佳奈

人生に消しゴムは要らない、きっと。

佳奈

人生に消しゴムは要らない、きっと。

最近の記事

深さはどれくらい?

 秋は広くて、冬は深いと思う。  まだ寒さが新鮮に感じられるこの時期の訪れ、思い出すのは受験ではない。 中高時代の文化祭の季節と、そして、首吊りに失敗してはとぼとぼと家に帰った高校2年生のことである。 夏はただ暑いだけだが、春、秋、冬がやってくる時には引き出しの中から過去の記憶が引っ張り出される。 自発的に思い出せるものではなくて、何かしらの刺激で出てくる思い出達だ。忘れたくないから大事な人に共有しようと思う、けれど、ほかの人たちにはどうでもいいことだなと感じる。 私

    • どうして、鬱病なんて存在するんだろうね

       メイクがとても美しくて性格も素直で、考え方にも共感出来て好きだった五彩緋夏ちゃんが亡くなってしまった。スマホの壁紙にしていた。Twitterのアイコンにもしていた。リプを送って返事を頂いたこともあった。 双極性障害に関する動画を何度も再生した。それでもあんなに優しくて明るくて、凄いなと思っていた。  ひなちゃんのカラコンを買いたくてドラッグストアを何軒か回ったことがあった。ドンキに行けば売っているだろう、それが一番手っ取り早いだろうと思っていたけれど、ドンキの店員さんは怖

      • “幸”“不幸”のレッテル 1.

          近頃、「毒親」という言葉をよく耳にする。虐待まがいのことをした親や、過干渉•過保護な親、或いは反対に、ネグレクト気味の親のこと等を指すのだろう。 どこの家庭にも歪んだ部分はあると思うし、その歪み具合も、歪んでいる面も様々である。それを「毒親」の一言でまとめてしまうのはいかがなものだろうか。自分は家庭に恵まれなかった、不幸である、というレッテルを貼るための言葉になっているように感じる。  私の家庭は、恵まれていると思う。 ────────────────────  父

        • 自殺未遂と救急車

          下の文章は、一年と少し前の、書きかけのものです。このまま葬り去るのはなんだか記憶を消しているみたいで嫌だから、記録として残しておく。 ___________ もうかなり経ってしまったけれど、年が明けた。2022年になった。 年末年始、大掃除の季節。私は片付けも掃除も自ら進んでやるほど得意ではないが、年越しの際には必ず部屋をピカピカにしている。本棚の本、飾っていた絵、引き出しの中のものをすべて出して雑巾とアルコールを染み込ませたティッシュで拭いて、また入れ直して。やろうと

        深さはどれくらい?

          高校校舎の窓を見る

           高校を卒業して半年が経った。自殺未遂から一年。誰も口に出さないけれど、家族の、親友の、学校の先生の何かを壊したあの日が巡ってからの一日一日を追憶している。 気がつけば、“普通の生活”に戻ってから5ヶ月が経つ。昨年の秋は文章を読むことすらままならなかった。学校を暫く欠席していたから共通テストの願書を自宅で書かなきゃいけない____9月10日金曜日のことだった。いっそ高卒認定者として出願したらどうかと父に言われた。受験案内の冊子を読もうとするのだけど、文字を読むのが精一杯で願書

          高校校舎の窓を見る

          逃げの「自死」という選択

           中学二年生の国語の授業で、「逃げることはほんとにひきょうか」という文章を読んだ。 昔の事だからもうはっきりとは覚えていないけれど、学力順位がいのちの順位とでも思っているかのような、まだ未熟だった当時の私は、これは確かにひきょうでは無いけれど死ぬよりはマシという程度で結局はどんなことでもやり遂げた方が凄いのだ、と安直な考えを持っていたと思う。 不登校も中学受験で燃え尽きてしまった落ちこぼれも皆、成績が良かった当時の私にとって「下」の人達だった。  近頃、コロナウイルスの影響

          逃げの「自死」という選択