珈琲新鮮館

証拠求めから休憩する

とっても真面目で勤勉家のお友達がいる。古くからの友達だ。

たまに会うと、大きなお世話なことを言ってしまうことがある。

それは、「もう考えるのやめなよ。なんとなくでもいいじゃん」って。

はっきり言って、これは大きなお世話だ。だって、人それぞれの価値観で生きてていい。だって、自分が本当に経験し腑に落としたことしか手に入れられないのだから。

その友達は、いつもキリキリとストレスを抱えててなんだか大変そうに見えるから、ついつい口から出てしまうのだ。「もう考えるのやめなよ。どうせ考えても正解なんて分からないんだから。」って。


人はとかく証拠や補償を求めたがる。

失敗したくないし、恥をかきたくないから。そして、安心を必要とするから。

これは裏返せば、自分の直感や感覚を信じられないということに繋がるのではないだろうか。

心や直感では、これは自分に合ってる、この人は本当のことを言ってる、この情報は信じられる、と感じているのに、そこに証拠や立証できるデータがないと、「不正解」「信じるに値しない」と烙印を押す。この世の中には、データ改ざん問題がごまんとあるのに、だ。

それって、

自分の心や直感 = 不正解、信じられない 

という図式を暗につくってしまっているのではないのだろうか。


ちょっと残念だなって思う。


証拠や補償、データがなくても、いいものってたくさんあるのにって。

そして、知識がなくとも、自分の心や直感に従って行動するのって、ワクワクする。ほんのちょっぴりの勇気を足していくから。

これって自由ってことだし、自分を知識でがんじがらめにしていないってこと。気軽で清々しい。


そして、自分を知識や証拠でがんじがらめにしてるってことは、自分がすごい人と思われたいから、自分を正当化したいっていう鎧を着たいってことなんじゃないかな。

それって、とっても重いし、窮屈だし、エゴってことじゃないのかな。

もっと軽く自由になれる方法だってあるのに。


だから、とっても残念な気がして、つい口が滑ってしまう。


「もう考えなくっていいじゃん。もう知識ばかり求めることを休憩したっていいじゃん。」って。



今日も読んでいただき、ありがとうございます。

皆さんもどうぞたまには休憩してみてください☆


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