう。ただ、コンテンツありで僕がそれを使って、それを生かして、何かを創る場合が多いので自分は果たしてクリエーターかと疑問を持つ。

ここで「コンテンツあり」とは、リアルな世界のこと。例えば、撮影現場は映像のために探してきたスタジオや野外ロケーションなどのではなく、そこにあった会社の会議室、工場など。演出者はタレントや俳優などのではなく、一般人の会社の社員、大学の職人や学生など。つまり、クライエントが提供する人材や現場を生かして映像を創ること。

もちろん、今まで作ってきた映像のすべてがこの「コンテンツあり」のものではなかった。僕が探してきたロケーションで僕が探してきたタレントやモデルを使った映像はあるものの、数的に少ない。その理由は色々あるのがこちらで二つを述べる。

1 ドキュメンタリースタイルが得意。
僕が映像を身に付けたのはウェディング撮影現場だった。自分のウェディング写真会社を立ち上げたが、映像で表現するのは楽しいことに気づいて独学で(インターネットでうまい人の映像をいっぱいみて分析した)勉強した。教室は目の前に流れていった止められないウェディングの数々だったので現場での臨機応変が強い。与えられた条件(ライティング、出演者、ロケ、時間など)の中でその場で判断していい映像にするのは僕にとって当たり前で簡単。

2 撮影が好きで、ディレクターの仕事は積極的に探していない。
頼まれたらやるという消極的なスタンスだった。このスタンスだったのでカメラマンも兼ねてディレクターをよくやることになった。カメラのファインダーで絞りを必死で調整しながら演出者に向けて「もうちょっと右へお願いできますか」みたいなわけわからない状態。もう考える余裕がない。目の前のショットが撮れているかどうかを確認しながらシュート全体のことを考えて各シーンでカットが足りているか?みたいなわけわからない状態。でも、結局うまくいく。大体。うまく行くので自分でカメラマンとディレクター、両方できると思い込んでしまうがどうしても映像のクオリティが下がってしまう。「コンテンツあり」のシナリオならばこのカメラマン兼ねてディレクタースタイルが可能だが、全くフィクションの案件の場合はもう無理。

カメラマンを始まった理由は、他人がクリエートした映像や写真をただ消費するような消極的な人生のではなくて自分からもクリエートしたいという意思が強かった。

だが、撮影も楽しくてカメラやガッジェットも好きなので途中で機材や撮影テクニックに燃えてしまったり、カメラマンかカメラマン兼ねてディレクターの案件をやることが多くて、結局「コンテンツあり」の映像制作が多かった。

他人がつくったコンテンツを消費する人から確かに一歩は進んでいっているが、真のクリエーターとして活躍している場面が少なくて、現場にあるものをドキュメントする人としての存在に留まっている。つまり、コンテンツを消費する人 > コンテンツをドキュメントする人にはなっているが、本当にコンテンツをクリエートする人「クリエーター」に(あまり)なってない。

[ ちなみに、ディレクターに専念してカメラマンが別の人を担当した時が今振り替えてみれば一番楽しくて充実した案件。]

では、コンテンツを消費する人からコンテンツをクリエートする人になるためのヒントは?それは次回このNathan Barryのブログを取り上げながら僕なりに解説します。
https://nathanbarry.com/consumer-to-creator/
13 TIPS FOR MAKING THE SWITCH FROM A CONSUMER TO A CREATOR

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