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(読書)キリギリスのしあわせ

トーン・テレヘン
長山さき(訳)

(内容紹介)

森のはずれにあるキリギリスのお店、
看板にはこう書かれていた。
〈なんでもあります(太陽と月、星以外)〉。
森のはずれの川のそばにある
キリギリスのお店には、
どうぶつたちのほしがるものが
〈なんでも〉ある。五本脚の椅子、
なくならないケーキ、
着替え用のうろこや羽毛、
〈絶望〉や〈時間〉まで……。
生きにくい時代に
ありのままであることを肯定し、
そっと励ましてくれる
『ハリネズミの願い』に続く
大人のためのどうぶつ物語第三弾。

☆☆☆

読み終わってからも気になる部分を
何度か読み返していた。
読み返す日の気分で
感想が変わる。
キリギリスのしあわせについて
思いを馳せる。
彼のしあわせは何だろうと。

あるお客さんのために
選んだ品物。
彼が買ったあとも気になって
手紙を書いたのに、
夜中にその品物をお店に投げ入れられ、
彼について
考えることを絶対的に拒絶される。
頑張って彼のことを
考えないようにするキリギリス。
まるで自分が拒絶されたかのような
気分になって少しの間、
続きが読めなくなってしまった。

キリギリスのお店は
「悲しみ」を売っている。
でもたくさんは売らない。
少しだけ。
悲しみがたくさんあると
痛みになるから。
キリギリスは痛みを知っている。
その痛みを誰かが誰かに
贈ってしまうかもしれないから
だからたくさんは売らない。

一日中、朝から晩まで
お客さんが欲しいものを出し
要望に可能な限り応える。
売っていないと看板に書いてあるものを
要求するお客さんがいても
どうにか仕入れて?売ったりする。
キリギリスが病気の時も
大抵のお客さんは気にもせず
勝手きままに欲しいものを持っていく。。

読んでいるとキリギリスって
本当にしあわせなのだろうかと
疑問に思えてくる。
誰かの役に立つことが「しあわせ」
だと思っているだけなのかも。
自分が感じるしあわせではなくて
相手が喜ぶことがしあわせだ、と。

キリギリスはある時ふと嫌になって
意地悪な気分になって
何も売りたくない気分になる。
でも結局自分は親切で
お客さんに意地悪なんてできなくて
やっぱりお店を続けることにする。。

読んでいると
キリギリスのような人がたくさんいて。
一生懸命に相手に親切にして
自分が幸せになるよりも
相手の幸せを願う人がたくさんいて。
勿論、相手だって辛かったり
苦しかったりしていて、
だから頼ったりすがったりするわけで。。
んー。。

しあわせって難しい。

☆☆☆

この本にもハリネズミが出てきて。
針の代わりになるものを
買いにきてピンクの羽毛を
体中に刺すのだけれど
結局元に戻すというところがあって。
ちょっと寂しいシーンなのに
bingで作った画像では
とても可愛らしい絵になってしまった。

針の全部じゃないけれど。。

「ハリネズミの願い」
「きげんのいいリス」
とあって第三弾が
「キリギリスのしあわせ」
なのに
第三弾を先に読んでしまった。。

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