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あるがままのいまに在る

ここのところ、いつも幸福感とともに在るような心地で生きています。
表層意識では流れが変わったように感じていますが、
きっと、心の最奥はずっと前からこうだった、のでしょう。

ただ、ただ、
幸福感だけが、
静かにそこに、
ただ在る。

ゆったり、静かに、たおやかに、ここに鎮座しています。

そして、これだけで、完全完璧です。

そう思った瞬間、
これまでの人生や、両親、連綿と連なるご先祖の命、
そして、
この地球と環境が形成されるまでの営みすべてに、思わず感謝せずにはいられなくなりました。

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さて、いざ、このような心持ちになってみると、これまで歩んできた人生や、これから歩んでいく人生までもが、無駄なく、完璧に整えられていくように思えます。

問題は、問題ではなかったのです。

つまり、以前は問題だと定義して、焦りや不安を感じていたことも、結局はすべて愛のもとに解決してきた、許されてきた…。
ということが、
なんの疑問もなく、すとんと当たり前にわかった、というかんじです。

そして、それはこれからもきっと、同じことでしょう。
なにも心配する必要はないのです。

歩こうと一歩、大地を踏みしめようとする瞬間、道が整えられていきます。

実は、これまでも、何度もこのような瞬間がわたしに訪れました。
自分自身の心の最奥に鎮座する、空に触れる瞬間です。
なにもなく、すべてがあって、創造的で、肯定と寛容の存在。
しかし、ひとたび日常生活に戻れば、自分を守るための引力に、抵抗できずに呑まれていく。
夜になると、本来の自分を取り戻すために瞑想する。
ひたすら、その繰り返し。

しかし、いまのわたしは常時穏やかで、不動の静寂な幸福感の中にあるのです。
これが、サンスクリット語でいうサマーディ(三昧)、というやつなのでしょうか。
(※ここでわたしが言及した「三昧」とは、「悟り」という意味とはまた違います。この世に生きるすべての人々は、既に悟っていますから。これを語りだすと止まりませんので、ひとまずは置いておきます。)

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さて。
こうなってくると、
すべてが解決してしまい、一切の恐れも不安もないのですが、

この状態を表現するひとつの例としては、
「過去、未来は、いまここに在る。」
という感覚が、すとんと板に付いた。
と言えばよいでしょうか。

わたしはただ、今に在って、やることがあればそれに没頭する、これだけのような気がしています。
そして、そのことが、ただただ幸せであり、
この中に、過去も未来も、すべて包含されているのです。

と、すれば、
この世の人々の営みすべてがうまく行く、
というか、
うまく行かないはずがありません。
とにかく、すべて「幸せでしかない」のです。

幸せを前提に物事を見るので、幸せが幻想に投影され、実相が具現化していく。
そしてそれは、これまでのように表情を変えることなく、ごくごくあたりまえに叶っていくのでしょう。

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「あるがままでよい。」

苦しみの渦中にあるとき、この言葉は、ただ空しいものとして響くことでしょう。
しかし、このことが当たり前に淡々と、ただそのようなものとして感じられる以上、やはりこの言葉以外には思い浮かびません。

「そのままでオールオッケー」
「あなたの存在は、そして、その尊い存在が重ねてきた決断と選択は、紛れもなく完全完璧なんだ」

仰々しいことでも、偽善でもない。
本当でも、嘘でもない。
ただ、「そうであること」以上でも、以下でもないのです。

この、「当たり前」の現実を、
わたしのこれからの人生では、
命の視点から、存在の視点から、
愛を持って伝えていきたいと思っています。
どれほど伝わるかは分かりませんが、
とにかく、声を大にして、伝え続けていきたいです。

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人間に与えられた肉体も、言葉も、すべて、
自由に使うことを許されたツールであり、ギフトです。
自由に使えるなら、人々のために、感謝と愛を持って、使う以外には有り得ませんね。
大事にして、大事に使わせていただく、以外にはありません。

まさに、この世界は「一」。
そして、「全」。

だから、わたしたちは。

ただ、ただ、わたしたちの中にある、幸福感に浸りながら。

シンプルに。

ただ、いまを生きるだけです。

最善。
三昧。
全力。
謳歌。

…いや、このような言葉だけでは、この無限性は言い尽くせない。

この、言葉では言い表せない感覚を、

この、言葉にできない気持ちを、

愛ある言葉で。

そして、

世界共通語である、音楽で。

伝えていきます。


わたしたちの目に、「一」を見ながら。

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